第24話『自分に出来ること』

 深い夜の風が、冷たい暗闇へ誘うように流れる。

 惨劇を生き残ったジークは地面に腰を下ろし、泣き疲れて眠ってしまったピートを慰めるように優しく頭を撫で、途方に暮れていた。

 力を使い果たしたシャオロンは指一本も動かせないようで、息はしているものの放ってはおけない。

 ハツだって痛み止めの薬を噛み砕いて飲んでいたが、声をかけても返事はなく、あまり効果は期待できそうにない。

 ただ、いびきが聞こえているので死んではいなさそうだ。

「みんな、大丈夫……じゃないよな」

 ずるずると重い体を引きずり、ジークはシャオロンに肩を貸すが、本人の力が入っていない体は想像以上に重く、木の下に運ぶのがやっとだった。

 ジゼルさんが使っていた亜人避けの魔法がまだ有効なのかはわからないが、このままここに寝かせておくわけにはいかないのはわかっている。

 それでも、今の状況でシャオロンを背負ってハツに手を貸して、そのうえ眠ってしまったピートを連れて村まで戻るのは無理だ。

 途方もない疲れと痛みで瞼は重く、喉も乾いている。

「……ジゼルさんたちも、朝になったら弔わないと……」

 亡くなった彼女たちをこのままにしておくことは出来ないが、小屋は氷漬けになってしまい近寄れない……明日になれば溶けるだろうか。

 ジークは、持てる気力を振り絞ってピートに自分の上着をかけてあげた。

 そして、少しだけ休もうと目を閉じた……ところで、ジークは慌てて顔を上げる。

「あぶなっ! こんなところで寝たらダメなんだぞ!」

 危うく寝てしまいそうになっていた。

 こんな森の中で眠ってしまえば魔物に襲われ放題だし、殺されて二度と目が覚めなかったかもしれない。

 緊張と驚きで心臓の音が早く鳴る。隣で寝ているピートや、仲間の無事を確認すると安堵の息をつく。

 雨上がりの今夜は晴天で、星が輝いている。

 ジークは、星空を眺めながら深いため息をついた。

「負けたなぁ……なんにもできなかった……」

 今まで仲間だと思っていたネクラーノンと話していたことも、思い出も全部捨てられ、いらないからとまとめて突き返された気分だった。

 思い返せば、あの場で自分は何も出来ていない。

 戦ったのはシャオロンとハツで、自分は剣術の訓練もほとんどした事がなく、足止めをすることすら出来なかったのだ。

 多分、手加減をされてあの状態だったのだとも思う。

 リズと名乗っていたあの子は、おそらく戦い慣れていたし魔法の詠唱をせずに扱う技量と、身体能力も高かった。

 才能の差といえば聞こえはいい。

 だが、皮肉にも一番最後まで無事だったのは、今のジークに相手をする価値がないから。

 それがわからないほど、自分に自信があったわけじゃない。

「本当に、情けないんだぞ……」

 俯き、嘆いたジークの傍らに置いてある細剣が、零れ落ちた呟きに応えるように淡い光を放つ。

 霧のように広がる光の中から浮かび上がったのは、この剣そのものに姿を変えたはずの少女。

 実体がなく透き通った光に包まれたフィアは、やんわりと微笑んだ。

「へ……フィア?」

 驚きのあまりマヌケな顔をしたまま、ジークは彼女の名前を呼ぶ。

 あの時のままのフィアは、固まってしまったジークへと手を伸ばし、擦り傷がついた頬を両手で包み込んだ。

 久しぶりに会うフィアは、かつて契約した時と同じように変わらない笑顔を向ける。

「ジーク、やっとまた話せたわ。なかなかこの姿は融通が利かなくて、次はいつ会えるかわからないけれど……」

「フィア……!」

 そう言って困ったように笑うフィアに、ジークはなんだか安心して涙腺が緩みかけてしまった。

 こんな所で泣いてたまるか、と足をつねって涙をこらえ、口を開く。

「フィア、また会えて本当に嬉しいよ! ……あれから、色々あってさ……」

「ずっと一緒にいたから、見てたよ」

 今までの事を思い出すように、フィアはゆっくりと頷く。

 ジークはゲルダさんが亡くなって、仲間に隠れてこっそり泣いていた時も彼女に見られていたのかと恥ずかしくなったが、思い切って今夜の話をすることにした。

 話を全て聞いたフィアは悲しそうに頷いていたが、同情するでもなく納得がいったという様子だった。

「……そう、あの子はネクラーノン家の子じゃなかったのね。もともと、普通の貴族にしては雰囲気が少しおかしいとは思っていたから驚かないけれど……気にはなるわね」

「シャオロンは何か知っていたみたいだけど、俺だけ何も知らないままだったんだ」

 フィアは、憔悴しているジークを慰め為に、その手を握る。

「ジークは、またあの子に会うのが怖い?」

「それは……わからない。でも、また何も出来ないままなのは悔しいんだ」

 フィアは未だ気持ちの整理がついていないジークの内心を察してか、ジークの手を取ると目を見つめて言った。

「他の人がどうであれ、ジークはジークよ。私は、そんなあなただからこそ力になると決めた。どんな選択をしてもね」

 だから、自分の気持ちを信じてね。フィアはそう言うとジークの広い額に顔を寄せた。

「わっ!」

 ふんわりとした風の感触はとても柔らかく、ジークにとっては初めてのキスだったのかもしれない。

「これは、勇気の出る女神様の祝福! ……なんちゃって!」

 にっこり自信ありげなフィアは、照れているのか軽く舌を出してまた笑う。

 ジークはそんな彼女に見とれて我に返り、顔が熱くなっていくのを感じながら目を泳がせる。

「えーっと、はは……これは元気が出てきたぞう! そ、そうだ! これ、見てくれよ。君をモデルにしたんだ!」

 この雰囲気に耐え切れず、慌てて話を変えようと考える。

 実際はフィアには実体がないので、唇の感触や体温のぬくもりは感じなかったが、ジークは照れ隠しに彼女の本体である細剣を持ち上げ、護拳にある雄々しいフィア像を差し出す。

「ん? なにかし……」

 彼女が月夜に輝き、猛々しくポージングを決める筋肉ムキムキ濃い顔のフィア像を目にした瞬間。

「い……いやぁあああぁあ!!」

 フィア(本物)の愛らしい微笑みは、一瞬にして燃える剛速球のごとく、どこか彼方に放り投げられ、悲鳴となって消え去る。

「……あ」

 ものすごい早さで剣の中に引っ込んでいってしまったフィアを前に、ジークはようやく失敗に気付くも、色々と手遅れなのだった……。

「リボンとか着けてあげた方がよかったかな……」

 違う、そうじゃない。筋骨隆々で満面の笑みを浮かべる自分の像を喜ぶ女の子の方が珍しいのだ。

 ともあれ、フィアのおかげで心は軽くなっていた。

「よし、くよくよするのは終わりだ!」

 ジークは、気合を入れなおすように両手で自分の顔を叩くと、開き直って大の字に寝転んだ。

 考えたら、一度ボコボコにされて、つまらない劣等感はどうでもよくなっていた。

 自分が仲間の中で一番弱いのなんて、最初からわかっていたじゃないか。

 ハツやシャオロンみたいに戦えなくても、ピートを守ってあげられたのだ。今はそれで充分だ。ひんやりとした土の冷たさに体中の緊張が解れる。

 んー、と大きく伸びをすれば足が吊りかけてしまったが、そんなカッコ悪い所でさえも自分なのだ。

「大丈夫、俺は、俺のまま強くなるんだぞ!」

 空に手を伸ばしてそう宣言したジークは、胸いっぱいに夜の澄んだ空気を吸って心が穏やかになったところで……普通に、そのまま寝た。

 それはジークにとっては、ほんの数秒ほどの瞑想のつもりだったのだが。

 自分で思うよりも疲れていたようで、朝までぐっすりコースとなってしまったのだった。

 早朝、ドナの森に一台の亜人荷馬車が入ってきた。

 荷物の運搬に扱われる動物寄りの大型亜人は、知能が低くおとなしいので、こうして日常的に使役されている。

 荷馬車は凍り付いた小屋の前で止まると、中から大きめの外套を羽織った一人の少年が降りてきた。

 少年はフードを目深に下ろすと、小屋の前に倒れているジークに気付き、特徴的な前髪を見て、「げっ」というように顔の片側を引きつらせた。

「ショッカク虫かよ。前髪、マジでやばいなコイツ……」

 一応、生きているかの確認として、つま先でつつくが反応はナシ。

 少年は面倒くさそうに首を鳴らすと、今度は大きく足を振りかぶった。

 ――ゴスッ。

「あいたっ! 敵襲かい!?」

 頭の上で誰かの声がしたと思えば、ゴスン、と頭に固いモノが当たり、ジークは痛みで飛び起きる。

「うわっ……こいつ生きてんのかよ」

 起き上がったジークと少年の声が重なる。

 何と言ったのかよく聞こえなかったが、ジークの目の端には一瞬だけ人の足のようなものが見えたような……。

「い、生きてちゃ悪いのかい……!」

 うっかり寝ていた罪悪感と、寝起きの悪さから苛立ったジークは、八つ当たり半分に少年を睨んだ。

 少年は、ジークの意識がはっきりしている事に驚いていたが、すぐに気を取り直すとフードを脱ぎ、自身の胸に手を当て丁寧なお辞儀をする。

「……いいえ、生きていやがったようで少々驚いたまでです」

 清潔感のあるスタイルで、肩の辺りまで伸びた赤い髪をうなじで束ねた少年は、髪の毛と同じ燃えるような赤い瞳を細め、貼り付けたような笑みを浮かべていた。

 整った顔立ちは高貴さを感じさせる。歳はジークと同じくらいのようで、束ねられた髪色に合わない青いリボンが目を引いている。

「君は……? そうか!」

 ジークは、妙に仕立てのいい衣服を着た少年と亜人荷馬車を見比べていたが、すぐにパッと目を輝かせ、少年を手招きする。

「もしかして、ミラナ領の他の街から来た応援の人じゃないかい? 俺達の連絡が途絶えたから、レオンドール王が応援を送ってくれたんだろ? 報告する事がいっぱいあるんだぞ」

「……ええ、聞かせてください」

 早く来てくれ! と呼ぶジークについていった少年は、小屋で凍り付いている家族の遺体を横目で見ると、素通りしていく。

「来てくれたよかったよ! 一人じゃどうしようもなかったんだぞ!」

 ジークは少年に違和感を覚えながらも、ちょうど起きてきたピートの世話にかかる。

 ピートは泣きはらした目を擦ると、昨日の事が夢じゃなかったと思い出し、膝を抱えて蹲っていた。

「ジゼルさんとオルムさん、この子の兄弟が眠っているんだ。何とかして弔ってあげたいんだけど、魔法の氷が解けなくて手が出せないんだよ」

 どうにか方法はないかな、と訊ねるジーク。

 赤髪の少年は、ハツとシャオロンの傷の具合を見ると、聞こえるように舌打ちをした。

「この状態にした相手の行方をご存知でしょうか?」

「……? わからない。俺も知りたいんだぞ……」

 言葉は丁寧だが、どこか引っかかる言い方だ。

 何が言いたいのか……わからず困惑するジークに、少年は上品に整った前髪をグシャリと潰すと、うんざりしたように首を振った。

 苦しそうに歪む顔、形のいい唇が「やりやがった……マジかよ……」と呟いた。

「……君、大丈夫かい?」

 黙り込んだ少年を心配したジークがそう声をかけると、赤髪の少年は弾かれたように顔を上げ、何も言わずジークをじっと睨みつける。

 かと思えば、なにやら一人でブツブツと話している。聞こえる範囲では、「こいつが?」、「こんな馬鹿顔にあんな影響力が?」などと失礼な内容も。

 ――たっぷり十分は過ぎた頃。

「おい、そこのショッカク虫野郎」

 覚悟を決めたように険しい顔で、口をへの字に曲げた少年は、ジークを思いっきり失礼なあだ名で呼んだ。

「いや、失礼すぎないかい。あと君、すごーく口が悪いな」

「状況が変わった。助けてやるわ」

 すかさず言い返すジークだが、無視されている。

 さっきまでの上品な雰囲気はどこに行ったのか……いや、最初に頭を蹴られた時からそんなものはなかったのかもしれない。

「ひとまず、お前らの溜まり場に行く。そっちの亜人とガキは、お前が連れてこい!」

 そう言った少年は、自分よりも体格がいいハツの足を掴むと、力づくで引きずりながら馬車の荷台へ乗せていく。

 途中で頭に石コロが当たって、とんでもない事になっているがおかまいなしだ。

「ま、待ってくれよ! この子の両親を置いていけないぞ!」

 ジークはシャオロンを背負い、ピートの手を引きながら訴える。

 何としても、ジゼルさんたちを弔ってあげたいのだ。

 ハツを荷台に押し込んだ赤髪の少年は、小屋に向かうと遺体の状態を確かめ、髪を束ねていた青いリボンを解いて右手に巻く。

 そうして、リボンを巻いた右手で凍り付いたままのジゼルさんの体に触れた。すると、薄い青色の魔法陣が床一面に浮かび、水分が宙に浮くように遺体を包んでいた氷は蒸発して消えていった。

 後に残ったのは、湿り気を帯びた空気だけだ。

「すっ、すごい……これも魔法なのかい? 君は貴族だったのかい? 魔法使いってみんなこうなのかい!?」

 目の前で起こった奇跡に興奮したジークは、矢継ぎ早に質問を浴びせる。

「うぜぇわ! さっさと運べや!!」

 青いリボンでもう一度髪を束ねた少年は、質問ばかりするジークを心底鬱陶しそうに睨み、馬車へ戻っていく。

「君、すごく面倒くさいんだぞ」

 一方で、正直に物を言ってしまうジークも負けていない。

 埋葬しようと、まずジゼルさんを抱えようとしたところで、ある事に気付く。ジゼルさんの衣服に乱れや破れはあれど、あれだけ小屋中を血まみれにしたはずの傷跡がない。

 恐る恐る胸に耳をあててみると、ほんのりと温もりがあった。

 そして微かに聞こえるのは、暖かい命の音。

「……!」

 ジークは付いてきていたピートと顔を見合わせる。

「ママ……!」

 ピートは、涙と鼻水で汚れた顔で笑う。

 ジゼルさんだけじゃない。オルムさんも、その下にいる子供たちも。

 意識を失っていても、みんな生きていた。

 それからは、嘘みたいに足取りが軽かった。

 一家を急いで馬車の荷台に運ぶと、これ以上、体を冷やしてしまわないように寝室から持ってきた毛布を掛けてあげる。

 ジークは荷台に乗ると、手綱を握る少年に訊ねる。

「もしかして、生きているってわかっていたのかい?」

 荷台から身を乗り出したジークに気付いた少年は、視線を向けることなく馬車を出発させる。

「知るか。クソ田舎の、クソみたいな庶民村の方向はどっちだ?」

「君は口と態度は最悪だけど悪い奴じゃないんだな! 伝承の生き物、ツゥンデェレかい?」

 ジークは、馬車の運転席に座る赤髪の少年にお礼を言いたかったのだが、またも正直さが口を滑ってしまったのだった。

 亜人馬車に乗るのはあまり気が進まなかったが、そうも言っていられない。

 誰も死なずに、あの夜を越えられた。

 ベレット村へ帰る途中、ジークはそれが嬉しくてピートと抱き合って喜んだのだった。