第60話『許されざる者』※残酷表現あり

 耳を通り抜けていくのは、金属がぶつかり合い擦れる音と誰かの悲鳴、泣き声。そして自分の息遣い。
 
 呼吸をするのと同じくらい自然に風を操り、高い屋根の上を飛び移っていたシャオロンは、不意に濃くなった血の臭いに立ち止まり真下を見る。

 ここは特に激戦となっていたようで、亜人と人間が何人も倒れていた。
 動いている者はいない。この不快な臭いは、彼らの命が確かにここにあったという証だ。
 
 戦いというのは、必ず犠牲となる命があるものであり、それはどうあっても防げない。
 今までこの光景をいくつも見て来たシャオロンは、静かな表情を崩さないまま額に右手をあて、無言で頭を下ろす。
 
 亜人の世界では、肉体を失う事は本当の意味での死ではないとされている。
 だから、仲間の為に勇敢に戦い散った者を想って胸を痛めることは許されない。
 
 もし、戦いの中で命を落とした者に同情すれば、彼らが無駄死にだと認めてしまう事にもなる。
 
 亜人の世界では、あわれみは侮辱ぶじょくなのだ。

 追悼の祈りを終えたシャオロンが前を向くと、この先は行き止まりになっていた。
 おそらく、ここが最奥なのだと下に降りて辺りを見渡せば、崩れかけた建物の壁に見覚えのある姿が見えた。怪我をしているのか、ぐったりとしていた。

 毛量が多いクセのある金髪に、顔に特徴的な痣がある姿は間違いなく彼だ。
 
「……ハツ!」

 シャオロンは驚きながらもハツに駆け寄る。
 返り血なのか自身のものなのか、もはやわからないくらいにボロボロの姿が痛ましい。
 意識が朦朧としていたのか、ハツは声に反応して薄く目を開けると痛みで顔を歪める。
 
「う……シャ、オロン……何でここに……他の奴は逃げ切れたさか……?」

 乾いた唇で途切れながらそう言ったハツは、起き上がろうと身をよじる。

「ウン。ほとんどの同胞は森に逃げられたよ。僕は門に居たら悲鳴が聞こえて……」
 
 ハツを安心させる為に微笑んだシャオロンは、ふらついた体を手で支えてあげた。
 体中が傷らだけのハツの鮮やかな金髪には、赤い血液がべっとりと張り付いて赤黒く変色している。

「でも、まだ逃がしきれてねぇやつらがいる……」

「無理しないで。作戦はうまくいってる。うまくいきすぎてるくらいだよ」
 
 無理矢理立ち上がろうとするハツを止め、シャオロンは目元をきつく細めた。
 ここに来るまでにからになった檻を見ていた。
 それと同じくらいの亡骸なきがらも。
 
 人数の差では不利だったにもかかわらず大勢を助けられた半面、それだけ戦いが壮絶だったという事だ。

「……そうさか……よかった……」

 ハツはその言葉を聞くと微笑み、心の底から安心して深い息を吐き出した。

「キミたちのおかげだよ。老人と怪我人や病人ばかりだったけど、何とか逃がせた」

 笑みを浮かべたまま、シャオロンはそう言うと辺りを見渡す。
 周りにまだ人間がいるのか調べようとしたが、混乱するこの状況では気配や臭いも混ざってわからない。
 
 だが、なぜかここには人間はともかく、亜人の姿もない。
 確か、ハツと一緒に行動していた同胞は多かったはずなのに、今は彼ひとりしかいないのだ。

「……他のみんなはどこ?」
 
 ほんの少しの違和感を覚えながらシャオロンが尋ねると、ハツは怪我をしている頭を押さえ痛みをこらえながら答える。

「この区画にいた亜人は全員解放したさから、あいつらにも逃げるように指示したさ。俺様も撤退しようと思った所に、この奥にひとつだけ檻が残ってたさからな……」

「そっか、この奥に……?」

 先に仲間を逃がした、という言葉にシャオロンはホッとして肩の力を抜く。
 違和感なんて気のせいだと自分の中で落とした。
 
 すいっと、ハツが指さした方を見ると半壊している瓦礫に挟まれた檻が見えた。
 シャオロンは、気配と臭いで亜人がいるのだと気付くと目を見開く。

「ああ。解放しようと近付いたら、スペルの奴らにやられちまったんさがな……」

 ようやく意識がはっきりしてきたのか、ハツはゆっくりと立ち上がりシャオロンの横に並ぶと、急に声を落とした。

「それよりも、攻め入った時からあちこち待ち伏せされていたさ。おそらく、どこかから情報が漏れている」

「え……?」

 驚いて反応が遅れたシャオロンにたたみかけるよう、ハツは言葉を続けていく。

「ここに残っていたのは、年寄りと怪我人に病人……遅かれ早かれ働けず処分を待つ者だったさ。おそらく、労働力になる亜人はいねぇ。俺様らがここに来ることを知っていて、先に別の所へ移されたみたいさな」

「それって……」

「けど、亜人が裏切る可能性は低い。あるとすれば、人間の……それも貴族家と直接つながりがあるヤツの仕業さろうな……!」

 言葉を失うシャオロンにそう言い切ったハツは、怒りのままに地面を蹴った。

「貴族……」
 
 シャオロンの脳裏に、レイズとリズの二人の顔が浮かぶ。
 あの二人は人間だ。今は亜人の味方をしているが、本質的には人間なのだ。
 
 それも四大貴族のひとつとなれば、自分達に知られないように策略を張り巡らせることなど簡単なことだろう。

 そうだ。仲間だといっても人間なのだ。でも……。

「そんな……そんなこと……」
 
 シャオロンは思わずそう言葉に出してしまう。
 
 一瞬だけ、彼らの事を疑ってしまったが、昨日の夜の言葉を信じたい自分もいた。
 
 あの二人が裏切るはずはない。少なくともリズは違う。
 ジークだってそうだ。賢い生き方はしないが気のいい仲間だ。

 そう、『あの男』を引きずり出す為の都合のいい人間……。

「――……?」 

 そう考えてしまった所で自分でも驚いたシャオロンは、大きく目を見開き固まってしまった。
 正反対の思考が頭の中で絡み合い、矛盾が胸に毒を吐いた。

「俺様も信じたくねぇ。けど、それくらいこっちの手を読まれてたさ」

 そう言ってハツは、やられた傷を治療しようと持っていた道具を取り出す。

「そっ……そうだとしても、一人でも多く逃がせたら……無駄じゃない、よ」
 
 我に返ったシャオロンは、ハツが手際よく包帯と消毒薬を扱っているのを見て、取り残された檻へと向かう。

 暗く、今にも壊れてしまいそうな瓦礫の下敷きになっているその檻を覗き込めば、中には植物と共に生きる種族が捕まっていた。

 草木のような皮膚と根を持ち、太陽と大地と共に長い年月を生きる彼らの名はネイス。
 
 亜人の中でも穏やかで、体に美しい花を咲かせる事から観賞用として連れて来られたのだろう。
 その彼らが、狭い檻の中にごみのように押し込まれていた。

 身動きすら自由に取れないようにされたネイス族は、水分も与えてもらえなかったのか枯れて生を終えた者や、かろうじて生きていても衰弱している者ばかりだった。
 
 かつて、亜人の住処で出会った時とは変わり果てた姿で扱われていた。
 
「……」

 シャオロンが言葉を失っていると、そのうちの一人が細く乾燥した手を伸ばす。
 老いたネイスは水が足りずに声が出なくても語り掛けた。
 

「……アナタは、もしや……ロディオールさま……?」
 

「!」

 驚き、バッと顔を上げたシャオロンは、その老人へと目線を合わせる。
 今を生きる亜人の中で、シャオロンが嵐龍王らんりゅうおうロディオールだという事を知っているのは、以前の亜人戦争の時に生きていた者だけだ。
 
 戦争に敗れ、とうに死んでしまったと語り継がれている名を、この老植物はしわがれた声で呼んだ。

「オお……ロディオールさま、よくぞご無事で……我らはずっとアナタを待っていました……」

 枯れて干からびた浅黒い両手がシャオロンの頬に伸ばされる。光を失った両眼は空洞で、涙も出せない。
 長命種である彼らは、亜人の王を忘れず、戻る時をずっと待っていたのだ。

「ネイス族……」

 あまりの惨い姿にシャオロンの息は自然と荒くなる。
 ネイス族は自然を愛し、穏やかで争いごとを嫌う優しい種族だった。
 
 そんな彼らに対してこんな仕打ちをする人間が許せず、瞳は怒りで金色に染まっていく。
 同時に、自分の無力さにもどうしようもない気持ちがこみ上げてしまう。

 体が植物と同じのネイス族は水がなければ生きていけない。それをわかっていて放置したのだろう。
 ここまで衰弱してしまえば、助けたとしてもどのみち助からない。

「待って、今開けるから……!」
 
 それでも、すぐにここから出してあげようと、シャオロンは急いで檻の格子を掴んで引きちぎろうとした。

 ――その時、顔の横を冷たい風が通り過ぎた。

「……!」 
 
 一瞬の風がシャオロンの横髪を切り裂いていき、亜人特有の先の尖った耳があらわになる。
 軽く頬が切れてしまったと気付いた時には、目の前の同胞は動かなくなっていた。

 まるで鋭いモノで切り裂かれたようにバラバラになっているのは、儚い草木の四肢。
 水分が足りず、痛みに抗う気力もない彼らは、一瞬のうちに命を狩り取られてしまっていた。

「は……は……?」

 何が起こったのかわからず、シャオロンは動揺する心を抑えようと歯を食いしばり格子を強く握った。
 
 その頬を、瀕死の老植物の固く枯れた指が撫でる。
 彼は、シャオロンの強張った頬を撫でながら、残った最後の力で言葉をかける。
 
「ロディオールさ、ま……」

 シャオロンは、老植物の恐ろしく濁った眼を見つめたまま動けなかった。
 命が枯れ果てる間際、かつて穏やかで優しい種族であったネイスが口にした最後の言葉は――。

「なぜ、我らを見捨てたのですか……我らはアナタをずっと待っていたのに……アナタさえ立ち上がっていれば、コンナ……死にたく……ナイ……シにたく……な……」
 
 自分達を見捨てた王への恨みの言葉――。憎しみが込められた彼の指は、シャオロンの頬をえぐり、傷を残してった。

「…………」
 
 同胞の最期の言葉に、シャオロンは何ひとつ答えられずに茫然と頬の傷を指でなぞる。
 彼らの怒りも、哀しみも、恨みも、全てがこの身にのしかかる。

 亜人戦争で敗れた後、隷属れいぞく関係に落とされることはわかっていた。
 わかっていたのだ。でも、動かなかったのではなく動けなかった。

 それでも、彼らを死なせたのはロディオールである自分なのだ。

 『例え、誰かがさだめを操ろうとも、命の終着点を決めるのは、自分自身でありたい』
 
「……」
 
 記憶の中で、ベレット村で出会ったゲルダおばあちゃんが最後に言っていた言葉が蘇り、シャオロンは何かを言おうと口を動かす。

 長い間、奴隷として生きた彼女の思いは偽りのないまことの心だ。
 シャオロンは金色の瞳を伏せ、感情を押さえ込むとネイス族へ追悼の礼を送る。
 
 その時、背後に人間の気配がした。一人や二人じゃない、囲まれている。

「……厄介なヤツが来たさなァ」
 
 傷の手当ての途中で手を止めたハツがそう吐き捨てる。
 シャオロンがゆっくり振り返ると、目の前には部下を従えたあの男が立っていた。

 ガリアンルースの指揮をるフューリー・ミラナは、他人を探るような細い目を開き、ハツとシャオロンを順に見て、二人の亜人特有の耳を嗤う。
 
「これは驚いた。奴から人間のマネゴトをする亜人が混じっていると聞いていたが……まさかお前とは。薄汚い亜人が神聖なエリュシオン傭兵団に入るなどおぞましい……!」

「……他の亜人をどこに連れていったノ?」
 
 人間達の好奇の目を受け止め、黄金眼のシャオロンもまたフューリーを真っ直ぐ睨みつける。

「おや、人間の言葉が話せる知能を持つなんて新種だな。これは調べがいもある」
 
 意外だと片眉を上げ、ふざけて首を傾げたフューリーは持っている杖を振り上げた。
 それにより、彼の後ろに控えているスペル部隊が魔法の詠唱を始める。

 亜人にとって、呪いの言葉ともいえる女神エリュシオンへの賛歌は耳障りでしかない。
 
「……お前達は、何故こうも他種族の命を軽く扱う? 何故、命は同じものであると考えられなイ?」
 
 いつもの明るさを消してそう言ったシャオロンは、フューリーを睨んだまま表情を変えない。
 
「亜人が人間と同じ? そういう事は同じ知能を持った生き物同士で成り立つものだ。たかが亜人風情ふぜいが人間に並ぼうなどと笑わせる!」

 嫌悪感を隠さずに顔を歪めたフューリーは、嵐の前の空のように静かなシャオロンに言葉を叩きつける。
 
「亜人の男は労働力になり、若くて見目みめのいい女はそれだけで売値がつり上がる。子供は徹底的に敗北者だと教え込めば、決して逆らわずていのいい使い捨ての兵士に仕込める!」

 次第に自分の話す言葉に熱が入って来たのか、フューリーは両手を広げ狂ったように声を上げる。
 フューリー・ミラナは、ホワイトランドの四大貴族のひとつ、西のミラナ家の嫡男ちゃくなんだ。
 
 生まれた時から何もかもに恵まれ、自分の言葉で全て思い通りになっていた。
 物心つく前から、当たり前のように亜人奴隷を扱っていた彼にとって、亜人の命は鳥の羽よりも軽い。
 
「亜人は生き物ではない! 使いようによっては、闘技場で死ぬまで戦わせ、魔法や薬の実験台としても役に立つ事も出来る!」
 
 だから、人間が亜人を従えるのは当然とばかりに主張する。
 若い彼の人生は豊かに彩られていた。

 ――ただひとつの、思い上がりを除いて。

「人間の為に生きて、人間の為に死ねる喜びを光栄に……」

 ほんの一瞬、息継ぎをしようとした刹那、黄金の龍眼りゅうがんと、白くけがれのない強大な腕が彼の視界に飛び込み、この言葉が生涯で最後のものとなった。

 空を切り裂く嵐の龍の腕は、白く硬い鱗に覆われており、漆黒の鋭い爪は今なお衰える事がなく。
 フューリーという名の男の体は強く薙ぎ払われ、崩れた瓦礫の奥で役目を終えていた。

「フューリー……様……?」
 
 瞬きをするわずかな間の悲劇に、彼の部下達は魔法の詠唱を止め、自分達へ向けられる威圧感とその存在の異様さに動けなかった。
 
 風が歌うのを止めた戦場で、亜人の王はゆっくりと顔を上げる。
 
「……そうだよ……お前のような人間を残らず駆除する。これが僕の正義だ……」
 
 虚ろな黄金眼を細め、冷たく静かにそう言い捨てたシャオロンは、自身の右腕を本来の姿である白い龍のものへと変化させていた。

 ヒトは命を、尊厳を、何もかも奪われたままでは生きてはいけない。
 心は肉体の静止を振り切っていた。
 
 人間よりも色素の薄い肌は、人ではないものとしての存在を強調させ、表情のない顔で獲物を見つめるのは虐げられたしゅのものではない。

「この名は、ロディオール。かつてお前達が恐れた亜人の王だ……」

 薄く開かれた口から白い息を吐く嵐龍王らんりゅうおうロディオールは、目の前を阻む人間達を鋭く睨みつけていた。