第30話『一夜明け』

「はぁ、はぁ……! レイズウェル、生きてたんだな。嬉しいんだぞ!」

「……」

 聞き覚えのある明るい声と、特徴的な金髪の前髪から落ちた汗がベッドに染みを作る。

 息を切らせ、無理やり視界に入ってきた満面の笑みのジーク(赤いフンドシ一枚)を真顔で見ていたレイズウェルは、のっそりと起き上がると周りを見渡し始めた。

 開け放たれた窓から入る風が破れたカーテンを揺らし、隙間から差し込む朝日が無造作に並べられたベッドと薄汚れた床を照らす。

 折れかけた柱は軋みを上げ、あちらこちらにボロが来ている小汚い部屋の一室に寝かされていたことがわかる。

「ここは……」

 おもむろに自分の顔に触れると、痛みはない。

 そうして手足に欠損もなく、顔にも傷ひとつない事がわかると、背筋から指先までぴっしりと伸ばした美しい姿勢で両手を二度叩き、部屋中に響く凛とした声で言い放った。

「誰か、この汚物を処せ!」

「ちょ、誰が汚物だい!?」

 まさかの反応にショックを受けたジークは、持っていた木の棒を下ろし、ベッドサイドの椅子へ掛けていたコールの制服を手に取って着替え始める。

 ついでといっては何だが、一緒に踊っていたベレット村の村長までショックを受けていた。

「ジーク殿……わしは魂のふんどしの舞をですな……」

「はい、おかげさまです! ありがとうございました。それではッ!」

 ジークは『魂のふんどしの舞』の起源を語ろうとする村長に、仕事用の好青年スマイルを向け、流れるような動作ですみやかにお帰りいただいた。

「まったく、これは君が目を覚ますようにわざわざ村長に協力してもらった復活のまじないなんだぞ……」

 村長を見送ったあと、ぶつぶつと文句を言いながら上着に袖を通すジークだが、赤いフンドシをはいたままなのを忘れている。

「呪いの踊りの間違いだろ。変態か?」

 レイズウェルは辛辣なツッコミを入れた。

「伝統芸能を受け継ぐことは大切なんだぞ」

 ジークは不満顔で言い返すが恥じているわけじゃない。

 いっそ、気持ちがいいくらいに堂々としているので、魂のふんどしの舞は、こうして受け継がれていくのかもしれない。

 それはそうとして、レイズウェルはジークに向き直る。

「しかし、死んでまでお前みたいなクソ庶民に会うとは思ってもなかったぜ」

 そう言って憔悴したレイズウェルは違和感があるのか、しきりに目を擦っている。

「巻き込んで悪かったな……俺たちのせいで死なせちまった……」

「いや、何のことだい? 君、生きてるぞ」

 申し訳なさそうなレイズウェルに、着替えをすませたジークはマフラーを巻きながら首をかしげる。

「死んだもなにも、俺は生きてるぞ。シャオロンも、ハツも」

「はぁ? お前らはフラクタに殺されたんだろ? 俺らのせいで……それで、ここは地獄なんだろ?」

 状況があまりよくわかってないレイズウェルは、訝し気に目を細める。

「地獄って、君……生きてるじゃないか!」

「いいや! 俺は確かに死んだし、天国がこんなに廃墟なわけねぇだろ! こんなボロくせぇ小屋、ありえねぇ……」

 大貴族だったレイズウェルにとって、AHOU隊の質素すぎる宿舎は今までに見た事がなく、それこそ地獄と見間違える程にみすぼらしいのだろう。

「は、廃墟……ボロクソに言うじゃないかい……」

 いっそ清々しいまでの価値観の違いに苛つき顔を引きつらせながらも、ジークは彼が目を覚ましたばかりだということを思い出して頷いた。

「君がどんな夢を見たのかは知らないけど、俺達は君の変なクネクネした兄貴に負けてもないし、死んでもない。ついでに君をここまで運んできてあげたし、死にそうな君を魔法で助けてくれたのはジゼルさんなんだぞ」

 相手が口を挟む間を与えずに一気に話し、続く言葉に少し躊躇いながらも口を動かした。

「それと、ジゼルさんが言うには、君の目の神経までは治せなかったらしい。それでも、彼女に感謝しないとだな!」

 ジークがそう言うと、レイズウェルは目元に手をやると頷いた。

「……そうか、だから目の端がぼやけて見えるんだな」

 自分でも納得しているのか、レイズウェルはそう答えると深く息を吐き出し、数秒の間を置くと思い出したように声を上げた。

「は……!? てことは、フラクタがお前らを殺ったって言ったのは嘘だってのか?」

「だから、さっきからそう言ってるだろ? 君の戦意を削ぐ為にそう言ったんだと思うぞ。君は騙されたんだよ」

 そう話すジークは、いつも明るく素直でわかりやすい彼にしては珍しく、どこか突っかかるような言い方をした。

 それもそのはず。あの後、亜人達の力を借りて何とかベレット村の宿舎まで戻ってきたはいいのだが、シャオロンとハツは用事があるからと、どこかへ行ってしまったのだ。

 行先を訊ねる間もなく村を出て行った二人は、夜が明けて朝になった今でも戻らない。

 結局、ジゼルさんに手伝ってもらって何とか手当てを終わらせたのだ。

 正直、ろくな医療知識もないまま、大怪我したレイズウェルをジゼルさんと看病するのは心細かった。

 仕方がないのでジークはジークなりに、レイズウェルが意識を取り戻すように色々と考えていたのであって、決して赤いふんどしを着て全力で木の棒を振り回すのが楽しかったわけではない。

 そう、村長に教わりながら全身を震わせ、力と魂の限り踊ったのだ。

それなのに、汚物と言われてしまえば気分は悪いというもの。

 ジークはそこまで言いたかったのだが、病み上がりで気分も悪いであろう彼に追い打ちをかける気はなかった。

 気を取り直すように腰に手をあて、右手の親指で部屋のドアをさす。

「なんにせよ、あの場にリズが居なかったことも聞きたい。ジゼルさんにもお礼を言うといいよ」

「ああ、そうする」

 先に出て行ったジークに軽く手を上げて返事をしたレイズウェルは、ベッドから出るとスペルの服を着ている事に気が付いた。

きっと、怪我の治療をする時に着替えさせてくれたのだろう。

 少しサイズがきついので、リズが着ていたものだとわかる。

 ふと、うなじを触れば、エリオに焼かれたのが嘘ではないというように肩まで伸ばしていた深紅の髪は焦げて半端に千切れていた。

 こんな姿になっても生き長らえた意味を考えてしまう。

 ふと、部屋の隅にある雑に積まれた荷物の山に目を向ければ、白い朝日に照らされた一冊の分厚い本が目に入った。

 ネクラーノンとして、確かにここにいたリズの忘れ物だ。

「女神エリュシオン、か……」

 これは聖書だ。片割れが大切にしていた思い出の本を手に取ったレイズウェルは、しばらくそれを見つめていた。

 一方、寝室からリビングに出てきたジークは、目を丸くしていた。

「これは……一体……?」

 ピカピカに磨かれた窓や艶のある壁と清潔感のある空間、そして花柄のクロスが掛けられたテーブルに並ぶのは、暖かい出来立てのパン、薬草や木の根が入っていない新鮮野菜のたまごスープ。

 空き瓶を利用して花も生けてあり、美しく飾られている。

 野郎しか住んでいない、むさ苦しく汚かったこの宿舎と言う名のボロ小屋が、たった一晩のうちに人間が住めるように大掃除されていたのだ。

「あら、あの子は気が付いたのかしら」

 ジークの気配に気付いたジゼルは、野菜の皮むきをする手を止めて振り返った。

 彼女の足元には、元気になった子供達が構って欲しそうにしがみ付いている。ふんわりと湯気が上がった色とりどりの蒸し野菜を皿に盛りつけるのは、夫のオルムだ。

 まるで、ここが本来の家であるかのように過ごすジゼル一家の適応力にジークは驚く。

 それと同時に、記憶にはない知識として理解している、家族というものも感じていた。

「あ、はい。もうすぐ出てくると思います」

 料理や家の中に気を取られていたジークが遅れて返事をする。

 隣の家のおばさんは、ジゼルが目を覚ましてすぐに帰ってもらったのだと聞いた。

 一般の人を巻き込まないためよ、とジゼルは優しく笑う。

 そんな姿に、これが母親なんだな……とジークは心の中で思った。

 その時、小屋のドアが開き、トリートの制服のフードを深く被ったハツとシャオロンが戻ってきた。

「ハツ、シャオロン! 二人ともどこに行ってたんだよ?」

 口が裂けても心細かったとは言えないジークは二人を迎える。

「偵察さ。夜通しはさすがに疲れたさ……」

 フードを脱いだハツは、部屋の隅に雑に積み重ねられた干し草の上にそのまま倒れ込んだ。

「アレからこの村まで追ってこられてないか、ロレッタの街の様子も見てきたんダヨ」

 そう言ったシャオロンは、ごちそうに目を輝かせる。亜人の彼にとっては、ジゼルの作る食べ物はどれも珍しいモノなのだろう。さっそく、作り方を聞いたりしている。

「てか、この部屋どういう事さ? こんなに片付いてたさか?」

「ジゼルさんが掃除してくれたんだぞ!」

 ジークがそう答えると、ハツは返事をせずに薬草の上を転がっていた。

 やはり綺麗な家は居心地がいいのだろう。

 パンをつまみ食いしていたシャオロンが思い出したように言う。

「そういえば、ロレッタの街はちょっとした騒ぎになってたヨ」

「騒ぎ? どんなだい?」

 まさか、昨日の事が他の隊に知られたのでは……そうなれば、同じミラナ領に所属するジーク達にも調査が入る。ジークは、緊張しつつ先を促した。

「……それがね、原因不明の異臭騒ぎになってたんダ。なんでも、強烈な刺激臭のする液体が墓場に捨てられていたとかで……」

「……」

「毒物騒ぎになってルみたいダヨ。だから、僕らのコトは気付かれてないネ」

「…………」

 神妙な顔をするシャオロンだが、ジークはおもむろに鞄の中身を漁る。

 ない……ないのだ。

 フラクタと戦っていた時に、うっかり落としてしまったのだろう……昨日、出発する前に隣の家のおばさんに渡されたお弁当が、ない。

「ロレッタの街は、その話でもちきりダネ。ジーク、何か心当たり……」

「アッスゥゥ! それならそれでいいんだぞ! 偵察、アリガトウ!」

 もはや、異臭騒ぎで済んでいるのが奇跡なくらいだ。

 ジークは、グシャリと顔のパーツを中央に寄せ変顔を作り、謎の奇声を上げて無理やり話を終わらせた。

 そこへ、寝室のドアが閉じられ、足音が近付いてきた。

「お、やっと来たんだな! 待ってたぞ」

 ジークがテーブルに来るように手招きする。

 レイズウェルは、ゆっくりとした足取りでリビングに来るとジゼルに向けて右手を胸にあて、片膝を折って深々と頭を下げた。

 これは、四大貴族が目上の者に対して使う、最敬礼の作法だ。

「数々の非礼をお詫びします。それと、助けていただきありがとうございます……伯母上」

 そう言って顔を上げたレイズウェルは、背筋を伸ばし堂々と立っていた。