第6話『黄昏の落星⑥』

貴族の子供時代は短く儚い。
 リズが目覚めて数か月が経とうとしていた頃。

ルークの仕事を目の前で見て怯えていたレイズは、今や片割れの子の管理者としての仕事にも慣れて、残酷な光景も日常のものになっていた。

この家における管理者とは、主に暗殺者として外で働く人間をサポートする存在であり、普段の生活も共にするバディのようなもの。

レイズは七歳という年齢でありながら、ホワイトランド中の経済や政治の知識も詰め込み、己が持てる全てをもってリズを支えようと努力する日々。

リズもまた一人で仕事をこなし始め、人を殺めることに躊躇いがない冷酷な暗殺者になっていた。
 それでも、レイズと暮らすうちに文字と言葉を覚え、家に帰れば冗談を言い合うまでになっていた。

リズはよく笑う無邪気で明るい活発な子になり、反対にレイズは思慮深い少年に育っていた。

そんなレイズは、今日も仕事に使う薬品がしまってある倉庫で瓶に貼ったラベルと睨み合いをしている。

 

 

 
「……えーっと、次の仕事は北のアルタファリアでのだからあの薬がいいか?」

なんて呟きながら薄暗い倉庫の棚を自前の炎で照らす。
 毒薬から呪いを込めた薬までと、様々な種類が並ぶ棚の間を慎重に進んでいく。

 
「あーあった、これか?」

目的のモノを見つけ、手を伸ばしたレイズを呼ぶ声が聞こえた。

 
「レイ! ここにいた!」

明るく弾む声で倉庫に入ってきたのはリズだ。
 顔の左横の髪を結った青いリボンをご機嫌に揺らし、片割れのもとへスキップでやって来る。

 
「ねぇ、ねぇ! 聞いて、今日のはねー」
「待て! お前、また着替えないまま来たな。先に洗ってこい」

レイズは臭いと汚れに気付くと、そのまま抱き着いてこようとする片割れを肘で押しやり、手を振って追い払う。

 
「いつも言ってるだろ? お前の能力は、傷は治っても病気は防げないんだ」

呆れたようにジト目でレイズがそう言う。

 
「リズはレイが大好きだ。もっと話したい。かんりしゃなんでしょ!」

と、むくれるリズ。

 
「俺は管理者だから、お前の体調管理も仕事のうちなの!」

お互いにヒートアップしつつあるのを押さえ込み、レイズは何かうまく話を逸らせないかと考えを巡らせる。すぐに答えは出た、簡単なことだ。

 
「……じゃあ、体を洗って着替えたら部屋に行ってろ。今日はスコーンがあったからな」
「ん! いってくる!」

こっそり食おうぜ! と言い終わる前に、リズは倉庫を出ていた。
 片割れの足音を聞きながら、レイズも手早く薬品を選んでいく。

この数か月の間にリズは成長し、自分の意志まで言えるようになっていた。もちろん、心の方の発達はまだ遅れているものの、少しずつ感情を持ちはじめていた。

こんなに懐かれると思っていなかったレイズは、照れ隠しでそっけなくしながらも、自分を慕うリズを大切に思っていた。
 この、なんでもない一日がとても楽しいのだ。

 ――

兄や父親の目を盗み、キッチンにあったスコーンを皿に移し、ついでに温かい紅茶をもらってルークの館の奥にある離れの自室で一緒に食べる。

レイズは甘いものが好きじゃないけれど、リズが喜ぶので果物のジャムや甘いシロップも持ってきていた。

最低限の家具しか置いていない殺風景な部屋。ここが二人の秘密基地だ。
 シンプルな木製のテーブルにお菓子の皿とティーポットを置く。
 ベッドと椅子にそれぞれ腰かけて、ささやかなおやつタイムを開くのがお決まりだ。

 
「――でね? その男がよく喋るから喉を潰したら、すごい声が出たの! もっと聞こうと思ったら、舌を噛んで動かなくなっちゃった!」

手のひらに収まるサイズのこんがり焼けたスコーンを手に、リズは今日の仕事であったことを面白おかしくレイズに話していた。
 こういう時、レイズはさりげなく話を変えるようにしている。

 
「……そういえば、これから先で勝てない相手に出会ったら挑むなよ」

レイズがそう言うと、リズは不思議そうに目を丸くし、黙って頷いた。

 
「ん。レイが言うなら、そうする」

リズは生まれたばかりで善悪の区別がないので、レイズの言うことを聞いて従う。
 幼い片割れの話す内容は、笑えるものばかりじゃない。
 それであって、家では感情がわからない化け物として扱われているのも変わらない。

せめて、注意してあげるのが兄としての役目なのだろうが、レイズは何も言わない。
 最近やっと感情を知って、仕事にもやる気を出しているリズに余計な事を考えさせたくないのだ。

だから、こういった話をし始めると、わざと話を変えていた。
 ヘタに感情の意味を覚えさせ、心を乱さないことがリズを守ってあげられているのだと思っていた。

 
「でも、リズよりも強い相手はあまりいないから大丈夫!」
「あと、痛覚がないからって人前で自分の両手足を切り捨てるのもナシ!」

話を逸らされたことが不満げなリズに、レイズはもうひとつ注意を付け加える。

 
「もうそれは何回も聞いた。レイが言うならやらない」

これも、リズを他人の好奇の目から守る為なのだ。
 癒しの魔力は持っている人間が少なく、目を付けられてしまえば悲惨な目にあうのがわかるから。

 
「リズは、いっぱい頑張って立派な暗殺者になれたら、もう叱られなくてすむかな」

カップの中の紅茶に映った自分の姿を見つめ、リズはそう言って悲しそうに唇を尖らせた。
 癒しの魔力で傷は治っても、兄や父に訓練と称して受けた虐待の傷は心に深く残っている。

今日だって、仕事の報告へ行った時に「時間がかかりすぎだ」と父親から制裁を受けたばかりなのだ。
 制裁といっても種類は様々で、殴られ蹴られたり、時には水ももらえず何日も暗い部屋に閉じ込められたりもする。

レイズがサポートしていても、まだ暗殺者としてかけだしのリズの扱いは酷い。
 そんな片割れのことをレイズは心配していた。けれど、自身に出来ることは少ない。

 
「そうだな、でも俺もいる。だから一緒にがんばろうな!」

子供ながらに自分が無力なのだとわかっているレイズは、片割れの頭を優しく撫でて慰める。

 
「ん。がんばる!」

すると、リズは気持ちがよさそうに目を閉じていた。
 ふとレイズが目線を下げると、リズの皿が目に入った。
 そこにはスコーンにたっぷりと乗せられたジャムとシロップが。

 
「そういえば、お前、スコーンにジャムとかつけすぎじゃないか?」

片割れの頭から手を放し、レイズは皿に載せられたスコーンを指さす。
 明らかにスコーンがジャムとシロップに浸かっている。

 
「んん? リズは味がわからない。でも、女神さまの本には甘いものは幸福をもたらすって書いてあったよ」

そう言ってリズは、もっと撫でて欲しいとレイズの手を掴んで自分の頭の上に置く。
 レイズとリズの関係は片割れというか……。
 リズがレイズに向ける感情は、ペットの動物が飼い主に懐いているものに近い。

モデルとなる愛情を知らないので、表現がストレートなのだ。

 
「ああ、そういうコトか……ほんっとに女神エリュシオンが好きなんだな」

レイズもそれがわかっていて、あしらう事はしない。
 されるがままにリズの頭を撫でながら苦笑いを浮かべたのだった。

 
「ん! 女神さまはいるんだよ!」

リズは満足そうに可愛らしい笑みを浮かべ、ジャムとシロップがたっぷりかかったスコーンを頬張る。

紅茶を飲みきったレイズが、机の上に開かれたままの本に目をやると、そのページには女神エリュシオンが妊娠している女性に祝福を与えている物語が描かれていた。
 リズは、甘いスコーンを飲み込むと横から覗き込み、絵を指さす。

 
「レイ。この、女神様に祝福を受けている女の人のお腹が大きいのはどうして?」
「ああ、これはお腹の中に子供がいるんだ。生まれる子供が幸せになれるよう、ってな」

レイズとしては何の気なしに答えたことだが、リズは大きな空色の眼を見開いて絵をまじまじと見つめる。

 
「母親……ってなに? レイにもいるの?」
「いるよ。母親は、俺を産んだ人のことさ。優しくて、心が強いひとだったらしい」

 描かれた女性を見つめるレイズは、いない母親の事を想って寂し気に笑う。
 レイズの表情の意味がわからないリズは、不思議そうに質問を続ける。

 
「母親……優しい母さま? レイとリズの母さまはどこにいるの?」
「え? あ、ああ……」

まさかこんなに興味を持っているとは思わず、レイズはなんと答えようか迷ってしまう。
 自我が芽生え始めたばかりのリズは、純粋で何でも鵜吞うのみにしてしまう。

ましてや、母親の臓器を宿しているリズに本当のことを言えるはずもない。

 
「……そうだな、母さんは今ちょっと仕事でいないんだ。もうすぐ、帰ってくるって言ってた!」

リズに対し、仕事柄どうしてもつきまとう『死』という概念に疑問を持たせたくなかったレイズは、迷った末に嘘の笑顔を貼り付けてそう言ってしまった。

 
「ほんとう? リズにも母さまがいるの? 会いたい!」
「ああ、母さんもお前に会いたいはずだよ」

ほわぁと目を輝かせて笑うリズは、疑うこともせず母親の愛に憧れている。
 レイズは胸に刺さった罪悪感を気付かないふりをし、残酷で、砂糖菓子のように甘い嘘をついていた。

それからのリズは、どんなに過酷な仕事にも元気に向かい、全身を返り血で染めて戻って来て、レイズにその日の標的の話を楽しそうに話す。

二人は仕事の成功を祝って喜び、寝る前には将来の夢の話もする。
 リズはレイズといる時にだけ明るく笑い、自分の気持ちもよく話す。

満面の笑みを浮かべて刑を執行する姿は、皮肉にもルークの家が望んだ化け物の姿となってしまっていた。

決して、正気の沙汰じゃない狂った光景だ。
 それでも、化け物として生まれたリズと、劣等感を背負うレイズにとってはこれが幸せだった。

夜空には星々が浮かび、庭園に咲くセイランの花が揺れる。
 ずっと、こんな日が続けばいいなと思っていたレイズの願いは届かなかった。

星が、落ちたのだ。