第15話『ベレット村の日常とホリンの街』

 見上げた空は青く、遠くの方で鳥の声が聞こえた。

 空に色を塗ったとはこの事を言うのだろうか。

 陽は温かく草木の匂いを運ぶ風が髪を遊ばせ、畑に囲まれた細いあぜ道を歩く足も心なしか軽い。

 なのに、だ。

「はー……大自然を感じる……」

 自慢の灰色のマフラーを揺らして歩くジーク・リトルヴィレッジは、緩みきった頬で腹の底から脱力した声を吐き出した。

 エリュシオン傭兵団の試験に受かり、西の辺境の村に派遣されてから一週間。ようやく仕事にも慣れてきていた。

「今日の収穫も大変だったネェ、おすそ分けもらえたからいいケド」

 そう言ったのはシャオロンだ。亜人である彼は、エリュシオン傭兵団のガードの制服を着崩している。丈が合わないらしく、余ってしまった袖をバサバサと振っている。

「つか、ここに来てからマトモな仕事してねぇさ」

 その隣でハーヴェン・ツヴァイ――ハツが、ぼそりと呟く。

 彼の背負うバッグには、畑仕事を手伝ったついでにもらった野菜がぎっしりと詰められていた。

 ゆったりとしたトリートの制服も、泥と土埃で汚れてしまっている。

 もちろん、もらいものの野菜はジークやシャオロンのバッグにも入っている。

「そうは言っても、ベレット村じゃ事件らしい事件も起きないんだぞ。何もなさすぎて魔物も寄ってこないから、夜間警備だって朝まで立ってるだけなんだぞ……」

 ジークは緊張感のないあくびをしながらそう言った。

「こんなド田舎で何が起きるってんさな」

 ハツはジークに同感だ、と頷く。ベレット村は、西のミラナ領と北のアルタファリア領との境にある小さな村だ。

 ベレット村は農業が主な質素で地味な村だ。

 明かりや火などをつける、女神エリュシオンの『オチカラ』も届かないド辺境で、生活スタイルは完全に自給自足。

 何なら、村人は老人と中年と子供が数人しかいない。

 なので、エリュシオン傭兵団AHOU隊に寄せられる仕事といえば、畑の手伝いや家畜の世話、木の実集めや薪拾いくらいなもの。

 一応はジークが隊長なのだが、事件らしい事件も起こらないので、もはや村の便利屋さんとなってしまっている。

ようするに、完全に雑用が仕事になっていた。

 最初こそ、はりきっていたジークだが、愚痴のひとつも出てしまう。

「なんか、こう、もっと野盗から村を守ったり、やりがいのある事がしたいんだぞ!」

「最初は慣れなかったケド、今じゃ手慣れてきてるもんネ……」

 シャオロンは乾いた声で笑う。

 レオンドールから徒歩で八日の距離を二日でここまで来た時の壮絶さもそうだが、やっとの思いで辿り着いた村での暮らしも、慣れなかった頃はこれまた壮絶なものだった。

「最初こそあれさ。ネクラ野郎が、ニワトリにつつかれて逃げ回ってたのは爆笑モンだったさな」

「卵の収穫は、もう恐怖でしかなかったんだぞ」

 冗談めかして笑うハツにつられて、ジークも思い出して吹き出してしまう。

 一番最初に取り掛かった仕事で、ニワトリから卵をもらおうとして逆に追い回されてしまったのだ。あの時のニワトリの気迫は本当に怖かった。

「その時に比べたら、さすがにもう慣れたよ」

 な? とジークが振り返ると、シャオロンやハツと目が合う。

……が、残りひとりの姿がなかった。

 そういえば、いつもはうるさいネクラーノンが静かなのは違和感があった。

「……ネクラーノン、いつからいなかった?」

 ジークが真顔で両手を叩くと、シャオロンは目を細めて歩いてきた道をジッと見た後、やっぱりネ、というように頷いた。

「今日は、結構はやい段階で転がってル」

「またかい!」

 思った通りの渋い展開に、顔面のパーツが中央に寄ってしまう。

 ネクラーノンが仕事の途中で倒れてしまうのは今に始まったことじゃないので、これももう慣れてしまっていた。

 亜人の視力でやっと見える大きさになってしまったネクラーノンを回収しに戻ると、ネクラーノンは地面に倒れたまま、干からびたミミズのような顔をしていた。

「しょ、小生……腹が減って、動けませんぞ……」

「それだけ話せたら大丈夫だよ」

 ジークはあっさりと流すと、荷物をハツに渡してネクラーノンに肩を貸してあげた。

 元々、肉体労働なんてしない貴族だからか、ネクラーノンはとにかく体力がない。

 今日みたいに畑の手伝いをした帰りなんかは、高確率で道に転がっている。

「お貴族様はしょぼい飯じゃやってけねぇんさな!」

「ぐぅう……」

 貴族嫌いなハツはそんな彼をバカにして笑うが、ネクラーノンは唸るばかりで反論する気力もないようだ。

「でも、実際まともに給料はもらえないし、食料だって少ないからなぁ」

 見渡す限り草木か畑しかない光景をしばらく歩くと、ようやくベレット村が見えてきた。

 森の近くにある、魔物除けの木の柵で囲われた小さな村。

 特に目立つところのなにもないこの村は、自給自足の生活で不便なことばかりだが、数人ほどの村人は穏やかで優しい。

 ジーク達にも作った野菜を分けてくれたり、住む家を貸してくれている。

 畑仕事や家畜の世話をしていた村人たちは、四人が戻ってきたことに気付くと、にこやかに挨拶をして迎えてくれた。

 ジーク達も一人ずつに挨拶を返しながら、村で一番大きくて古い村長の家に向かう。

「じゃあ、明日の仕事のことを話さないとだから」

「どうせ、明日も雑用さろ」

 ジークはハツの軽口を無視してドアをノックすると、中からは老人の声が返ってきた。

「どうぞ、お入りなさい」

 そう言われて静かにドアを押すと、質素な作りのテーブルとベッドしかない狭い家でベレット村の村長と、もう一人老齢の女性が迎えてくれた。

「いい所に来ましたな。こちらは、ゲルダさんじゃ」

 白髭をたくわえた年老いた村長は、自分よりもさらに年齢が上であろう女性に手を添えて紹介した。

「あ、えと、初めまして。エリュシオン傭兵団ミラナ領所属、AHOU隊の隊長、ジークです」

 ジークは、突然のことに緊張して舌を噛みそうになりながらも名乗った。

 ゲルダさんと紹介された老婆は小さくて全身がしわだらけで、どこが目で鼻や口なのかわからないが、村長と比べると何年も生きてきたのだとわかる。

 ゲルダ婆さんは、にこにこと笑うだけ何も答えない。

 代わりといってはなんだが、村長が口を開く。

「次の仕事は、星送りを行います。その時が来たら声をかけますな」

 そう言った村長は、ジークの肩を叩いた。

「はい、星送りですか?」

「星送りは、この村の大切な行事なのです。ぜひ……」

 聞きなれない単語に戸惑うジークを、村長は優しく促していく。

「女神エリュシオン様の導きにより、ご加護が得られますように。ぜひ参加をお願いします」

「わかりました。ぜひ参加させてください」

 星送りの内容を聞く前にジークは頷く。なんだかんだ言っても、自分達を迎え入れてくれたこの村が好きなのだ。

 ほっとしたように微笑む村長。ジークは、もう一つ言わなければいけない事があった。

 やはり、給料が安くて食料がないのは、この先を考えるとかなり厳しい。

 いかに村の人が親切で優しくても、仲間の為に隊長として伝える事は伝えないといけない。

 ジークは思い切って話を切り出した。

「……その、言いづらいのですが、今日は仲間が空腹で倒れてしまいまして、少しでいいので給料を上げていただけないかと……」

 本当は、今日だけじゃないのは伏せておく。視線を落とし、ためらいがちにそう言ったジークは、おそるおそる目を上げる。

「そうでしたか……それでは、こうしましょう」

 そんな彼に、村長はわかっているとばかりに優しく微笑み返してくれた。

 結論から言うと、ジークは村長から家畜であるウシを一頭もらった。

 結局、星送りがなんのことなのか聞く事もなく、ジークはもらったウシの綱を引いて帰ることになったのだ。

 茶色く長い毛の、つぶらな瞳のウシはジークの頭を食みながらついてくる。

 誰一人、何も言わない。ジークは仲間の三人を振り返ると訊ねた。

「……もしかしてこれ、貧困悪化してない?」

 ハツは目を合わせず、シャオロンは悟りを開いたような不気味な笑顔を返してきた。

「エサ代、どうするノ……?」

 薄く笑うシャオロン。ごもっともだった。

「この生き物はウシというんですな? 小生、初めて見ましたぞ!」

 ただ、ネクラーノンだけはウシに大興奮してノートに絵を描きなぐっている。貴族はウシを見ることがないのだろうか。

 どんな絵を描いているのかとジークが覗き込めば、ある意味とても芸術的な出来栄えなのだった。

 

「おお、アホの皆さん!」

 四人がどんより雲を頭の上に乗せ、重い足取りで宿舎へ向かう途中、慌てて追いかけて来た村長が呼び止めた。

「はい! 何でしょうか?」
 
 ジークは、『アホ』ではなく『AHOU』だと訂正したい気持ちをグッと堪え振り返る。
 速足で追いついた村長は、四人の顔を見渡すと白い袋を差し出してきた。

「急なのじゃが、今からひとつ買い物を引き受けてはもらえんでしょう?」
「え、はぁ……」
 
 ジークが袋を受け取ればズシッとした重みがあり、お金が入っているのだとわかった。

「買い物ですか? 大丈夫ですが、どこで何を買えばいいのですか?」

 預かったお金を鞄にしまいジークは尋ねる。それに頷いた村長は、一枚のメモと折りたたまれた花柄の布を渡す。

 ジークはメモを受け取る箇条書きにされた文面を読み上げた。
 
「小麦と果実酒に、フルーツ……あとお菓子ですか」
「ゲルダさんからじゃ。どうしても今日中にと。隣のホリンの街へ頼みたいのですがな」

「ふふ、おつかいの仕事だネ」
「ホリンの街はそんなに遠くねぇさな」
「小生、最近は退屈でしたので楽しみですぞ!」

 シャオロンはニコリと笑うとウシの手綱を村長に預け、ハツやネクラーノンも持っていた荷物を下ろす。
 暗くなる前に戻って来たいので、後で取りに行くと伝えて早速出発する事にした。

 

 今から目指すホリンの街は、ベレット村から二時間ほど南へ行った所にある、石の彫刻が有名な職人の街だ。
 
 使われるのは、街の横を流れる川の水で互いにぶつかって削られた石や岩。
 飲用にも使えるきれいな水で削れた岩は表面が滑らかで、熟練の技で作り出される女神像や家具は特産品だ。

 もちろん、それだけじゃなく建物の柱や壁も高級品とされ、小さいながらも栄えていた。
 そして、女神の聖典を模した彫刻が施され、高い石壁に囲まれたこの街は魔物への防衛力も高いので年々移住者も増えているという。

 ひとつ難があるとすれば、昔かたぎで気性の荒い職人が多いの特徴だ。
 
「ここがホリンの街か~、あちこちで石を削る音がするんだぞ!」
 
 ジーク達が入口の石門をくぐり、一歩街の中に入れば人々の活気が迎えてくれた。
 
 職人が多いこの街は、道のいたるところで石像を掘る金属の鳴る音と、客を店に呼び込む露店商の明るい声が聞こえ、道行く人々の気配や声とも混ざって心地がいい。

 小さなご家庭用の女神像から墓石まで、石売りの店がずらりと並ぶ通りを歩き、年老いた亜人奴隷が引く荷車とすれ違う。人間にとっては何の変哲もない光景だ。

 すでに高齢になっているにも関わらず、山のように石が積まれた荷車を引く亜人。
 思わず立ち止まり、振り返ってしまったジークは、動きが遅いと叱られている彼を見て表情を曇らせる。

「遅いって、もうおじいさんじゃないか……」
 
 口を出したい気持ちを押し込んで唇を噛む。酷い事を言うなと割り込んでいきたい。
 けれど、仕事中の自分はエリュシオン傭兵団員だ。ここで騒ぎを起こすわけにもいかない。

 それにシャオロンは亜人だ。ここで騒いだことで、ジークのせいで彼が野良の亜人だとバレてしまえばシャオロンが隠れて積み上げて来たものまで台無しになってしまうのだ。

 苛立ちを含みながら顔を背けると、悲しそうなシャオロンと目が合った。
 何も言わなくても表情が物語っている。同じ亜人が苦しんでいるのを見ているのは辛いだろう。

「ジーク殿、どうしたのですかな?」

 ネクラーノンはジークとシャオロンが暗い顔をしている理由がわからず、首を傾げて口を開けたままつっ立っている。

「あ、いや……ううん、何でもないよ」

 そうは言っても、うまく切り替えられないジークは無理をして微笑む。

「……立ち止まってると不審に思われるさ」

 そこにハツが口を挟む。彼はいつもと変わらず冷静に、それとなく自然に、いま何をしなければならないのか教えてくれる。

 ――そうだ、今はゲルダさんの買い物を済ませる事を優先させる。

「ああ、そうだね……」
 
 ジークは内心でハツに感謝し、深い溜息をつくと気持ちを切り替えて顔を上げた。

 四人は辺りを見渡しながら目的の品物が売っている店に向かう。
 買うものは小麦・果実酒・お菓子などだ。何でも、人を迎える為に必要なのだとか。

 品目が多いのでジークとシャオロン、ハツとネクラーノンの二手に分かれて買い出しをすることにした。
 出来るだけ安く、いいものを買えるようにジークは品物を吟味していく。

 まず一軒目でいい小麦粉が買えたので次に進む。職人が石を叩く小気味いい音と、足を動かすタイミングがうまくリズムを刻み、心なしか体が軽く不思議な気持ちになる。

「わぁ、街ってすごいネー! どこからでもトントン音がするヨー」

 シャオロンは楽しそうに両手を広げ、明るくケラケラと笑う。

「そんな、ちょっと面白いけど普通の街じゃないかい?」

 オーバーだなぁ、とジークは肩をすくめる。ニコニコと笑いながらシャオロンは首を振る。

「僕はあまり人間のいる街に寄り着かなかったカラ、こういう面白いトコロ好きだヨ! 命の鼓動を感じられるネ」

 そこまで言い切ると、水飲み場にあった、口から水を吐く女神像を指さしてまた笑う。

「鼓動ってなんだい……それを言うなら、『元気をもらえる』じゃないのかい?」

「そうとも言うネ!」
 
 ジークは、いつも穏やかなシャオロンの無邪気な姿が珍しくて止める気になれなかった。
 
 好奇心が抑えきれず、心が動くままに店で売っている物を見ている彼は人間と変わらない。
 そうだ、亜人も同じ感情があり心がある。何ひとつ人間と変わらないのだ。

「でも、あまり騒ぎすぎないようにしないと……」

 苦笑い交じりのジークは無防備なシャオロンに軽く注意をし、買っていた小麦の袋を紐で縛り背負いなおした。

「ジーク!」

 その時、名前を呼ばれた。声の方を向けば、通りの向こうでハツとネクラーノンが立っていた。
 大きな木箱を背負ったハツが手を振る。

「こっちも買ったさな。果実酒、十本!」
「いや~、このワッフォルとやらは美味しいですな! もぐもぐ……」

 同じく箱を背負ったネクラーノンは、買ったお菓子をつまみ食いしていた。
 
「やぁ二人とも! こっちもちょうど小麦を買ったところなんだぞ。あとは果物だな!」

 そう言ってジークは自分が背負っている小麦の袋を指さす。ゲルダさんから頼まれた物は果物でおしまいだ。

「そんじゃ、暗くなる前にさっさと買うさな!」

 ハツがそう言って歩き始め、後に続いて行こうとジークが前を向いた時、背後で金属の落ちる音と板の割れる激しい音がした。そして、とびきり苛立ちを含んだ人間の怒声が響く。

「気色悪ィんだよっ!」

 ジークが驚いて振り返ると、果物が並ぶ一軒の店の方で騒ぎが起こっていた。
 商品棚ごと倒れてしまったのか、二人の亜人の青年は怯えたように後ずさり主人である店主の男を見上げている。

「薄汚い亜人の分際で売り物に手をつけるなんざ、どういうつもりだ!」
「……ッ!」

 男の手に握られた皮の鞭がしなり、亜人の青年達へ容赦なく打ち付けられ、その度、荒れた体毛に包まれた痩せた体は痛みと恐怖でビクリと震えあがる。
 
 騒ぎを知った周りの人間は、まるで何かのイベントを見るかのように集まり、中には笑みを浮かべる者さえもいた。
 
 彼らに連れられ、反乱の牙を失くした亜人達は気配を消して目を閉じる。騒ぎを見ない、知らない、聞かない。

 ただ、目を逸らして「あぁ、自分じゃなくてよかった」と己の心の中で安堵し、あとはジッと耐えて自分の番が来ない事を祈るのだ。

 悲鳴や泣き声も上げずに叩かれ続けている青年達は、嵐が去るのを丸まって耐えている。
 誰もこの状況がおかしいと言わない、思わないのだ。
 
 女神の聖典によれば、亜人は侵略者であり悪なのだ。

 だから人間にとって亜人への制裁は、手軽に己の正当性を確かめる娯楽のひとつであり、命の価値がこの世でもっとも低いとされている彼らを気に掛ける事はない。

 悪に対する制裁は正義なのだと。

 だが、人間の誰もが歓喜し熱狂するこの場で、ひときわ怒りに燃える目で見つめる男がいた。

「……何が面白い、んだ?」

 ジークは、喉元まで込み上げている怒りを静かに押しとどめ、けれど我慢できずに大股で飛び出して行った。

「あっ、ジーク殿?」

 ネクラーノンの困惑する声が聞こえたが止まるつもりはない。

「通してください、エリュシオン傭兵団です!」
 
 右肩にある部隊章を見せながら人込みをかき分け、果物屋の前に辿り着くと店主の男を睨み、迷うことなく亜人の青年達の前にかがんだ。

「傭兵団がなぜ亜人に……?」

 途端に、ざわりと周囲の声が不穏な色に変わる。
 
「普通はまず、店主に話を聞くものだろう……? どういうつもりだ?」

「まさかあの亜人を助けるつもりなんじゃ……?」

 当然だ、人間の代表である『正義』のエリュシオン傭兵団は人間の味方であらなければならない。
 真っ先に『悪』である亜人へ手を差し伸べるなんて許されない。

 ジークにとっては、そんなものどうだってよくて亜人を優先して助けたいのが本音だ。

 けれど、人間の代表である傭兵団の自分達に不満を持った人間が暴動を起こせば、ここにいる他の亜人だって無事じゃすまないだろう。人間の中でも怪我人が出てしまうかもしれない。

(しまった……!)

 それに気付き、冷や汗を浮かべたジークが急いで店主の男へ向き直ろうとした時、背後に影が落ちた。
 豊かな金髪から跳ねた一束が揺れる――ハツだった。

 ハツはジークをかばい店主の前に立つと、周囲の目に怯むことなく堂々とトリートの制服の部隊章を見せ口を開く。

「我々はエリュシオン傭兵団、ミラナ領の所属AHOU隊。お困りですか?」

「ハツ……!」

 ハツは後先考えずに飛び出して行ったジークを見かねてフォローに来てくれたのだ。
 顔を上げればハツだけじゃなく、シャオロンやネクラーノンも付いてきてくれていた。

 思わぬ割り込みに、店主の男は一瞬だけ驚いていたが、すぐにハツへと亜人被害を訴える。

 亜人被害とは名ばかりの、人間の勝手な言い分だ。
 後ろで話を聞きながらジークは眉を顰め、奥歯を噛みしめる。
 
「……つまり、この亜人奴隷が病気になってしまった所で片方が売り物に手をつけて食べさせようとした、という事ですね?」

「こいつらは先週買ったばかりなのに、餌は食わんしロクに働きもしねぇ! これって賠償金は出るんでしょうかねェ!」

「それはわかりかねます」
 
 ジークとは反対に、ハツは眉ひとつ動かさず淡々と話を聞き出していく。店主の男は気が済まないのか、まだ声を荒げていた。
 ハツはジークを一瞥すると、このままでは事が治まらないので店主を連れて店の奥へと下がって行った。

 楽しい見世物が終わってしまうにつれ、集まって来ていた人間達は離れていき、気が付けばジーク達の周りには誰もいなくなっていた。

 興味がなくなれば誰もが無関心になる。その異様さを前に腹の底に苦いものが広がっていく。

「……大丈夫かい? 病気の症状は?」
「……ッ」

 そっと手を差し伸べたジークだが、亜人の青年達は顔を伏せて何も答えなかった。

 彼らの顔を見た瞬間、ジークは目を見開き思わず手で口を押さえてしまった。
 
 一目でどんな扱いを受けていたのかわかる。動物に近い彼らの栗色の体毛は荒れて乾燥し、枝のように痩せ細った手の中のオレンジは強く握りしめていたので潰れていた。

 彼らの両目を覆う為に巻かれた布は汚れ、口は魔法だろうか……少ししか開かないように白い糸で縫い付けられている。
 
 触れようとすれば気配を察して小刻みに震える体は、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。

「酷い……こんなの、許されない。何でここまで……」

 ぼそりと呟いたジークは、その先の言葉を飲み込んだ。
 
「どいて。聞いてみるヨ」

 同じく険しい顔でそう言ったシャオロンは、ジークの隣にかがむと右の丈の長い袖から腕を出し、そっと彼らの鼻先へ差し出した。

 同じ亜人のにおいを嗅がせれば、安心したのか彼らの表情が少し緩んで見えた。

「まず、見たところ彼らは夜行性の種族だから日の光にやられて弱ってル。おそらく、目は見えていない。紋章があるカラ、魔法で口もきけないようにされているネ」
 
 シャオロンは亜人の使う言葉で何かを語り掛け、彼らは頷いたり首を振ったりして答える。

「あと、片方の人が熱を出してル。栄養を付けさせてあげたくて果物を盗んだみたイ」

 話を聞き終えたシャオロンは、行き場のない重い溜息を吐く。
 頷いたジークは、いつまでも落ち込んでいられないと、シャオロンやネクラーノンに問いかける。

「……どうにかして彼らを助けたいんだ。何かないかい?」

「亜人に人間の薬は効かナイ……」

 答えるシャオロンの表情と声は沈んだままだ。そこへ、ネクラーノンの場違いで明るい声が上がる。

「ひょ? もしかして、ジーク殿はこの亜人達を救いたいのですかな?」

 意外そうに分厚い眼鏡レンズを指で持ち上げたネクラーノンは、ニッコォと気味の悪い笑みを浮かべた。

「そうだよ、こんなに苦しそうで……早く楽にしてあげたいんだぞ」

 ジークは自分が何も出来ない事が悔しくて唇を噛む。そんな彼を不思議そうに見ていたネクラーノンは、イイコトを思いついたと、唐突に傭兵式の敬礼をする。

「ジーク殿の望みならば小生、この者達には何の恩義もありませぬが叶えてしんぜましょう!」

 声高々にそう宣言したネクラーノンは、芝居がかった調子でスペル部隊の制服のジャケットからロングナイフを取り出し、迷うことなく彼らへと振り下ろした。

「ちょっと、何するんだよ!」

 気付いたジークは驚きつつも、間一髪でネクラーノンの手からロングナイフを叩き落とす。
 ガラン、とナイフが地面に転がり、シャオロンが拾われないよう足で踏んだ。

「――……なぜですかな?」

 叩かれた腕をじっと見つめていたネクラーノンは首を傾げていた。
 演技ではなく、本気で困惑していた。

「なぜ、じゃないよ!」
「治す手立てもないのなら、楽にして差し上げる事の何が違うのですか?」

 理解できない、とネクラーノンは言う。
 
「そんなの……考えればわかるだろう? 命なんだ、冗談にしてはやりすぎだぞ!」

 ジークがそう言って詰め寄った所で、店主を引きつれたハツが戻って来た。

「話は終わったさな。この亜人は返品せずに治療して使うそうさ。返品手数料がかかるんだと」

 いつも通りのハツは、状況を察したのかネクラーノンを軽く睨むと、腰に装着していた薬箱から液体の入った瓶を取り出し「亜人にも効く薬さ。飲ませろ」とシャオロンに渡した。

「……」

 誰も何も言わない気まずい雰囲気の中、初めは疑っていた彼らだが同じ亜人であるシャオロンを信じてゆっくりと薬を飲み干していく。

 みるみるうちに青白かった亜人の顔に赤みがさし、二人はそろってシャオロンの手を握って涙を零していた。

 シャオロンは奴隷じゃなく人間の中に混じる野良の亜人だ。
 だから、奴隷となってしまっている亜人から見ると羨ましく思われるんじゃないだろうか。
 
 ジークはそんな事を思っていたが、もしかすると彼もまた、他の亜人から見れば誰かの奴隷に思われているのかもしれない。

 そう思いかけた所で、考えを振り払う。今は彼らが助かったという事だけわかればいい。
 
 静かな空間にオレンジの匂いが漂う。殴られ怒鳴られても、仲間の為に絶対手放さなかった大切なものだ。

 ジークは、亜人の彼らにも同じように思いやる心がある事に胸が痛かった。
 今すぐ自由にしてあげたくても、今この場では出来ない。それが悔しかった。

 ハツは店主に薬の説明をして数日分を渡していた。これでよくなるのだという。
 最後に店主から話を聞き終え、亜人の青年達を引き渡す時、今まで怯え切っていた彼らの表情が柔らかくなっていた。

 いい扱いを受けていないにも関わらず、今までと同じように暮らせる事への安心なのか……連れられて行きながら黒く濁った眼を細めていたのが印象的だった。
 
 ジークは彼らを前にして、それ以上なにも言えなかった。
 
 騒ぎを収めた四人は、最後の買い物を終えて夕暮れのホリンの街を後にする。

「彼らはどうしてあんな顔をしたんだろう……」

 暗い顔のジークは、別れ際に見た彼らの様子が気になっていた。
 果物が入った箱を担ぎ後ろを歩くシャオロンが静かに答える。

「廃棄じゃなくなった事に安心してるんだヨ……」

 そう言ったシャオロンは唇を引き結んで地面を睨んでいた。

「…………」

 ジークは振り向けなかった。ただ、廃棄、という言葉がズクリと突き刺さる。
 再び胸の中に黒い影が広がろうとした時、先頭を歩いていたハツが振り返った。
 
「ま、何にせよ! オメェがあの亜人を助けたことに変わりはねぇさな」
 
 黙り込んだジークの肩に腕を回したハツは、空いた左手をひらひらと軽く振りながら何でもない調子で言う。

「今は出来る事をした。それで命が助かった。それでいいじゃねぇさ!」
「ハツ……」

 いつもは他人に無関心なハツだが、今回はジークの無茶に協力してくれた。それが嬉しかった。
 こんな暗い雰囲気の中でも、いつもの調子でいてくれるハツに感謝だ。

「ありがとう。そうだな。すぐに状況は変わらなくても、彼らの今日は救えた。いつかきっと、彼らのような人達も自由にしてあげたい、な!」

 黒い影を振り払うジークは無理やり笑みを作り、ハツの脇腹を肘で突いて反撃すれば思わぬ急所に当たったのか、彼は「ホヒョッ!」と何とも言えない変な声を出してしまい、見ていたシャオロンが笑い出した。

「あはっ! あははっ、何やってるノ?」
 
 本当は今回の事で一番辛かったのはシャオロンだろうに、彼もまたいつものように明るく笑う。
 それを区切りに、固くなっていた空気が柔らかくなった。

「それにしてモ、ネクラーノンが彼らを楽にさせようとした方法ったらないヨ! どんなボケ方だったノ!」

 笑いすぎて目に浮かんだ涙を拭うシャオロン。

「びっくりしちゃったヨー!」
 
「ハイ」と差し出したのは、ネクラーノンから奪い取ったあのロングナイフだ。

「……小生は理解できぬゆえ、教えていただきたいのです」

 柄を向けて返されたナイフを受け取ったネクラーノンは、眼鏡レンズごしにシャオロンを凝視したが、彼は特に気にすることなく笑顔を向けている。

 ナイフを荷物にしまったネクラーノンは、次にジークに視線をやる。
 
「ジーク殿はなぜ、あの亜人の命を救おうとしたのですか?」

「命だからだよ」

 即答するジーク。迷いのない真っ直ぐさは彼の本質だ。

「つまり、あの亜人の命はジーク殿にとって価値があったから、ですかな?」
「うん? 価値って……まぁそんなところだよ」

 引っかかる物言いをするネクラーノンだが、ジークは強く言い返すつもりもない。
 レイズウェル・ネクラーノンは没落しているとはいえ、亜人奴隷を持つ事が当たり前とされている貴族だ。

 同じ亜人であるシャオロンと仲間になれたからといって、生まれた時から持っている価値観を簡単に変えることは出来ないだろう。
 だからこそ、彼の心を変えられたら亜人差別も減らせるかもしれない、という希望さえ抱いていた。

「苦しみ抜いて亡くなるくらいなら、苦しまないようにっていう意見もあると思うけど……」

 そこまで話しかけたジークは、歩くスピードを緩めネクラーノンの隣で頬をかきながら笑う。

「俺は諦めたくないんだ! だから、もう簡単に命を奪う選択をしないでくれよ」

 瓶底のような分厚い眼鏡の奥の瞳が見開かれる。
 
「……ジーク殿は不思議な方ですな、小生は教わってばかりですぞ!」
 
 そう言ったネクラーノンは、うまく言葉にできないのか口元をモゴモゴと動かし、これまたニヨンと不気味に笑っていた。

 後ろを並んで歩くジークとネクラーノンをチラリと見たハツは、すぐ傍を歩いているシャオロンの方を向かずに独り言を零す。
 
「……で、ホントの所はどう思ってんさ?」

 同じく視線を交えることなく感情のない答えが返って来る。
 
「安楽死も選択肢にある。生き延びたとて、彼らにはもう帰る所がないんだヨ……今日、死んだ方が幸せだったかもしれないネ」
 
「アンタ、本気で言ってるんさ?」とハツは静かに鼻で笑う。
 
「本気だよ。亜人の王が蘇らない限り、未来はないんだ」

 夕日の影を落とすシャオロンの顔に、先ほどまでの笑顔はない。
 感情の高ぶりに合わせ、金色にぎらついた龍眼は確かな怒りを宿していた。