第80話『命がけの脱出』※後半、微残酷描写注意

 ジークは辺りの音に耳を澄ませて眉を顰めた。
 風の音だけが聞こえる草原は何か唸り声と殺伐とした不気味な気配がしていた。
 高い岩で囲まれた草原に一か所だけある入口の前で、レイズは苦虫を食い潰したように唸る。

「ダメだな、わかっちゃいたが開かねぇわ……」
 
 放り込まれた入口は固く閉ざされていて、ジークと二人がかりでも動かない。おそらく、人間と根本的に体の造りが違う亜人用の物なので力づくで開ける事は出来ないだろう。

「いいや、諦めたりしないぞ。とにかく何とかしてここを出よう!」
 
 ジークは改めて高い柵を見つめると口を引き結ぶ。入り口がダメなら柵をよじ登って逃げようと考えたのだが、何十メートルはあるだろうか……あの高さから落ちれば終わりだ。命綱なしで上りきるには現実的じゃない。

「上るのも無理だな。あれ、見ろよ」

 眼鏡のつるを持ち上げたレイズに言われ、顔を上げると高い柵の頂上に二頭。緑色の何かがいるのが見えた。
 大きさはジーク自身と同じくらいだろうか? 長い尾と背中から生えた大きな双翼が特徴の生き物だ。

「なんだい、あれ?」
「確か、ガキの頃に読んだ女神の伝承に描いてあった、ロディオールの一族の正体であるりゅうだろうな」
「龍……?」

 レイズの解説を聞いたジークは大きく目を見開く。
 大空に翼を広げてこちらをジッと見下ろしているのは、動物や魔物とも違う亜人戦争を生き抜いたロディオールの一族なのだと言う。

 大きな固い膜で覆われた眼球に、太陽光を浴びて輝く鉱石のような鱗、力強い四肢と大きな翼を持つ彼らは、その存在をもって誇りと歴史を体現している。

「すごいな……あれがシャオロンの種族……かっこいいな!」
「女神さまの本に描いていた姿とほとんど同じだ。見られてリズはとても嬉しい」
 
 ジークが初めて見る龍に見とれていると、女神オタクのリズがこくんと頷いた。
 柵の上からこちらを見張っている龍から目を逸らしたレイズは解説を続ける。

「その中でも嵐龍王ロディオールとその王族は、世界にある自然の力を操る事が出来たらしい。あの本が正しければ嵐龍王の身内は炎と大地の龍だった。おそらくさっきのフェイロンは火炎の龍だな」

「じゃあ、嵐龍王のシャオロンは何の龍なんだい?」

「そのまま、嵐だと言われている。正しくは風を操る白龍だ」

 目を輝かせて尋ねたジークに苦笑したレイズは「伝承によればな」と付け加えた。

「そうなんだな。なんだかシャオロンらしいや」

 つかみどころのないシャオロンの性格を思い、ジークも苦笑いを返し今までの話を戻す。

「……じゃあ、もしかしてこの柵を上って逃げようとしたら、あの緑色の龍が襲い掛かってくるってコトかい?」

 目を皿のように細めて顔を引きつらせているジークに、曖昧に眉を上げたレイズは肩をすくめる。

「おそらくな。ひとまずはこのまま先に進むしかねぇ、作戦を立てるぞ」

「うう……了解なんだぞ」
 
 一筋縄ではいかない状況にガックリと肩を落としながらも、仕方なく歩き出すのだった。

 用心深く辺りを見渡しながら見晴らしのいい草原の奥へと進む。
 岩陰から何かの唸り声がし、背後から不穏な気配が突き刺さる。

「何かいる! みんな、気を付けろ!」

 すぐにナイフを抜いたジークは二人に声をかけ前に出た。レイズは後衛でリズだけに頼るわけにはいかないからだ。あまり戦えないながらも足を引っ張るつもりはない。

 『何か』は、獣の咆え声を上げながら勢いよく飛び掛かって来た。

「ッ!」
 
 身構えていたジークはナイフを向けた直後に驚いて躊躇ってしまう。辛うじて振り下ろされた剣の一撃を防いだものの、連続して振り払われる刃を受けきれずに頬が切れてしまった。
 反動で数歩下がり、呼吸を落ち着け相手に視線を合わせると目の前にいる相手の姿が鮮明になる。

 相手の血走った鋭い三白眼が獲物を捉えていた。
 獲物は言うまでもなくジーク達、人間だ。ざわざわと風が鳴り、ジークは鳥肌の立つ感覚がした。
 
 そこには、豊かなたてがみと肉食獣の筋肉質の上半身を持ち、人間と同じく二足歩行をする亜人がいた。
 
 だらしなく半開きの口からは尖った牙が覗き、透明な唾液が零れ落ちている。
 亜人は、剣に付いたジークの赤い血を舐めとると口の端を吊り上げた。

「……肉食の亜人!」

 すぐさま頬の傷から流れる血を服の袖で拭ったジークの傍に、拾った木の棒を握るレイズと氷の剣を召喚したリズが集まって来た。
 
「一体じゃねぇな」

「三人いる」

 口々に短い会話を交わすと、リズは地面の魔法陣から呼び出した双剣を抜いて踏み込んだ。
 振り下ろされた刃を軽い身のこなしで躱し、背後に回ると肩を狙って切りつける。

 だが、急所ではないので深手を負わせられず、足に力任せの一撃を食らってしまった。

「リズ! 下がれッ」
「レイ……!」

 すぐさま癒しの炎が燃え上がり、リズの傷を癒していく。その時間を作ろうとレイズは片割れの前に出る。

「ヴォルフ!」
「わんっ!」
 
 レイズの命令に吠えた守護獣のヴォルフが炎を吹くも、レイズの魔力では威力が足りない。致命傷にならず一瞬の牽制にしかならない。

「レイズ!」
 
 亜人の振るう重い一撃がレイズに落とされる瞬間、ジークは飛び出して行った。
 彼を突き飛ばしてかばい、すぐに立ち上がり獲物をしとめようと振るう刃をナイフで受ける。

「うおぉおおっ!」

 これでもずっと戦闘訓練は続けていたのだ。負けてたまるか。
 ジークは剣を弾き返すと、三人同時に襲い掛かる亜人の攻撃を受けようと歯を食いしばった。

「させない!」

 その瞬間、地面に青い魔法陣が浮かび空気中に氷の結晶が舞い、足元を凍らせ亜人の動きを封じた。
 足の傷が癒えたリズは魔法の詠唱をしている。

 女神を称える一節が読み上げられる中、レイズは頭上に影が落ちた事に気付く。そして、目の前を小さな影が通り過ぎて行った。

「……あれは? まさか……!」
 
 レイズは空を見上げた後に片割れの魔法陣のすぐそばを、ウサギによく似た亜人が逃げていくのを見て仲間の二人に声を張り上げた。

「待て! やめろ、魔法や武器を使うな!」

 リズの肩を掴んだレイズは、もう片方の腕でジークのマフラーを引いて止める。

「やめろって、何でだい? このままじゃ食べられちゃうんだぞ!」

 ジークはレイズの腕を振り払うと険しい顔で言い返す。
 リズは何も言わず片割れに従うが、周りに浮かぶ氷の剣は手放さない。
 
「違う、これは見張られている! 俺達が亜人に危害を加えればすぐにでも龍神族が殺しに来る! そうなりゃフェイロンと話をするなんて無理だろ!」

 声を荒げてそう言ったレイズは、頭上を旋回する緑色の龍を指さす。足元には戦闘中だというにもかかわらずウサギに似た小さな亜人もいた。

「あ……じゃ、じゃあどうしたらいいんだい⁉」

 ジークもそれに気付くと動きを止めレイズを見た。

「物理に頼るしかねぇんだよ! この世で最も原始的かつ殺傷能力が低く、この身一つで出来る護身術っつったらソレしかねぇだろ! そんで、逃げる! 逃げて逃げまくる!」

「だから、何なんだい! わけわかんないんだぞ!」

「ん、リズは理解した」

 言い合いをする二人の前でリズは魔力を通わせた氷剣を溶かして形を作り替えた。
 鋭く切れ味のよかった刃は太い棒に変わり、握り手だけはそのままに。

 一度、水に戻してから魔力によって作られた、ある意味最強の武器を持ち上げる。
 きらきらと透明に輝き冷気を放つソレは、どこからどう見ても固いアイスキャンディーだった。
 
 リズはその一つをジークに投げて寄越すと、『ムフー』っと満足げな無表情を向けて来た。

「ジークも使う。これでバシバシする」
 
「ハッ、わかったぞ……ケツバットかい⁉」

 途端に何故か瞳の輝きを取り戻すジーク。変態か。
 
「んなわけねぇだろ! てめぇの低俗な発想にリズを巻き込むな!」

 もうどうしようもない状況でも突っ込むレイズだが、正直これが一番効率のいい手段な気はしている。
 
 そうこうしていると、氷に足を取られている亜人達は動けずとも唸りを上げて襲い掛かろうと牙を剥く。

 だが、それを迎え撃つのは氷でできたアイスキャンディーを肩に担ぎ、不気味な笑みを浮かべる人間達だった。

「大丈夫、大人しく引き下がってくれるのならちょっと痛いだけだからな……!」

 ジークは濁った目を輝かせながら、フヒヒ……と気持ちの悪い笑顔で言う。

 ギャワーン!

 肉食獣たちが住まう草原に、『バチコーン!』『スパァーン!』という気持ちのいい爽快な音と共に、可哀想な鳴き声があがったのは言うまでもない。

「……ふぅ、死ぬかと思った。穏便に退いてくれてよかったんだぞ!」

 泣きながら逃げていく肉食亜人達を横目に、ジークは滝のように流れる清々しい汗を拭いながら『やり遂げたおとこ』の顔をしているが、やっていた事はケツバットである。

「いや、俺は色んな意味で死んだわ……」

 人生初のケツバットを披露してしまったレイズは、汚いものを見るような目でジークを見ていた。
 ちなみに、リズはケツバットがそれなりに楽しかったのか、無表情のまま素振りをしている。

 同胞をボコスカ殴って追い払っていた人間を見ていたのか、警戒した他の亜人達は今のところ襲ってくる様子はなさそうだ。
 ジークはケツバットの事はおいて話の続きをする。
 
「それにしてもシャオロンが白龍はくりゅうって……なんかやっぱり話のスケールが大きすぎて頭がついて行かないんだぞ……」

 ぐぬぬ、と頭を抱えるジーク。でも、思えば初めてシャオロンに出会った時にも不自然な嵐が起きていた気がする。
 ルークの襲撃にあった船から逃げ出す時の事だ。
 ジーク自身、あの時は慌てていたし半分パニックになっていたのだが、よく考えればあんなにタイミングよく嵐が来るわけない。

「シャオロンはいつも俺達を助けてくれたんだ。いつだってそう!」

 あの時の事を思い出していたジークは両手の拳を握って表情を引き締める。
 肩に乗ったヴォルフを撫でるレイズは、釈然としないながら緩く首を振った。

「けど、なんかおかしい気がするんだよな。魔法に対しての警戒が薄い事もだし、武器も取り上げられてない。白ヘビを殺したがっている理由もなにか引っかかる……」

「レイズ、考えすぎだろ。シャオロンはいいやつだよ。人間と亜人が共存できる為に動いていたんだから、人間を憎むフェイロンは人間と仲良くしたいシャオロンが邪魔だと思ってるんだぞ!」

 ジークは、レイズが何を悩んでいるのかわからず気のせいだと言う。
 シャオロンはジークがどんなにやらかしても失望せず協力してくれた大事な仲間だ。

 ゲルダさんの葬儀の時に悲しみ涙を流していた姿に胸が痛かった。
 腹黒い所もあるが、見えない裏側から仲間を支えてくれたのも彼なのだ。
 
 眼鏡の端に指をかけたレイズは、レンズの奥の赤眼を閉じると溜息をつく。
 
「だったら、あの場ですぐに俺達を殺していただろ? 今だってわざわざ見張りを付ける必要なんてないはず。そもそも何で魔法を封じなかったのか……」

 そうなのだ。何故こうして回りくどい事をするのだろうか。
 
「それとも技術的にそれが出来ねぇのか、ならやっぱり殺した方がいいと思うんだがな……」

 レイズはブツブツと独り言を零して考えているが、何も根拠がないので答えは出ない。

 フェイロンが好戦的なのは少し会っただけでわかる。だが、あの性格ならば人間を恨み復讐しようとするだろう。

 なのに、そのわりにこの亜人の住処は平和すぎるのだ。
 
 一切の争い事を感じさせない、人間である自分達を妙に珍しがり友好的だった亜人、まるで龍神族以外は戦争のことなど知らないかのように穏やかな時間が流れていた。

 空間を遮断する結界もそうだ。人間に対する憎しみを捨てて世界を切り取ったかのような平和な楽園……それがとてつもない違和感を与えている。

「違うな。人間を避けた、亜人を守る為の隠れ里って言った方がいいな……」

 レイズは脳内で並べたてた仮説を順番に読み解きながら呟く。
 氷の剣もとい、氷の棒を器用に投げて遊んでいたリズは、一人悩んでいる片割れに首を傾げた。
 
「女神さまは、亜人は悪ものだって言っている。でも、リズは本当なのかわからなくなってきている。女神さまは好きだ。シャオロンも好きだ……」

 リズもどこまで感じているのかわからないが、俯くと髪を括っているリボンにそっと触れた。

「シャオロンはある人と会う為に人間の世界に来てるんだ! きっと、どうしても会いたい人がいるんだよ。シャオロンは人間の味方で亜人の味方、そうに決まってるんだぞ!」

 何も疑うことなくニコニコと笑うジークは、この言いようのない違和感に気付いていない。

「会わせてあげたいんだ。だからその人に会えるように、絶対に助けるんだぞ!」
 
 ただ、真っ直ぐに仲間を信じているのだ。

 ――――――――――

 
「女神に支配された人間は愚かで生き汚い……」
 
 陽の光が差さない暗い地下室、魔力を練り込まれた頑強な鎖に四肢と首を繋がれていた白い龍人は、待ち望んでいた訪問者に慣れた異種族語で語り掛ける。
 
 かろうじてヒトの姿を保っている肉体はすでに長く拷問を受けて傷つき、本来の姿に戻りかけていた。

 小柄な背中から突き出し剥き出しになった純白の翼も、今は血と泥で変色している。
 ひとつ残らず爪は剥がされ、指の関節も不自然に曲げられていた。

 自由を奪われて死を待つだけの絶望の中にいてもなお、亜人の王である彼の瞳は暗闇でもわかるくらいに黄金色の光を放つ。

「自分以外の何かを犠牲にし、欲望のままに幸福を貪る害悪さは尽きない……」

 呪いの言葉を吐き出した嵐龍王ロディオールは、瞳孔が大きく広がった瞳を冷たく細めると、突然声を上げて笑い始めた。

「あは……あはははははは!」
 
 彼が笑う度に四肢を縛る鎖が音を鳴らし首輪が締まる。

「ねぇ……」
 
 まるで、それがスイッチだというように静止した後、彼は……嵐龍王ロディオールは、シャオロンはゆっくりと顔を上げた。

「僕がわざわざ人間の中に溶け込んでまで生きてきた理由を教えてあげルヨ」
 
 視線の先は、魔力が通う格子の向こうにいる一人の男に向けられていた。
 やけに柔らかく人懐っこい口調は彼のお決まりのそれ。ただし、顔は笑っていない。
 
「……!」 
 
 明るい声色と表情が伴わない異様の雰囲気に飲み込まれ、男は朗らかに笑うシャオロンを睨み付けたまま何も言えなかった。
 
「僕は、僕の名はシャオロン・リーデルハオラロディオール。今代の嵐龍王であり、お前を殺して人間を根絶やしにする為だけに生きて来たんだァ……!」

 無邪気に声を上げて笑う体に、男の側近が放つ魔力の槍が突き刺さる。
 いくつ閃光が貫こうとも怯まずに男を睨めつける双眼は勢いを失くさず。

「無駄なのわかるでしょう? 先代の人間は伝えて来なかったノ?」

 アハハ! と目を見開き狂ったように笑うシャオロンは、目の前で言葉を失っている人間の男に向かって嘲るように吐き捨てた。

「ずっとずっと、会いたかったヨ? 英雄王レオンドール……さぁ、また戦争を始めよう? 人間族の血の雨を降らせてよ!」

 遊びに誘うように嬉々としてそう言ったシャオロンは、抑えていた自身の力を解放した。
 最初に右腕は膨張し皮膚が裂け、ヒトのモノではなくなり、鋭い爪を持つ巨大な龍へと変わっていく。

 愛嬌のある丸いナッツの瞳は感情の読めない龍眼となり、彼の肉体の変化と合わせて辺りに強い風が吹き荒れる。
 自らを縛っていた鎖を引きちぎり、自由を手にした白龍は大空へ飛び立つ。

 ――狂乱の嵐が呼び起こされる合図だった。