次の日、レイズは高熱を出してしまい部屋で寝込んでいた。
混乱していた頭はすっかり冷えており、昨日のことを思い出すと憂鬱になる。
もともと体が弱く、一日のほとんどを寝て過ごしていたのだ。
最近は少し無理をしすぎたな、と自分でもわかっていた。
少し眠ろうと目を閉じると、静まり返った部屋がやけに新鮮に感じた。
思えば、最近はリズと遊ぶことに時間を使っていたので孤独を忘れられていたのだ。
「一人は、こんなに退屈だったんだな……」
熱でぼんやりとする頭でそう呟くと、寝返りを打つ。
コツン、と物音がして窓辺に顔を向けると、バン! と真っ赤な液体にまみれた手が窓に叩きつけられる。
「ひっ!」
驚いたレイズが後ずさり、カーテンを閉めようとすると手形の横に、ひょっこりと何かが姿を現した。
友達であり、片割れのことが気になったリズは、仕事が終わるとすぐに部屋を訪ねて来たのだ。
「れい!」
ただ、生まれて日が経っていないこの子は、本当にそのまま来てしまったのだ。
柔らかな青い髪は、頭から赤い染料を被ったと思ってしまうくらいに汚れ、顔まで赤く塗れていた。
切り傷だらけの両手からも、赤い液体が溢れてしまっている。
「うわ……」
窓越しでもわかる異常さにレイズは顔を引きつらせた。
昨日、平然と人を痛めつけていたリズの冷淡な姿が脳裏によぎる。
リズは人の顔色を見る事が出来ない。だから自分の気持ちだけで動き、目だけがキラキラと輝いている。
「れい? れい!」
まだ言葉もうまく話せないけれど、無邪気に精一杯、遊ぼう! 開けてくれと血まみれの手で窓を叩く。
正直、レイズはそれが狂気じみて怖かった。
窓を開けようかと迷っていた時、部屋のドアがノックされる。
「は、はい!」
咄嗟にレイズがカーテンを閉めて振り返ると、食事の乗ったトレイを持つエリオが入ってきた。
「レイ、調子はどうだい?」
「ま、まだ少し辛いですが大丈夫です」
少しでもリズを隠そうと窓に背を向け、家族用に作った笑顔を向ける。
食事をテーブルの上に置いたエリオは、レイズの後ろに目線を向けると椅子に腰かけた。
「……近頃、お前があれに食事を与え、世話をしているのだと聞く」
「……」
あれ、とはリズのことだ。レイズは俯き、ぐっと拳を握った。
弟のその様子にエリオは叱るわけでもなく、静かに話し始めた。
「もっと早く、お前には話しておかなければいけなかったな」
溜息をついたエリオは、レイズの目を見て抑揚のない声で続ける。
「あれの正体は、亡くなった母上の内臓と目玉を持つ、なりそこないだ」
「……え……?」
レイズは目を見開いたまま言葉を失う。突然の話に頭がついていかない。
だが、兄であるエリオは弟の方を真っ直ぐ見つめたまま続ける。
「お前を素体とし、母上を蘇らせる禁忌の実験のなれの果て。肉体や知能も不完全な失敗作だ」
最低限の家具しかない狭い部屋に、エリオの低音が響く。
いつしか、窓を叩く音は止んでいた。
「……俺が、素体……?」
「そうだ。あれは心を持たない、ただの傀儡なんだ」
レイズは自分の耳を疑っていた。キンと耳鳴りがする。
そんな弟に、エリオは淡々と言う。
「あれは、決して人の心を理解したりはしない。癒しの魔力を持ち、感情もなければ痛みや味覚もない。そういう風に作られているんだ。あれに関われば、お前が苦しむ」
静かにそう言ったエリオは、少し間を置き「お互いの為なんだ」と弟を思う兄の顔で告げた。
「……」
レイズは口をつぐむ。リズは、どんなに酷い傷を負っていても平然としていた。
あの緑色の炎が癒しの魔力なのだろう。それに、昨日のことだって忘れたわけじゃない。
命乞いをする男にナイフを突き立てた時の、昏く細められた深海のような目が怖かった。
七歳のレイズには難しい事はわからない。
けれど、はっきりと言葉に表せない感情がこみ上げ、涙が頬を伝う。
リズは生まれたばかりで、得体も知れなくて不気味だ。
それでもレイズにとっては、退屈な日々から外へ連れ出してくれた初めての友人。
昨日、あんな手段をとってまで自由を手にしたのはレイズに会いたかったから。
ただそれだけ。そんなこと、本当はレイズにだってわかっていた。
「だったら……より残酷です!」
レイズは、グシャグシャになってしまった心の中から、まとまらない言葉のカタチをかき集める。
どうしようもない気持ちが胸を締め付け、鈍い痛みが襲う。
女神の本を一緒に読み、不器用な笑顔を作ろうとしたリズ。
パンを頬張り、風で飛んでいくセイランの花びらを見上げた、少し寂しそうな眼差し。
夕日が沈むまで遊び、花畑に寝そべった時の満足そうな顔。
楽しかった記憶はどれもすぐに頭に浮かび、昨日の恐ろしい記憶よりもずっと強く輝いていた。
「実験で生まれたリズが失敗だというなら、どうして名前なんて付けたんですか……?」
レイズは作られたとは言わない。もう、リズのことを親友であり片割れだと思ってしまっていた。
「それは、私にもわからない。とにかく、必要以上にかまうのはもう……」
「いやです!」
レイズは、自分でも驚くような声でエリオの声を遮った。
今の話を聞いて、リズが母親と自分の細胞を使って作り出されたのだと信じられず、怯えているのだろうか。
それを知った上で、幼いレイズはこの事実を飲み込んだ。
「俺はあいつの兄です! だから、絶対に見捨てません。共に生きます!」
いや、信じて受け入れた。
「あいつは、今にきっと処分するのが惜しいくらいに強くて優秀な暗殺者になるから……役に立てばいいんですよね?」
震える拳を握りしめ、レイズはわずかな希望に縋る。
だが、エリオは首を振った。
「あの子は、お前の友人にもなれない。使えなくなれば処分される道具だ。それに……」
そう言った兄の顔は、今までに見たことがないくらいに険しく真剣で、レイズは圧倒されてしまう。
「今ならまだ、あの子はただの化け物でいられる。心を持たない化け物として死ねるんだ」
そう言って説得するエリオの言葉は、レイズの心に傷を残していく。
物心つく前から家族の中で爪弾きにされ、父親からは妻を奪った忌み子として扱われる日々。
兄や姉からは守ってもらえることもなかった、唯一の味方のエリオはいつも居るわけじゃない。
死にたいと諦めたふりをして、レイズは本当はずっと誰かに愛されたかった。
エリオを納得させられる言葉は思い浮かばない。それでも、自分の言葉で対話がしたい。
「俺はリズと関わるのをやめません。人の心がわからないなら教えればいい!」
こんなことは子供の戯言だとわかっていても、エリオはただ黙って耳を傾ける。
「足りないところだって助けます……!」
これで兄が納得するとは思えない。わかっていてレイズは懇願する。
顔が熱いのは体調のせいだけじゃない。無意識に、自分とリズを重ねてしまっていた。
だからこそ、譲れない。リズには同じ寂しい思いをさせたくないのだ。
「道具にだって心があるんです。今はわからなくても、きっと伝わるはずです」
でもこれでいい、とレイズウェルは自分に言う。これは親兄姉に対する、生まれて初めての反抗なのだ。
黙って死ぬのを待つ『イイコのおぼっちゃん』なんて、クソくらえだ!
「……お前に何が出来るんだい? あれは、フラクタが管理することになっているよ?」
冷静なエリオは、そんな弟の反抗をやんわりと受け止め質問を返す。
「なら、俺があいつを守ります!」
レイズは瞳に込み上げた涙を乱暴に拭うと、子供ながらに凛としてそう言った。
「俺が守ってあげれば……リズが立派な暗殺者になれば、問題ないんですよね?」
もう一度、確かめるように繰り返す。七歳の子供がこの決断をするのは重く苦しい。
それでも、レイズは俯かなかった。まっすぐ、この選択を何ひとつ恥じないと顔を上げ続け、エリオに強い眼差しを向けていた。
「……レイ、愛情は呪いの枷だ。そう、上手くはいかない」
「それでも、俺はあいつをひとりにしません!」
レイズはリズを守りたい一心でそう言った。フラクタに渡せば、あの笑顔は消えてしまう。
せっかく芽生えたリズの意志が消える、それだけは嫌なのだ。
そんな気持ちを察してか、兄は厳しい表情のまま静かに訊ねる。
「……必ず、いつか後悔する時が来たとしても、お前は今と同じような顔をするのかい?」
「はい」
レイズは迷わず頷いた。
「……そうか」
根負けしたような大きな溜息のあと、ふわりとエリオの周りの空気が柔らかくなる。
「ならば、父上には私から報告しておこう」
成長した弟の姿に緩く微笑んだエリオは、そう言って部屋から出ていく。
すぐに戻ってきた彼の手には、綺麗に盛り付けられた食事があった。
ミルクの甘くまろやかな香りにレイズは目を丸くする。
「エリオ兄さん……?」
「作りすぎてしまってね? あの子と、リズと食べなさい。お前は、今日からあの子の管理者になるのだから、目を放してはいけないよ」
そう言ったエリオは食事をテーブルに置き、隣り合うように二人分並べた。
まだ温かい丸パンとメインディッシュの隣には青々とした野菜、クリームスープには焼いたイモが浮いている。どれもレイズの大好物だった。
体調を考えたバランスのいいメニューだ。準備の良さからして、二人分用意していたのだろう。
料理を眺めているレイズに、優しい兄は微笑む。
「本当はな、お前が何と言うのかなんてわかっていたさ。……無駄に親代わりをしていないからね」
テーブルに肘を置いたエリオは、優しい眼差しでレイズを見ると困ったように眉を下げて笑う。
「あ、あのっ」
「ただし、解熱薬は必ず飲みなさい。それと、外にいるお前の片割れを常に清潔にさせておくように。癒しの魔力は病気には効かないからね」
お礼を伝えようとしたレイズを遮ったエリオは、部屋を出る時にきっちりと釘を刺していったのだった。
「……」
遠くなっていく兄の足音を聞いていたレイズは、ハッと我に返るとリズを隠していたカーテンを開けようと手をかける。
すると、血まみれのリズが窓に両手をついてカーテンの隙間から覗き込んでおり、驚いたレイズは悲鳴を上げた。
「どわぁっ! お前、何やってんだよ!」
「れい、はなし、した?」
空色の丸い目がキョロキョロと用心深く部屋の中を見渡す。
この様子だと話を聞いていたのだろうが、これはこれで怖い……。
「……うんまぁ、そういうことだ。昨日は突き飛ばして悪かったな……」
まさか、本人のいるところで『あんなこと』を言ってしまうとは自分でも思っていなかったレイズ。
恥ずかしさと気まずさでカーテンと窓を開け、リズに食事が乗ったトレイを渡す。
受け取り際、リズがトレイを落としかけてしまい、支えようとしたレイズの手に血がついてしまう。
「うわっ!」
「んん……!」
低く唸ったリズは両手で頭をかばう。
今日もフラクタに訓練と称して酷く痛めつけられ、また殴られるのかと怯えているのだ。
体の傷は再生できても、心の傷は簡単には治らない。
レイズは、誰よりもそのことを知っていて、リズを安心させるように微笑む。
「……後できれいに洗おう。そうだ、いいモンやるよ」
何でもない事だというようにクローゼットの中から洗いたての服と、母親の形見の濃い青色のリボンを取り出し、勢いをつけて窓枠に足を掛けた。
気付かなかったが、今日は気持ちがいいほどの晴天だ。
そよそよと穏やかな風がセイランの花畑を抜けていき、のんびりとした時間が流れる。
「……この野菜とそっちのハンバーグ、交換しねぇ?」
「やさい?」
メインディッシュのハンバーグを目にしたレイズは、片割れに取引を持ち掛ける。
慣れないフォークに苦戦していたリズは、レイズの目線を辿ると顔を明るくして頷く。
「ん、ハンバーグ? とやさい、こうかんする!」
勢いよくフォークを振り下ろし、自分の皿の野菜とレイズの皿のハンバーグを交換して、覚えたてのへたくそな笑顔を向けて来た。
「だから、なんでそっちを拾うんだよ! お前、わざとやってるだろ!」
レイズは、妙に既視感のあるやりとりにつっこみながらも、しぶしぶ野菜を食べ始めた。
誰もいない庭園で、いらない者同士の二人は遅めのランチタイムをとる。
誰にも邪魔をされない孤独で孤高の時間だ。
お互い、発熱と血まみれでボロボロだったけれど、それでも幸せだった。
