第68話『ひとりきり』

 黄昏時、目を閉じた混血の復讐者は闇の中へ落ちていく。
 
 首にかけられた飼い主の呪いは、最後まで彼を縛り付けていた。
 遠のく意識に身を任せ、いっそこのまま眠ってしまおうと思っていたその時――。

『ハーヴェン』

 耳の奥で自分を呼ぶ声がした。
 
「……!」 
 
 懐かしい声に呼ばれ暗闇の中で目を開くと、目の前の景色は流れ、いつの間にか西の森にある亜人のアジトの椅子に座っていた。
 
 亜人解放組織のアジトにしていた洞窟は変わらず、嗅ぎなれた草と水の匂いがしている。
 この森にしか生えていない、ジェナの木で出来た椅子の手触りも本物だ。
 気配に気付いて目を上げれば、同じ年頃の数人の亜人達が立っていた。

『また寝ていたのか?』
 
『全く、お前はたまに来たと思ったら、寝てばかりだな!』
 
『寝すぎると夜が眠れなくなるよ』
 
 からかいながら笑う亜人の少年達は、驚いているハツを見ると顔を見合わせ頷き合い、それぞれが床に置いていた荷物を背負う。
 
「どこに行くんだ?」

 ハツは嫌な予感がし声をかける。
 彼らがどこに行こうとしているのかわかってしまったのだ。忘れるわけがない。
 だって、間違えようがないのだ。

 彼らは……彼らは、間違いなくあの夜のガリアンルースで死んでいるのだから。

「待ってくれ! 行くな、行かないでくれ……!」
 
 止めようと椅子を蹴り走る。一人が振り返り、たれ目がちなひとつ眼を細めて言う。
 
 『お前は、何もかも一人で背負ってしまっていると思っていたけれど、仲間がいて安心したよ。これで、心配することなく逝ける。ありがとう』
 
 そう言うと、振り返った残りの亜人達もハツに笑いかけた。
 ハツは強く首を振り、震える声で否定する。

「違う……違う! 何も、出来ていない……俺は自分の復讐を果たす為、人間に情報を流した……同じ亜人を裏切った! レオンドールだって殺せなかった、お前らの仇を討てなかった……この森も守れなかった……」
 
 ガリアンルースの亜人区画で、襲撃があると人間に情報を流したのはハーヴェンだ。
 亜人の王と人間の反逆者をレオンドールの前へ突き出し、対価として森を守ろうとした。
 
 なぜ、この事を解放組織の亜人達に話さなかったのかは自分でもわからない。
 それでも共に戦い、亜人を助けたいと思っていたのは本当だ。
 
 矛盾した答えから目を背け、死んでいった仲間の為にレオンドールへ刃を振り下ろした。
 なのに、所詮は奴隷だと烙印を押され返り討ちにあってしまった。

 その現実が罪悪感となって、黒い波のようにハーヴェンの心を飲み込む。
 
「は……っ、そうさ、刺し違えてでも殺さなきゃならなかった……絶対に俺がやらないといけなかったのに邪魔された……!」

 邪魔が入らなければレオンドールの胸を突き刺し、殺せた死ねたのだ。
 胸に残る憎悪が燃え上がり、醜く引きつった表情を隠す為に両手で顔を覆う。
 
「……!」
 
 刹那に、どんなに強く当たっても自分を助けようとしたジークの顔が浮かんだ。
 腫れ上がった顔で、必死に「行かせない!」と言った声が頭の中に響いて離れない。
 
 亜人達はそっとハツの肩に手を置き、やんわりと首を振った。

『違うさ、お前を恨んだりするものか。お前がいたから亜人は立ち上がれた』

『そうさ。戦うと決めたのは自分自身だ。だからどうか自分を追い詰めないでくれ』

『ありがとう、ハーヴェン。お前はどうか生きてくれ』

 立ち尽くすハツに、晴れ空のように笑ってそう言った亜人達はアジトの外に広がる暗闇へと向かう。

「待って……置いて行かないでくれ、一緒に死なせてくれよ…………」
 
 ハツは涙交じりに訴え手を伸ばす。けれど、消えて行った仲間の欠片を掴もうとした手は空を切った。

 暗闇に包まれた世界の中でひとりきり。

 
 胸を引き裂く喪失感と絶望で涙があふれ、瞳に留まれきれず零れ落ちた時、遠い記憶の中にある聞こえた。

『ハーヴェン? どうしたんだい?』
「!」 
 
 ハツは弾かれたように顔を上げ、涙を拭う事も忘れて食い入るように夫婦を見る。
 記憶が呼び起こされ、周りの景色が色をつけていく。

 青空の下で、森の中にひっそりと建てられた赤い屋根の小屋の前。
 柔らかい秋風のように落ち着いた眼鏡の男が、赤毛の亜人の女と並んで立っていた。

「父さん、母さん……?」

 名前を呼べば二人は頷いた。
 
『そうだよ』
『やぁ、ずいぶん久しぶりになったなぁ』

 ずっと会いたかった両親は、あの頃のまま何一つ変わらない姿をしていた。
 ハツは、信じられないと口を開いたまま二人を見つめる。
 
『それより、男は滅多に泣かないもんだ、どうした?』

 昔から男勝りな母は笑うと眉間に皺が寄る。この笑顔を見ればどんな悩み事も飛んでいったのを思い出す。

『怪我もしているね? 泣きたい時に泣かないと、いつか本当に泣き方を忘れてしまうよ』

 温厚で優しすぎる父は、いつもハーヴェンが泣いていると慰めてくれ、怪我をすれば薬を塗ってくれていた。

「なんで……? 二人とも死んだのに…………」

 ハツは自分の目を疑う。最後に両親と会えるなんて思ってもみなかったからだ。
 とうの昔に捨てた恋しい思いが溢れ、子供のように表情が崩れる。

 いつの間にか、体は幼いの頃の姿に戻っていた。
 
『……もしや、お前が泣いてやしないか心配になってね?』

 そう言った父は、分厚い眼鏡レンズの奥で優しく微笑みハツをそっと抱きしめた。

『お前には復讐なんて忘れて、どんな形でも生きていて欲しかった……』
 
「なんで、なんで父さんまでそんなことを言う! 二人を殺した奴が幸せになっていいはずがない! そうだろう⁉」

 父のうれい沈む声を聞いたハツは、歯を食いしばり訴えた。
 まるで、生き残ったことが罰なのだと、自分を追い詰めていく我が子を母親が抱きしめて言う。
 
『やめな、もうあたしらは死んだんだ。復讐はおしまい。あんたは、あんたのまま生き抜きなさい』
 
 昔と変わらないぶっきらぼうな物言いだが、決して揺るがない母の愛情が込められていた。

『憎しみに囚われて生きないで、怖がらずに目の前の絆を信じなさい』

 頷いた父は、小さな子供のハツと自分の背を手で測って比べ、はは……と寂しげに笑う。

『大きくなったな、ハーヴェン。お前は、私達の大切な息子だよ。自慢の子さ』

『そりゃそうだ! 私らの子だ、自分で立てるだろう?』

 力強く豪快に笑った母は、言葉と裏腹に離れたくないとハツを強く抱きしめる。
 彼女の目には寂しさと、生きて欲しいと子に願う親の涙が浮かんでいた。

『生きなさい、生きて自分の人生を進みなさい。あんたは、あたしが産んだんだ。出来るだろう?』

『お前は誇り高いアインローズと人間の子だ。いつかきっと、愛する人が出来たなら失くさないように守りなさい』

「父さん、母さん……」

 ずっと会いたかった両親の愛を胸いっぱいに受け、ハツは目を閉じた。
 わかっている、これは走馬灯で幻覚だ。

 死んだ仲間も、両親ももういない、会えるわけがない。
 それでも、幻覚だとわかっていても心は束の間の幸せを選んだ。
 
『愛しているよ、ずっとどこにいても……』

 寄り添い、そう言い残して幸せそうに笑う二人の姿が、氷の結晶のように少しずつ崩れ闇の中に消えていく。
 
 懐かしい森の景色も、両親も戻らない。
 ハツは暗闇に溶け込んで消えていく両親を追わず、涙を拭って無言で見送る。
 
 本当は心の中でわかっていた。両親が復讐を望んでなんかいない事を。
 二人は死の間際、ただハーヴェンさえ生きていてくれたらそれでいいと、それだけを願っていたことを知っていた。

 知っていて、蓋をして忘れたフリをしていたのだ。

 弱い混血の亜人が一人で生きる世界は、最下層であり誰もが無関心で残酷だ。
 毎日食べるものすらもなく盗みや残飯漁りなどをし、泥水をすすって生き延びるしかない。

 同じ奴隷の亜人からも薄汚いと罵られ、人間からも受け入れてもらえない地獄の日々だ。
 
 そんな中で、幼いハーヴェンが生き残るには、他人を利用し切り捨てるしかなかった。

 昔、人間に飼われた亜人奴隷である母と、その家で働いていた父は恋に落ちた。
 手を取り合って逃げ、誰にも見つからない森の中で暮らし、子供と三人で遠くの星に平穏な願いをかけた。

 母はよく、昔にあった亜人戦争で人間と戦ったロディオールの話をしていた。
 
 どんなに傷付いても亜人を見捨てず、負ける最後の最後まで人間を追い詰めた伝説の亜人の王様。
 アインローズは、王様の護衛として仕えていたのだと嬉しそうに語る。

 いつか、生き残ったロディオールの一族が亜人を助けてくれるから、と。

 戦いに負けて全てを奪われた亜人の王は、もうとっくに首を落とされてしまい、助けになんてくるわけがないのに……いつまでも信じていた。

 襲撃の日も森へ果物を採りに出ていた。何のことはない、いつもの一日だ。
 その日が、両親をいっぺんに亡くす事になるなんて誰が予想出来ただろうか。
 
 ただ、復讐を生きる理由にしなければ、つらくてしかたがなかったのだ。

 
 元の暗闇に戻り、静寂が訪れた時。
 今度は目の前に汚れた毛布を頭から包まり、嗚咽をもらす子供の姿が浮かび上がった。
 
 歳は十歳にも満たないくらいだろうか、毛布からはみ出ている濁った青く長い髪と傷跡だらけの手足。
 不衛生でみすぼらしく、虐待を受けているのだと一目でわかった。
 
 ただひたすら、うわ言のように「ごめんなさい」と繰り返す姿を見下ろし、毛布をはがそうと手を伸ばした所で、子供の潤んだ両眼が向けられた。

 
 次の瞬間、目の前に一面の夕陽に染まる赤い空が飛び込んできた。
 
 それと、こちらを見下ろすリズの顔が映り、感情のない二つの青が見つめていた。