「……」
食器の当たる音がし、暗闇から引き戻される感覚にレイズウェルは目を覚ました。
顔を上げ、まだ働かない頭で周りを見渡せば、見慣れた燭台と白いクロスが目に入った。
いつの間にか食事の途中で眠っていたようだ。
思えば、最近は大きな仕事が続いてばかりで疲れがたまっていたのだろう。
なんだか、懐かしい夢を見ていた気がする。
水を飲もうとグラスに手を伸ばしたところで、レイズは人影に気付く。
正面の席には自分と似た顔をした人間がいた。
少年とも少女ともつかない整った顔立ちをしているが、淡々と食事をする姿は人形のように見える。
成長したリズウェルは器用にフォークを扱い、味わうわけでもなく次々と料理を口に運ぶ。
当然だ、リズは生まれつき味がわからない。
あの日から十年。
十七歳になったレイズは、ケラティスの薬でリズの自我を抑えながら仕事をこなしていた。
十年前の選択が正解だったとは思えない。それでも、戻る事はできない。
リズは十年の間に薬の服用を重ね、深刻な記憶障害と感情の欠落を起こしている。
皮肉にも、あの日にレイズが願った通り、心を持たない人形に戻っていた。
二人はもう昔のように話すことはない。
また愛情の枷が互いの足を引っ張るのなら、最初からそんなものなかった方がいい。
レイズはそう思い、自分からリズを遠ざけるようにしていた。
いつ何があっても、リズが自分を助けないようにと命に線引きをした。
片割れのことも憶えていないリズは、ただ記憶の奥底に残った『れい』と『母さま』という存在に縋り亡霊のように生きている。
静かに食事の音が響く中、レイズは持っていた懐中時計で時間を確認し椅子から立ち上がる。
「行くぞ。次の仕事は兄さんに同行する。亜人からの依頼で、同族殺しだ」
そう言い残し、まだ食事をしているリズを置いて歩き出す。
その時、徹底して情をかけないレイズの背中に、懐かしい声がかかった。
「……これが終わったら、『れい』と『かあさま』にまた会える?」
話したのは、レイズと同じく十七歳になったリズだ。
ふらりと幽霊のように立ち上がったリズは、長い前髪の間から虚ろな深海色の目を向け、自身の管理者である片割れについていく。
感情と自我を捨て、ルークの無慈悲な暗殺者となったリズが人を理解することはなく、今はもう人を殺めることを何とも思っていない。
あの時、ココロが欲しいと泣き、女神を愛した優しいあの子は今、ルークが望む心を持たない化け物に成り果てていた。
それなのに、いつもは無反応で後を追うだけのところを、今日に限っては返事をした。
レイズは、立ち止まると振り返りたい衝動を堪えた。
今のリズは、あの日までいた人格とは別だ。答えたところで会話にはならない。
わかっているのに、心が震えた。
「……会えるさ。お前が望めばいつでも」
誰に言うでもなく、レイズが呟いた言葉はリズには届かない。
それでも、レイズはリズの傍にいることを選んだ。
どんな姿になっても、生きていて欲しかった。
今でも、あの日の約束は色褪せず胸の中で生きていた。
本当は、あの時もっと他にやり方があったのかもしれない。
こんな形じゃなくて、助け合って生きられた未来もあったのかもしれない。
でも、そうじゃない。そうはならなかった。
だから、終わり。それだけの話。
これはそう、女神の物語を夢見た二人のお話。
『黄昏の落星』fin.
