第85話『挑む先に②』

「ジークはフラクタを倒したの、知ってる」

 ぴょこりと前に出て来たリズは、そう言うと慣れた手つきで靴底に隠していた短いナイフを取り出す。
 ハツといいリズといい、奇襲が得意な奴はどこかしらに武器を隠しているのがデフォルトなのだろうか……。

 ジークがそんな事を考えていると、ナイフの刃を向けてきたリズが言う。
 
「最初に言っておく。リズは暗殺術を知っていても決闘に勝つ方法はよくわからない」
「へ? でも君って剣術もすごいじゃないかい。双剣使ってるし……」
「暗殺は奇襲がメインだけど、決闘は正面から戦う。とても似ていて違う」

 フルフルと首を振ったリズは「それに……」と続け、ナイフを逆手に持ち替え体勢を下げ、ゆっくりと一歩踏み出した。
 ジークは懸命に目で追うが、あの子は一呼吸のうちに背後へ回り、垂れたマフラーごしに刃を突きつけていた。

「ジークは体の使い方が悪い」

 リズはいつもと同じ抑揚のない声でそう言った。
 
「なっ……」
「はい、死んだ!」

 あまりにも急な事で何も言えない。レイズが、にやにやと笑いながら揶揄う。
 ジークはリズがいつ後ろへ回ったのかわからなかった。
 足音と気配を消し、素早く背後を取り仕掛けるのは暗殺者の基本の技だ。

「ぜんぜん……見えなかった……」

 目を見開いたまま固まってしまったジーク。

「ジークの使っているそれは、ロアル銀のナイフ。切れ味は悪くないけど脆い」

 ナイフを下ろし数歩離れたリズは、もう一度姿勢を下げて突きを繰り出した。

「……!」
 
 真正面からの攻撃を防いだジークは、手首を使ってリズのナイフを受け流し反撃を繰り出した。
 ぶつかり合い甲高い金属が鳴る。リズはジークの攻撃をいとも簡単に弾くと切りつけていく。

 ジークはこれもしっかりと目で追い避ける。そして右足に体重をかけて踏み込み、攻防を繰り返していく。

 打ち合いは続き、ジークはだんだんとナイフが手に馴染んでいくのを感じていた。

「反射神経はいい。ナイフの一撃は深くないけれど、狙う場所によっては素早く致命傷を与えられる」

 そして、リズはジークの動きを見ながら説明を入れてくれる。さっきから打ち合いが成立していると思っていたが、わざと手加減しているのだ。

「そう、一撃に体重をかけて……突きを出す時は大きな血管を狙う、今のを避けるのはいい動き」
「なんか、だんだんわかって来た……ぞ!」

 向けられる攻撃を全て受け流し、反撃を繰り出していくリズに教えられ、ジークはナイフの基礎がわかってきた。今まで手あたり次第に振り回していたのでいまいち薄っぺらい戦い方をしていたようだ。

「あの方は戦士でしょうか?」

 そんなリズを見てケイナは尋ねる。

「ルークの一員で俺の片割れです。つか、教えるのうまいな……意外すぎる」

 ぎこちない敬語で答えたレイズは思わず手で口元を覆う。
 まさかリズが他人に物を教える事がうまいとは思ってもいなかった。
 
 てっきり、いつものように単語をくっつけただけのぶっきらぼうな話し方をするかと思いきや、意外にも褒めたりしている。

 しばらく攻防を繰り返していると、突然リズが動きを止めた。

「ン? ……ンン、ウン」
 
 リズはナイフを下ろし、ジークの事をじろじろ見ると少し考え、自分の中で納得がいったのか頷き質問を繰り出す。

「ジークはフラクタを倒した時、どんな武器を使っていたの?」
「フィア……大きな鎌かな、こう……黒くてカッコいいやつ」
「今は使えないの?」
「レオンドール城でフィアと離れちゃったんだ。だから今はいないんだ」
「……ン」
 
 リズはたいして気にする事もなく短い相槌を打った。
 フィアは周りの仲間には見えないので、持ち主のジークが大鎌に名前を付けているだけのものと思われているのだ。
 
 がっくりと項垂れるジークを前にして、リズは「そう……」とだけ答えると唐突にジークの腕を掴んで自分の目の前に持ち上げた。

「うおっ、なんだい!?」
「何か変だ」
 
 驚いて転びそうになったジークの指に自分の指を絡ませたリズは、不思議そうに首を傾げて言う。

「ジークは魔法が使えない一般民なのに、女神さまの匂いがする……いい匂い、女神さまだ」
「へ……?」

 女神エリュシオンの大ファン……熱狂的なオタクのリズは、ジークについている(らしい)女神の匂いとやらをもっと味わおうと顔を近付けて来たが、通常通りの真顔なので何とも言えない威圧感が迫る。

「ジークは腕や足も平均並みで重い。とても弱い。なのに、フラクタを倒したとなると何か特別な戦い方をしたんじゃないかと思っている」

 そう言ったリズは嬉しそうに青空色の瞳を細め、ジークの指を握って緩めてと遊んでいる。
 こんなご機嫌なリズを見る事はほとんどない。

 何なら、こうやって自分から他人の手を握るなんてやるような子だっただろうか。

「ひぃ……特別って、フィアが力は欲しいかとかなんとか言ってた気がするんだぞ!」

 このままじゃレイズに殺される……! 直感でそう思ったジークは、滝のような汗をかきながら慌てて言葉を返す。
 途端にリズの目がキラリと輝き出した。

「ちから? ……もしかしてジークも女神さまの事が大好きなの? ねぇ、ねぇねぇ、ねぇ!」

 声のトーンを上げたリズは、これでもかというくらいにジークの眼を覗き込む勢いで近付いてくる。
 大好きな女神の事となったら我を忘れてしまう性分なのだ。
 それにしても近い、近すぎる……。
 
「ファーッ! 怖いこわいコワイ! 無表情なのはやめてくれよ!」

 恐ろしくなったジークは悲鳴を上げながら逃げ出し、レイズに助けを求めるも彼はドデカイ舌打ちの後に面倒くさそうに言うだけだった。

「リズ、やめろ。そいつに触るとバカがうつるぞ」
「バカって何だい!」
「あん?」
「……何でもないデス」

 とてつもなく適当な止め方をしたレイズは、抗議したジークを一睨みで黙らせた。
 過保護すぎるほど過保護なレイズにとって、この光景はハラワタが三回は煮えくり返っている事だろう。
 
「ン。気のせいかもしれない……でも、女神さまは大好きだ」
 
 あっさり手を放したリズは残念そうに口を引き結ぶ。

「お、おお……」

 ジークは普段、無口で大人しいリズの女神ラブ度合いと、バグった距離感に動揺が止まらない。
 あんなに指を絡められ、臭いを嗅がれるとは思っていなかったのだ。

 だが、これがネクラーノン状態の時だったらもっと大騒ぎになっていただろう……。
 『くんかくんか、スーハースーハー、ハァハァ』どころじゃすまないだろう。

 そう思うと、あれで済んだのはいい方なのかもしれないと思う事にした。
 
「いや、どんだけ女神に惚れてんさ」

 遠巻きに見ていたハツが呆れてツッコミを入れた所で、張り切った声が割り込んだ。

「さぁ、リズ! これで邪魔はいないぜ!」
 
 ジークを黙らせたレイズはリズの前に躍り出ると満面の笑みで両手を広げて言った。

「そんなに匂いを嗅ぎたいなら俺の匂いを嗅げ! さぁ、さあ! レイ兄さんの胸に飛び込んでこい!」

 さわやかどころか、胸やけがしそうなほどの甘いレイズ兄さんの弾けんばかりの笑顔。
 あまりの痛々しさにジークは思わず目を逸らしてしまった。

「この俺を心ゆくまで嗅げ!」と叫びながらリズへ迫っていく様は、もはや立派な変態である。
 
 そして、ちょっとどころか勢いがつきすぎてケイナも苦笑いを浮かべている。

「君、すごく気持ち悪いんだぞ」
 
 仕返しの時はドストレートに言ってしまうジークは、吐きそうになりながら真顔でツッコミを入れた。

「レイ……」

 少し迷いながらもテッカテカ笑顔の兄をチラリと見たリズは、次の瞬間、淡々とした顔で身も凍る一言を放つ。

「村長のわきの臭いがするからいい……」

 わき……脇! ワキ……! まさかのわき発言である。

「オヴォッ!」
 
 一瞬にしてレイズは美形が台無しの、くしゃみをする寸前の顔になり、スローモーションで地面に倒れ込んだ。よりによって脇である。ダメージは計り知れない。
 
「レ、レイズーッ!」

 ジークは心配して必死に呼びかけるが、頭の中は『村長のわきの臭い』が気になって仕方がない。
 一体、いつ嗅いだんだ。

「そ、そりゃぁシャワーなんて何日も浴びてねぇけどよ……よりによって脇かよ!」

 むくりと起き上がったレイズは、自分の服の臭いを嗅ぐと「ウッ……」と険しい顔をした。
 思えば、教会を出て走って転んで、追いかけられて、川に浸けられてここまで来ているのだ。
 臭いのも無理はない。

「何と言う事でしょうか……生死がかかったこの状況で何という余裕なのですか……これが人間という種の強さ……?」

 突然の茶番にケイナは恐れおののき後ずさっている。
 
「いや、アイツらが特別アホなだけさ」

 その横で冷や汗交じりのハツは辛辣に答え『AHOU隊だけに……』と心の中で付け加えた。
 

「……で、つまりジークはその大鎌がない状態で剣術の心得もねぇ。ついでに筋力や脚力には頼れねぇ。となると、技量と小細工を使うしかねぇさな」

 これでもかと言うほど脱線した所で、見かねたハツが話を戻そうと切り出す。

「体の使い方を見るに、ジークは剣の方がいいと思う」

 リズはそう言うと打ち合いに使ったナイフを靴底にしまう。
 
「もっとも、奴が軽く撫でれば致命傷さから避ける事をメインにするさか……?」
「身軽さを重視するならナイフでもいいかも……」

 ハツとリズはお互い目線を合わせる事無く、独り言のように会話をしている。
 
「なるほど、俺はナイフの方が慣れてるけど剣か……」
 
 ううむ、とジークは唸る。
 幸い、ハツは短剣から弓まで扱える武器が多く、引退していてもリズは元暗殺者だ。二人ともそこらに転がっていたジークより武器の扱いにも慣れている。

「……実際、刃が通らないかもしれねぇな」

 ジークの持つナイフを見てレイズが言う。そうだ、このロアル銀製のナイフがいかに鋭利といっても龍の鱗を持つフェイロンの皮膚に突き刺さるかどうかも怪しい。

「我らの皮膚は人間の作った鋼など通しません」

 その時、金属が軽くぶつかり合う音と共にケイナが間に入って来た。彼女はジークの前に透き通った黒の刃を差し出した。

 光を吸収した滑らかな刃は紙のように薄く、握ろうと手を出せば剣の柄が水のように溶けて流動し、ジークの右手を包み込んでしまった。
 人間の世界では、使い手に合わせて勝手にカタチを変えたりする武器はない。

「こ、これ……!」

 驚いたジークはケイナから受け取った黒の剣を放そうとしたが、剣はジークの手にぴったりと治まってしまっていた。

「……これは、我ら龍神族の扱う武器でありイリアス神の願いが込められた鉱石で出来ています。戦を決して諦めず、最期まで剣を手放さないように……」

「え、ケイナさん……? え?」

 状況がわかっていないジークは、焦りながらケイナと仲間達を交互に見ている。

「がんばれよ!」
「剣に振り回されんなさ」

 レイズとハツが手を振っている。
 龍神族のケイナは人間のハツやリズとは根本的に体の構造が違う。彼女が本気でかかれば死んでしまう。
 そのケイナが自ら訓練に付き合うと言う。

「私の剣の型はフェイロン兄様と同じなのです。剣というものは動きを体に刻み付けるもの」
 
 正面に立ったケイナは、ジークに渡したものと同じ黒剣こくけんを顔の前に掲げると凛として言い放った。

「参ります!」

 こうして、ケイナ先生の特訓が始まったのだった。