いつもと何ひとつ変わらないレオンドールの街の上空を一羽の鳥が舞う。
眼下に広がる黄金の街は、かつて亜人の王を打ち倒した人間の王が治める聖都。
ホワイトランドの上質な金で彩られた都市は、陽光を受けて煌めき、市場の天幕や商人の運ぶ道具も金属の装飾が使われている。
街のシンボルである時計塔は規則正しく時を刻む。
鳥は時計塔の上から一気に大通りへと抜けていく。
人間達が食べ物や布などの交易で豊かに暮らす街の端で、今日も亜人達の命が取引されていた。
支払われているのは、人の王の顔が彫られた金のコイン。これが彼らの命の値段だ。
買われていった同胞を見つめる亜人は、みんな虚ろな目をしていた。
たとえ買われても、売れ残っても、待っているのは絶望だと知っているから。
自由に空を飛ぶ鳥は、世界の光と闇が存在するこの街を一周するように飛び回り、やがて広い空へと戻っていった。
――レオンドール城の奥にある謁見の間。
目が痛くなるほどの金があしらわれたこの部屋の玉座で、立派な体系を持つ人間の王レオンドールは、目の前の罪人を見下ろしていた。
罪人……ジークは、後ろ手に魔法の氷で出来た枷をはめられ、レオンドールへ首を差し出すようにうつ伏せにされていた。
目に悪い配色がチラチラと視界の端に入って来る。隣にはレイズとリズが同じような体勢でいた。
まるで、胸の中にずんと重りが落ちる感覚にジークは眉を寄せた。
傭兵団と四大貴族の中から反逆者が出た事を大々的に公開することは出来ないので、この裁判はレオンドール王と四大貴族家、警備のレオンドール兵のみで秘密裏に執り行われている。
北の大貴族が裁判を仕切り、紙に書かれた長い罪状を静かに読み上げる声だけが響く。
中には、適当に付け足したあり得ないものも含まれていたが、今のジークにはどうでもよかった。
そんな事よりも聞きたい事がたくさんある。
静かに玉座に着くレオンドールの隣に、仲間であるハツがいるのだ。
レオンドールは亜人を奴隷として扱う人間の王だ。亜人のハツにとっては許せないはず。
なのに、その彼があの場所にいる意味を聞きたかった。嘘だと言って欲しかった。
そして、レオンドールの正面にはエリオに連れられたシャオロンの姿がある。
彼もまた、動けないように魔力で作られた特殊な檻に入れられた状態だった。
捕まった後に拷問を受け心身共に疲れ切り、深い傷と魔力の毒で意識が朦朧としているのか、ふらふらと揺れながらも憎しみが宿る黄金の瞳は、怨敵である人間の王を睨みつけていた。
ハニーブラウンの柔らかい髪は自身の血で汚れ固まり、乾いて切れた唇からは寒くもないのに白い息がもれている。
あのナッツのように丸く優しい目つきは鋭く変わり、全身から滲み出す空気は重く、喉元に刃を突きつけられるような圧力となって襲い掛かる。
ジークは、辺りの空気が張り詰めているのを感じ息を呑んだ。
レオンドールは、魔力の檻の中で身動きが取れない亜人の王を見下ろし、肉厚の顎を動かした。
「先日のガリアンルースでの亜人の反乱の首謀者であり、西の大貴族であるフューリー・ミラナを手にかけた嵐龍王ロディオールがこんな子供だとは……探しても見つからなかったものだ」
興味深そうに目を細めるレオンドールは、傍らに控えているハツに指で合図を出す。
「……はい。名乗った所を、この目で見ました」
すると、人形のように眉一つ動かさずそう答えたハツは、主であるレオンドールの手に女神の装飾が施された輝く金色の杖を差し出した。
「ハツ……! そんなっ……」
「動くなッ!」
ジークは思わず無理やり体を起こして声を張り上げたが、すぐに後ろに控えていた兵士に押さえつけられてしまう。
「うぐっ……! なぁ!」
大人しくしろ、と槍の柄で頭を殴られてしまうが、何とかハツに問いかけようとした所で『黙ってろ!』と言いたげなレイズと目が合い、もう一度殴られて口を閉じた。
ハツはジークと目を合わせない。決められた動きだけをする機械のようだ。
「どうだ? 世界を手にした人間が、私が憎いか?」
権威を示す為だけに作られた、女神と宝玉の杖を振り下ろしたレオンドールは、恐ろしい目つきの亜人の王に告げる。
「貴様はここで何も出来ずに再び女神の加護に破れ、惨たらしい死を迎える。せめて、斬首か灼熱の炎で焼き殺されたいか、希望を聞こうか?」
「――!」
灼熱の炎、と聞いた時、レイズは顔を強張らせ縋るように檻の後ろに控えているエリオを見た。
ルーク家は世界の裏側を生きる執行者だ。ここに呼ばれた意味など考えなくてもわかる。
「……」
エリオは弟の視線に答えず、真っ直ぐにレオンドールを見ていた。
耳が痛くなるほどの張り詰めた空気と静寂の中、亜人の王はゆらりと顔を上げ、獲物を見据えるように目を見開き、不敵な笑みを浮かべた。
「……女神の加護?」
短く嘲笑う声が響く。
亜人の王は、瞳孔が開ききった眼で歪に笑い、固く握り込んだ腕を振り上げ、檻の周りに張り巡らされた魔力の壁を破ろうと殴りつけた。
「あはっ、あははははっ……!」
年齢のわりに高い笑い声が空気を切り裂き、彼の見開かれた眼はレオンドールだけを捉えている。
魔力で腕が焼け、激痛が走ろうとも何度も、何度も殴りつけ、額を押し付けて檻を破ろうとした。
「侵略を信仰という綺麗ごとで隠し、正しさを主張する……愚かな女神の奴隷が法を語るか!」
全身が傷だらけになっても、諦める事なく殺意を剥き出しにする亜人の王ロディオールは、目の前の男を引き裂こうと腕を伸ばす。
「この身が終わり例え首だけになったとしても、貴様の喉笛を噛みちぎり、必ず報いを受けさせる……!」
荒々しく狂暴性をあらわにした彼の目には、仲間であるジークやレイズ、リズの姿は映らない。
そこに、仲間だったあの陽気で優しいシャオロンの姿はなかった。
あるのはただ、憎しみと復讐の狂気に飲み込まれた嵐龍王ロディオールの本性だ。
「シャオロン……すごく怒ってる。リズは見たくない…………」
威圧感に圧倒されていたジークの耳に、リズの消え入りそうな声が入って来た。
魔力の檻を破ろうとしていた亜人の王は、やがて毒が体中を蝕み、吐血し咳き込みながら意識を失ってしまった。
「シャオロン! いってぇ……」
ジークは顔を上げたが、すぐに押さえつけられてしまう。
「毒が回る肉体で、まだあれだけ動けたのか……汚らわしい亜人は、人間の足元に跪いていればよいものを生命力だけはしぶとい……」
冷たく見下ろすレオンドールは、そう言うと罪人達へ判決を下した。
人間でありながら亜人の王を匿い、反乱組織に協力した罪により。
エリュシオン傭兵団AHOU隊のリーダー、ジーク・リトルヴィレッジ――死刑。
エリュシオン傭兵団AHOU隊、レイズウェル・ルーク、及びリズウェル・ルークの両名――幽閉刑。
これにより、四大貴族の東のルークは土地を他へ譲り、貴族の資格を剝奪され、レオンドールに仕えることとなる。
事実上、レオンドールに従い続けるしかない人間の奴隷となる事が決まった。
「――以上で、裁判を終了する」
北の大貴族が締めくくると、レオンドールは「罪人の処刑は明日だ。連れて行け」と短く言い捨てた。
「……ッ」
わかっていた事なのに、申し訳なさで胸が潰れそうなレイズは、険しい顔で兄を見やる。
判決を聞いたエリオは、いつもと変わらず落ち着き払った様子でレオンドールの前に向かうと、膝をついて忠誠を示す。
責任感の強い兄に貴族の資格を捨てさせ、膝をつかせてしまった事が苦しい。
だが、自分が決めた結果だ。縋るな、情けなく喚くな。レイズは、喉元まで出て来た言葉を飲み込んだ。
「……」
ジークは自分が間違った事をしていないと思っている。
当然、この裁判に納得がいっていないが、身動きが取れないのでレオンドールを睨むことしか出来なかった。
「…………」
リズは立たされ、先にジークが鎖を引かれて牢へと連れられて行くのを見ていた。
レオンドールは玉座から立ち上がるとそんなあの子に近付き、杖を差し出して右横の髪を持ち上げ顔をまじまじと見ると、目を細め唇の端をじわりと上げた。
「ルークの子は四人だと聞いていたが、その瞳と髪色……そうか、ミリアム……悪くは無い」
「……?」
「裏切りの末に死んだあの魔女の代わりとなり、今後はこの世界の為に尽くすのだな……」
不安げに顔を曇らせたリズは、自分を見つめるレオンドールの目の中に野心が宿っていた事に気付かないまま、レイズに続いて地下の牢へと連れていかれてしまった。
「急ぎ、我が聖剣を打ちなおせ! ロディオールを逃がさぬよう離れの塔へ閉じ込めておき、亜人共に見せつけるのだ!」
レオンドールは杖を向けて命令をすると、仕えている貴族達を引きつれ謁見の間をあとにする。
「……ああ、そうであったな」
だが、思い出したように後ろに控えていたハツに近付くと、女神の加護が宿る杖を亜人である彼に向けた。
「アインローズ、この度も傭兵団への潜入の結果を認めよう。お前ほど優秀な奴隷はいないだろうな」
「ありがとうございます」
ハツは全ての感情を消して義務的に答える。
名前ではなく種族で呼ばれる事に、どこまで認められても奴隷だという事実は変わらない。
そうだ、変わらないのだ。
物心ついた頃から何度もエリュシオン傭兵団の入団試験を受けては怪しい動きをする人間に近付き、反逆者を見つけていた。
その度に偽りの友情を作り上げ、裏切るたびに心は擦り減り、今じゃ何も感じなくなってしまっていた。
人間の王、レオンドールの亜人奴隷であるハツに命じられていたのは、傭兵団へ入り国に反逆する輩を探すことであり、亜人奴隷を崩そうと諦めないジークと、彼を慕う亜人の王を突き出す事だった。
幼くして、人間に拾われ奴隷として過ごしてきたハツには帰る場所などない。
だから生きる為に何でもやった。
仲間と呼んで笑い合う裏で主人に報告をし、いつも一歩引いた所から機会を探っていた。
偽りの関係を築いてまで叶えたい願いがあるのだ。
「レオンドール……様、例の願いなのですが……」
ひとつは、亜人を捨てた嵐龍王ロディオールへ復讐を。
胸の中に渦巻く怒りを抑えながら、サッと膝を折りレオンドールの足元へと頭を下ろす。
絶対的な服従と、この男の奴隷という身分を受け入れた姿勢で願うのはもう一つ。
「今回の潜入時にロディオールを突き出し、反逆者を見つけ出せば、ガリアンルースの森には手を出さないと約束してくださりました」
「ああ、あの件か!」
今思い出したと大げさな態度で頷くレオンドールに、ハツは嫌な予感がしながらもわずかな希望にかけて続ける。
「あれを叶えて頂きたいのです」
幼い頃からレオンドールの奴隷だったハツは、自分を買ったこの男が憎かった。
亜人の中でも変化できる種族はとても珍しく、見せ物にされ酷い虐待を受けて育つ。
言われた通りに働けないと寒空の外に捨て置かれ、ろくに食べる物も与えられず死んだ両親が恋しくて何度も泣いた。
それでも生きる為に泥水をすすり、どんなに汚い事でもこなし、薬学と戦う術も身に着けた。
人間だと偽り、心を通わせた友人だって何人も捨てた。
それもこれも、ただひとつ。
――全ては、自分のような子供を増やさないために。誰よりも亜人を想い、助けたいと願っていた。
けれど、そんな不器用なハーヴェンの思いは叶わない。
「あんな話を真に受けるわけがないだろう? 何故、主が奴隷の願いを聞かねばならん」
レオンドールが放った言葉は、あまりにも惨いものだった。
「そんなっ……、約束をしてくださったではないですか!」
ハツは感情を表に出さないよう冷静に話す。だが焦りで指先がじわりと冷え、呼吸が出来ているはずなのに息苦しくなっていた。
「その為に……ッ! 今まで従って来たのに何故ですか……」
思いつく限りの言葉を並べ、濁った泥の中に沈もうとする思考を引き上げる。
「アインローズ! 貴様をある程度自由にさせていたのは、扱いやすい従順な奴隷であったからにすぎん。所詮は奴隷の分際で、人間の世界の事に口出しをするなど思い上がるな!」
「……ッ」
レオンドールは激しく言い放った。
「今頃は既に亜人狩りが始まっておるだろう。じきに、ガリアンルースの森へ逃げ込んだ亜人もろとも囚われ、市場に並ぶだろうな!」
希望を失った亜人奴隷を笑い、そう言い捨てたレオンドールは、杖を振り上げハツの頭へ叩きつける。
「約束を違えるのですか…………」
殴られてもなお、ハツは抵抗せずにレオンドールのつま先を見つめる。
「約束をした覚えなどない! あぁそれと、ガリアンルースの亜人区画で捕らえた亜人がお前の名を呼んでいたそうだ。おかしな発音で、死ぬ間際まで! お前を呼んでいた!!」
怒りに任せてハツを殴るレオンドールは、息を切らせながら言う。
「解放組織と名乗り、反乱を率いたのはロディオールではなくお前だともわかっている。わかっていて生かしているのだ。これがどういう意味なのか、わからないわけでもあるまい?」
レオンドールの耳障りな笑い声が頭の先から降って来る。
いつの間にか、殴られていた頭から血が流れていた。
「…………」
ハツは感情を失くしたまま、無意識に自身の首に刻まれた金の紋章に爪を立てていた。
亜人解放組織の同胞は、ハツが秘密裏に少しずつ誘って集めた戦士だった。
彼らは作戦で命を落とす事も覚悟していた。
あの日、次々と倒れていく同胞を思い出す度に息が詰まり、どうしようもなく心臓が締め付けられる。
亜人を守りたいというこの感情は本物だ。
犠牲を承知で命を天秤にかけて戦った。
散っていく彼らを前に動揺した心を、亜人を見捨てた王への復讐心と『ガリアンルースの森を守るという約束』で引き留めていた。
だから、この不確かな約束を叶える為に何の罪もないジークだって犠牲にした。
なのに全部、無駄だったのだ。
全て、レオンドールの手の上だったのだろう。
あんなに時間をかけて集めた亜人の仲間も、これまで裏切って来た人間の仲間も全て失ってしまった。
結局は、どちらの中にも入れず亜人でもなく、人間でもない混血児の自分を思い知る。
「身のほどを知れ」
膝をついたまま動かないハツを鼻で笑ったレオンドールは、貴族達を連れて謁見の間を出て行った。
次々と人影が無くなっていく中、顔を上げられないハツは、周囲の音が遠くなっていくのを感じていた。
絶望は心に残ったわずかな明かりも飲み込んでしまう。
奴隷の紋章は、一生逃れられない地獄の証だ。
守りたいものの為に、大切なもの捨てるのが正しいかなんていう正義の境界は、いつも曖昧なものだ。
だからこそ人は迷い、自身の正しさを証明したがるのだ。
目を見開いたまま、虚空を見つめるハツの目尻に赤い血液が流れ落ち、涙のように頬を伝った。
「そう……さな……そう……」
そう小さくこぼし、亡霊のようにふらりと立ち上がったハツは、目元を流れていく血を服の袖で拭い顔を上げる。
守りたかったモノも、支えてくれたはずの友も、全て失ってしまった。
ただ一つ残ったのは……これでこの体が壊れてもいいから、あいつを地獄に叩き落とす、という決意だった。
