新しく、より強い負の感情を飲み込んだ大地は躍動し、唸りを上げて足場を揺らす。
「おっとっと……!」
枝を伝って木に登っていたジークは、目の前に落ちてきた木の枝に掴まると、ナイフを突き刺してまた登る。
さっきまであんなに苦戦していた木々は、ジークとハツを素通りしていく。
おそらく、下に残った二人がうまくやってくれているのだろう。
緩んだ木のねじれをこじ開け、奥へと進んでいくと、絡み合う木に囚われ、顔の半分ほどしか出ていないタテロル王女が見えた。
「これは……!」
王女はぐったりとしており、ジークはあまりのショックに立ち止まる。
もしかすると、もう死んでしまっているのだろうか。
「ジーク! こっちも居たさ」
ハツに呼ばれて向かうと、そこには腕だけしか見えていない二人の王子の変わり果てた姿もあった。
思っていたよりも状況は悪い。このまま時間が過ぎて完全に同化してしまえば、引っ張り出したところで命はない。
けれど、ここまで来て諦めるつもりもない。
ジークは、迷いを振り切るようにナイフで木の幹を削り始めた。
「まだだ! まだ助かるはず……っ!」
力いっぱい削るが、想像よりも固く、巨木の皮しか削れていないことがもどかしい。
苛立ちをぶつけるように、ナイフの刃を突き立てるジークとは反対にハツは冷静だった。
彼は、荷物の中から毒薬をしまってある箱を取り出し、容器に入れた薬品を順に混ぜていく。
丁寧に混ぜ合わせた粉と、別の黒い粉を混ぜたところで蓋をしっかりと閉じ、ジークが削って空けた穴へと容器をねじ込ませる。
「これでいいはずさな」
そう言って、先端に薬品を塗った短い棒を木の皮で擦り火を灯した。
あまりの手際の良さに見とれていたジークだが、もしやと顔をこわばらせた。
「待って、それって……ネクラーノンは傷つけるなって……!」
「なんさ? なんか言ってたさ? よく聞こえんさ?」
こともなげに、しらばっくれるハツが容赦なく導火線へ火を移した次の瞬間――。
「うわーっ!」
耳を塞ぎたくなる爆発音と共に、煙にまかれて大量の木片が顔に激突する。
「いだだだ……なんてことするんだよ!」
喉にクリティカルヒットした木屑を投げ捨てたジークは、ハツを睨んだ。
ハツとしては薬品の量を調整していたのかもしれないが、それにしても普通は至近距離で爆発物を作ろうとは思わない。
「アデハナの粉がちょっと多すぎたさか?」
ハツは巨木へ手を伸ばすと、吹き飛んだ幹の隙間から見えるタテロル王女とシチサン王子の腕を掴んで強引に引っ張り出した。
ジークは最悪の予感がして顔をこわばらせる。すでに巨木に養分として取り込まれてしまっていたのなら、もしかしたらもう……。
そう思っていたのだが、予想に反して王女と王子は三人とも生きていた。
だが、王女の右腕はすでに取り込まれており食いちぎられた跡のようで出血も激しい。王子の方も顔の損傷があった。
ジークは傷口を見るのを躊躇ってしまったが、ハツはタテロル王女を寝かせると荷物の中から包帯を取り出し止血を始め、それが終わると王子の応急手当に取り掛かっていく。
本来なら怯んでしまう程に酷い怪我を前にして、ハツは一切表情を変えない。
ただ、手当てをする手際は丁寧で、そして優しかった。
「……よし!」
ジークはそんなハツに続こうと、最後の一人であるターマネギ王子を探して巨木に触れた。
助けて欲しいと彷徨う手を掴み、引っ張り出そうと足をかけた。
その時、大地が咆哮を上げた。
木々が悲鳴を上げ、森が揺れる。手に入れた養分をこれ以上奪われまいと枝葉は暴れ狂い、王子の腕を掴んで引き出したジークを襲う。
無数の枝が目の前を覆い、あっという間に閉じ込められてしまった。
「ジーク!」
ハツの自分を呼ぶ声がする。けれど、呪いの木は王子の足を食らったまま離さない。
「大丈夫だ! なんとかするっ!」
ジークは、わずかな隙間に指を挟んでこじ開けて足掻く。
その小さな隙間に手を入れたハツが視界を開いてくれた。
「ハツ! この人を……!」
ジークは枝をかき分け、ターマネギ王子をハツに引き渡すと、自分も脱出しようと身を乗り出した。
ひとまず三人とも助け出せたことに、ほっとした。
人は、助かるのだと期待した時ほど油断する。
獲物を奪われて怒れる森は、ジークに致命傷を与えようとおびただしい数で襲い掛かる。
「――ッ!」
その一撃が腹に刺さり、全身が痛みで跳ねた。
痛い、けれどここで倒れるわけにはいかない。
ジークは歯を食いしばって意識を保とうとするが、息は詰まり動けない。
「くっそ……こんな……」
「ジークがやられた!」
目の前でジークが倒れるのを見ていたハツは、下にいる仲間へ叫ぶ。
一刻もはやくここを離れないといけないのに、とてもじゃないが一人で四人は運べない。
「こっちへ!」
急いで木を上ってきたシャオロンに王女らをまとめて押し付け、ハツはジークの傷口を見て、腹に刺さる枝を抜くことをやめた。
この状況じゃ、満足な治療は出来ないからだ。
それに、すでに貫通しているものを抜けば、今以上の出血は免れない。
そうなれば命を縮める事になる。
状態を見て即座にそう判断したハツは、出来るだけジークの傷に障らないよう肩を貸して歩き出した。
けれど、怪我人を連れて早く歩くことはできない。
「来ないでくだされーっ!」
ネクラーノンが魔法で道を開くも、彼の家系魔法の水では植物にダメージを与えることは出来ていない。
「立ち止まるな! 森が追ってくるさ!」
ハツは伸びてくる枝を腕で払う。焦りも相まって苛立ちが増す。
「ひょわぁあ!」
その時、ネクラーノンの腕を掴もうとした蔓が突然、ブツリと切れて腐れ落ちた。
何か見えない刃のようなものが舞い、まるで道を空けてくれているかのように次々と呪いの枝を切り裂いていく。
「……あれ……は?」
意識が薄れていく間際、ジークはあの日の夢で会った少女を見た。
ジークは確かにその顔を知っているはずなのに、今はなにも思い出せなかった。
眠ってはダメだと自分に言い聞かせるが、こらえきれなかった瞼が落ちる。
「させないわ!」
フィアは手にした銀の剣を振るい、次々に襲い掛かる枝葉を薙ぎ払う。
彼女の剣技は踊るように華やかで、低い腕力を補うように鍛えた技は速く。
自分の姿はジーク以外には見る事が出来ないので、傍からは見えない何かがいるという状況ではあるが、このまま見過ごす事が出来なかったのだ。
それでも、これだけ膨れ上がった呪いを解除する事は出来ない。
自分にできるのはせいぜい逃げる為の手伝いだけ。
フィアはただ、初めて自分に気付いてくれたジークを守りたかった。
その為なら、手段は選んでいられない。
フィアはジークの傍に寄り、彼の顔を見つめる。
意識がない今ならうまくいくはずだ、と自分に言い聞かせる。
そうして、ゆっくりと顔を近付けるとジークの特徴的な前髪をかきわけ、自分の額を軽く押しあてた。
「……ん、ごほっ」
喉に血が引っかかり、咳が出てしまう。
ジークが重い瞼を上げれば、刺された腹はずきりと痛んだ。
「おい、しっかりするさ!」
肩を貸していたハツはジークが目を覚ましたことに気付くと、前を向いたまま、また歩き出す。
痛みがあるという事は、まだ手遅れにはなっていないという事だ。
このまま逃げ切って、すぐに手当てをすればまだ間に合う。
「それにしてモ、さっきの風? ってなんだったんだろうネ?」
三人の人間を両腕に抱えたシャオロンは不思議そうに首を傾げる。
いつの間にか自分達を守ってくれた不思議な風は止んでいた。
「わからんさ。けど、今のうちに行くさぞ!」
そう言って、右へ進もうとしたハツに声がかかる。
「ダメ、だめよぉ……いたっ、そっちは岩場があって、行き止まりなの……!」
痛みをこらえているので途切れとぎれだったが、確かにジークの声だった。
「……なんさ?」
聞き間違えかと、ハツは真顔でジークに聞き返した。
するとジークは……いや、正確には彼に憑依したフィアは左の道を顎で指しながら、もう一度声を絞り出した。
「左よ、左に行って欲しいの。左に行けば女神像のある方へ出られるわ……」
「い、いや、どうしちまったさ? 痛みでおかしくなったんさ?」
今は驚いているハツに答える暇も惜しい。フィアは声を大きくして訴える。
「私を信じて! お願い、私をそこに連れて行って……いたあぁっ!」
激痛で最後の方は声が上ずってしまったが、これで伝えたい事は伝わったはずだ。フィアはそう思い、顔を上げた。
「……」
だが、そこにあったのは何と表現していいかわからない仲間達の顔だった。
ネクラーノンは眼鏡をかけているのでわからないが、シャオロンは死んだ魚のような目で。
ハツは恐ろしいものを見るような顔で凍り付いていた。
そう、フィアの姿はジーク以外には見えないし声も聞こえない。
だからジークの体を借りてメッセージを伝える事にしたのだが。
仲間達の目には、突然ジークが苦しみながら女の子のような高い声で体をくねらせていたので、その、色々と苦しかった……。
「あ……違うの、これにはわけがあって……」
そのことに気付いたフィアが慌てて説明をしたが、微妙な反応だったのは言うまでもない。
