「あぁ……」
ハツは気絶していたのか、と一人ごちる。酷く懐かしい夢を見ていたようだ。
体中が痛いが、まだ死んでいなかった事に舌を打つ。
どうやら運悪く、塔の下にあった廃材置き場へ落ちたようで、使わなくなった古布や木の板がクッションになってしまったのだろう。
痛みだけが残る強靭な亜人の肉体は、塔の上から飛び降りたくらいでは潰れてはくれなかった。
「……」
苦しむ様子を観察しているのか、リズは喋らない。ただ黙って見下ろしている。
「……人形らしくジークに命令でもされたか? それとも、追い打ちをかけに来たか?」
ハツは、仰向けに倒れたまま虚ろに夕日を見つめ、侮蔑を吐き捨てる。
煽り言葉に反応しないリズは、ハツを見つめたままポツリと尋ねた。
「教えて欲しい。お前は、あの子なの……?」
わずかだが、リズの声に焦りが混じった事に気付いたハツは、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「だったら、どうする? 今度こそ殺すか?」
そう言いながら痛む体を引きずって立ち上がり、血走った目で睨み付けた。
「……どうしてみんなを騙したの?」
少しの沈黙の後、リズは小さな声で聞いた。
「仲良しごっこを期待したか? 残念だったなァ、最初からそんなもんなかったのによォ!」
ハツは己の腹の内にあった物を剥き出しにして悪意を吐く。
「利用できるものは何だって使う! それが俺の生き方さ! テメェをすぐにあの変態に引き渡さなかったのもそうさ、幸福の甘さを知った所で叩き落としたかったからだ!」
幼い頃から研いできた復讐心は、今まさに『正義』を被った『憎悪』に変わる。
「捕まれば生きたまま切り刻まれて自由はねぇ……レオンドールは、さぞかしお前にご執心だろうよ!」
「……」
リズは黙りこくり、醜悪に嗤うハツを睨み返す。
どんな事を言われても動揺などしない。自分の出自を思えばレオンドールが癒しの魔力を欲しがっている事はわかる。
「お前は見た事あるか……?」
廃材の中から鋭利な金属片を掴んだハツは、破片で自分の手すらも傷つけながら、長く抑えていた憎しみを吐き出す。
「目を覚ました時、親の死に顔を前にしたガキが、腐っていく肉のクソみたいな臭いの中ですがりついている姿を! 奴隷に落とされた後、居場所がなくドブの中で食い物を漁っていた、あの地獄を!」
全てを失って落ちたあの日の事がフラッシュバックし、やりきれない悲しさが体中を蝕んでいく。
誰もが混血亜人の子供を助けようとしなかった。最底辺のあの場所では、生きている事だけで奇跡だったから。
「テメェは人殺しの影から逃げられはしねぇ! 復讐こそが、俺にとっての正義だ!」
ハツは腹の底から呪いを叫び、リズの顔面を狙って金属片を投げ放つ。
「……!」
リズは一直線に目を狙った尖端を避ける。少し掠ってしまったが問題ない。
だが、その一瞬の隙こそがハツの狙いだった。
――白い首に指がかかる。
(しまった……!)
リズは体勢を保とうと息を吸い込む。
だが、力強く首を掴む腕に気付いた時にはもう遅かった。
指が皮膚に食い込んだ直後、視界がぐるりと回り勢いのまま倒されてしまっていた。
次いで、自分の声とは思えない掠れた息が吐き出され、必死に酸素を求める浅い呼吸が繰り返されていた。
「っ……う、ぁ、ぐ……!」
喉の奥まで空気が入らず「カヒュッ」と乾いた咳を吐き出す。
リズが苦し気に息を吸おうとすればするほど、首を絞める両の腕はより体重をかけて締めつけられていく。
ハツは悲鳴を上げる全身にありったけの力を込め、突き倒したリズの首を絞めていた。
「どうした、抵抗しろ! あの時と同じ人殺しの目をしろ!」
――どうせ死んでしまうのなら、こいつだけは殺してしまいたい。
憎悪は殺意と混ざり、そこに容赦はない。
癒しの魔力を持つ者は、自身の外傷や毒物などは癒せても窒息死は防げない。
それがわかっていて、金属片を囮に使って近付いたのだ。
「けほっ……!」
苦しみ悶えるリズは、首を絞める腕を引きはがそうとするもうまく力が入らない。
薄くなる意識の中、酸素不足で生理的に流れた涙を頬に伝わせ必死に口を動かす。
「ころさ、な……」
ヒュゥ、と喉が鳴り途切れてしまう。それでも、どうしても伝えたくて少ない酸素を吐く。
「ころさないで、って言った……」
「はっ、今さら命乞いか? 哀れなもんさなァ!」
あの子の普段とはかけはなれた姿にハツは侮蔑を込めて嘲笑う。
いつもすんとすましたリズが、こんなにも無様に命乞いをしている。
それが濁った復讐心を満たしていく。
(あぁ、このまま終わらせれば最後にひとつ叶う……)
ハツは全てを失ったあの日から復讐の為だけに生きて来た。
どんなに手を汚しても、生き残る為にやったのだと言い切れる。
貴族は嫌いだ、亜人を粗末に扱う人間はもっと嫌いだ。
レオンドールも、ロディオールも、こいつも。
亜人を奴隷にし、この地獄でのうのうと生きる奴らが嫌いだ。
殺してやる、と思えばおもうほど恨みが体を動かしていく。
念願の時に気分は高揚し、さらに指に力を込めれば喉の骨の感触がリアルに伝わった。
「ち、が……う……」
だがその時、リズは喉の奥から声を絞り出して言った。
「お前の親、が……このこ、を殺さないで、って……言った……! だから、リズはお前を殺さなかった……」
「……ッ!」
あの子の口から出て来た言葉に心臓が跳ね、視線が彷徨う。
ハツは一瞬息を呑み、指に込めた力がわずかに緩んだ。
真っ直ぐ見つめてくる強い空色の瞳と目が合うと、脳裏にあの日の両親の顔が浮かんだ。
小さくても幸せだった日々が崩れたあの時、冷たくなった亡骸に寄り添い、一緒に連れて行ってくれと泣いた夜。
おびただしい量の血の匂いに吐いた。全身を飲み込んだのは孤独と絶望。
その中でもひとつだけ、ハツは忘れられない記憶があった。
大事なものを守ろうと、自分の体を抱きしめたまま動かなくなった二人の顔だ。
我が子を抱きしめたまま満足げに微笑む両親の死に顔は、いやに記憶に焼き付いてしまい、幼いハツの心を深く傷つけていた。
目を見開いて固まる復讐者の指は震えていた。
「なん、で……」
ハツは問いかけた。
自分でもなぜ聞き返してしまったのかわからない。早くこいつを殺せと頭は命令している。今を逃せばレオンドールの呪縛がこの身を引き裂いてしまうから。
死ぬのならひとつくらい叶えてから死にたい。
揺らぐ、揺らいでしまう。ダメだ、ダメだ……! わかっている。わかっているんだと心の中で言い聞かせる。
それなのに――。
幸せだった頃の記憶が蘇ってしまった瞬間、あの子の首を掴んでいたはずの両手は行く当てを失くして彷徨っていた。
「っ、げほっ……!」
解放された瞬間、リズは大きく息を吸い込もうと体を起こす。
赤くなった首を押さえ、空気を求めて何度も息を吸い激しく咳き込んだ。
「嘘じゃない、本当だ……」
整いきれていない息を繰り返すリズは黙らなかった。
「なにを……」
ハツは衝動的に落ちていたガラスを握り、手のひらから血が滴るのも構わずリズの肩に激しく突き刺した。
「だから何だ、何が言いたい! 何故、今それを言う! 情けなく惨めに命乞いをしろ、同じ人殺しならここまで落ちて来い!」
許せない、許せない、許せない! 許してたまるか、と。
赤く染まる右肩を何度も刺しながら怒りを叩きつける。
「……」
リズは痛みを感じない。刺された肩はすぐに再生し、ガラスは癒しの炎で燃え尽きてしまう。
感情の影はひとつとして落ちない。けれど、ゆっくりと首を振るあの子は目を逸らさず静かに答えた。
「……リズはもう、人を傷つけたりしない」
「何を、今さら……!」
激昂し咆えたハーヴェンが立ち上がろうとした瞬間、強烈な痛みで視界が揺らいだ。
胸の奥から熱く生臭いものがせり上がって来た感覚。
「ウぁ……アァっ! ゴホッ!」
金の首輪が熱を帯び、ハツは咳き込みながら鮮血を吐きこぼした。
一気に体の力が抜け、膝から崩れ落ちてしまう。
頭の中がぐしゃぐしゃだ。息が出来ない、整えられない。胸が痛くて口の中が鉄の味しかしない。
首輪を引き剥がそうとするが、魔力を持たない亜人に取り外せるものじゃない。
ハツはこの時、自分にはもう時間がないのだと気付いた。
あぁ、殺したいほど憎いアイツを殺せなかった。許せない、なのに体が動かない。
生きる意味を叶えられなかった心が悲鳴を上げていた。
血反吐にまみれ、たくさんのヒトの命の上を踏み歩いてきたこの人生はなんだったのだ。
所詮、そこまでの命だったということなのだろうか。
運命は残酷だ。神様なんていない。
「レオンドールを、殺すこともできず……親の仇も果たせなかった……」
呟けば、胸の中にどうしようもない虚しさが広がる。何も出来ず、燃やした怒りはどこ届く事もなく。レオンドールに殺されてしまう。
抗いようのない事実にふっと笑った。
「ふ、は……ははっ……ざまぁねぇ……な」
笑う度に口から泡のような血が溢れていく。それはまるで、命の残量のようだった。
「他人を踏みにじってまで……生きた結果がこれか、よ……」
ハツは光を失った目を伏せると、乾いた唇で低く「殺せよ」と呟く。
何ひとつ終わらせられなかった無力さに絶望し、死を受け入れていた。
だが、金の首輪をじっと見つめたリズが瞬きをひとつし、ようやく返した言葉は信じられないものだった。
「殺す? 今のお前に何の恩義があって殺すの?」
平然と、そう思うのが当然だというように無表情で首を傾げる姿は、壊れた機械のような気味の悪さがあった。
ああ、この子にとって、全てを諦め死を待つだけの相手を手にかけるのは、救う事と同じなのだろう。
ジークが倒れた時に『動かなくなった』と怒りを見せたのもそうだ。
男なのか、女なのかわからない不思議な雰囲気のこの子は、体の年齢と心の年齢が吊り合っていない。
薬の支配を受けていた精神は七歳の子供のまま。
人間になりたいと願い、心を手に入れた人形の根元は未だ不完全で異質だった。
「リズは、ジークやシャオロン……レイを酷い目にあわせたお前が嫌いだ。今もお前を助けたいのかわからない」
黙り込んでいたリズは、やがてポツリと話し始めた。
「でも、思い出した……リズは覚えていなかったけど、思い出したんだ」
自分の話す言葉に自信がないリズは俯き、迷いながらも、最後は顔を上げて言った。
「リズはお前の両親を殺した。お前を守ろうと抱き合う姿を見て、心臓がギュッとなった。リズにはないものを持っていて、空の星みたいにとてもきらきらしていた」
難しい言葉で飾らず、ありのまま話すのはリズウェル・ルークの純粋な本心だ。
兵器として作られたリズにとって、両親からの愛情は絶対に手に入らないものだった。
だから、亜人が自分の命に代えても子供を守ろうとする姿を見て、理解が出来ずに取り乱してしまった。
「リズは、お前になりたいと思った……」
大切に愛された亜人の子が羨ましくてしかたがなかった。
「死ぬと二度と会えない、命は大切なものだ! 二度と会えない事が寂しいのを知っていたのに、絶対に忘れちゃいけないのに、あの頃のリズの頭の中を探してもどこにもなかった……」
拙くまとまりのない語彙は、形だけじゃなくリズが心から本当に伝えたいことだ。ハツは顔を向け、視界にあの子を入れる。
でも……と、かき消えそうな細い息を吐いたリズは、倒れているハツの前に座ると服が汚れるのも構わずに深く頭を下げた。
「でも、リズはもうバケモノでいたくない。ごめんなさい……許されなくても、本当にごめんなさい……!」
肩を震わせるリズの目からこらえきれなかった涙が落ち、やがて嗚咽を漏らす。
自分の罪を知り、後悔する。感情を知らなかった人形が声を上げて泣いていた。
ホワイトランドの貴族が、亜人奴隷に頭を下げる事などあってはならない。
けれど、リズにはハツが亜人だとか自分が貴族だとか、そういう煩わしいものは関係ない。
あるのは、精一杯、罪に向き合おうとするヒトの姿だった。
「……」
ハツは、目の前で地面に頭をこすりつけ「ごめんなさい」と繰り返す姿を見て、暗闇の中で泣きじゃくる子供の事を思い出していた。
固く握った拳を地面に押し付けたリズの腕には、あの子と同じ傷跡が残っていた。
長い間、薬によって自我と記憶を押さえつけられていたとはいえ、ハツにとってリズは自分を突き落として幸せそうにしていた憎い人形だ。
魂を擦り減らし、自分の力で生き延びたわけでもなく、兄であるレイズに守ってもらった幸せなお人形さん。
そのお人形が他人に心を作ってもらい、人間のふりをして生きているのが許せなかった。
いつもレイズの後ろを付いていき、自分の意志がどこにあるのかすらもわからない。
そのくせ、やたら甘えるのがうまい。貴族だという事を引いても大嫌いだった。
ずっと独りぼっちで、誰にも守ってもらえなかった自分とは正反対だ。
大嫌いで、大切に愛されたあの子が羨ましくてしかたがなかった。
「……謝った所で死んだ人間は戻らない」
ハツは霞んでいく視界に身を任せ、恨みを乗せて答える。
首輪にかけられたレオンドールの魔力がじわりと体内を侵食し、どろりとした感触が喉の奥へ流れていくのがわかる。
両手で涙を拭うリズは頭を下げたまま言う。
「許されないとわかっている。人を殺すことは悲しくて怖いことだ。本当に謝りたい人は、謝りたくても……もういない」
ハツは、肩を震わせて泣くリズを見て思う。
こいつは何故、泣くのだ。
人間性を持たない人形として生まれたこいつは、魂の入っていない入れ物と同じだっただろう。
それがヒトを知り、ココロを知り、人が人である為の人間性を手に入れたのか。
なぜ、この期に及んで冷酷な暗殺者の顔をしていないのか。
心から謝るなどせず、命を狩り取るだけが生かされている意味であれば……。
そうであれば、そうであったなら……同じ汚い存在でいてくれたのなら、きっとこんな気持ちにはならなかった。首を絞めたあの時、両親の事など思い出さなければ息の根を止められただろう。
復讐がハツの生きる理由の全てだった。正義だった。
その為ならどんな汚い事でもやった。
生き残るために奴隷となり、売りたくもない媚を売って食べ物をもらう。
成長すれば人間の中に紛れ、近付いては探り、反逆者だとわかれば報告し裁判にかけた。
その度に人を不幸にし、必要であれば命を奪った。
――彼らに対して、自分はひとかけらでも申し訳ないと思っただろうか?
思わない。全部、生き残る為にやったことだ。
――彼らにも待っている人がいたはずだ。自分は少しでも相手のことを考えられただろうか?
そんなもの考える余裕などなかった。
ヒトの涙など気にする事もなく、目的の為に冷徹に従順なフリをした。
人間性を捨て復讐者となってしまった自分は、利用できるモノは何でも取り入れた。
「今さら、何でこんな事……」
声に出して呟けば、自分を嘲る笑みが込み上げる。
利用ならそれこそ、ジークだってそうだ。入団試験でシャオロンの正体が亜人の王だと気付いた時、ジークを利用してシャオロンに近付き、一番傷を負わせられるタイミングでレオンドール王の前に突き出そうと決めた。
リズが両親の仇だと気付いたから、わざといい顔をしてレイズの手助けをした。
甘い幸せを味わった後の絶望が、どんなに苦いかを知っていたから。
いかに他人に苦痛を与えられるかの為に薬学も身に着けた。
同じ人殺しだ? 違うだろう。笑わせるな。
ハツ自身は自分の行動で他人がどうなるか、全部わかっていてやったのだ。
薬で洗脳されていたリズと同じなわけがない。
同じでいいはずがない。もっと最低で、吐き気がするほど汚いのだ。
ハツは生気を失くした顔で嗤い、乾いた唇を動かした。
「何もかも無駄だった……この命も」
もうすぐ首輪が弾け、この心臓はレオンドールの魔力によって焼かれてしまう。
「その首……」
魂を縛る雷の首輪を見たリズは、主が守護獣を処分する時に使われる術だと気付き言葉を失う。
この忌々しい枷は、守護獣を処分する時にだけ使う残酷な術だった。
「ふふ、ははっ! ……最後だ、聞かせろ。あの時、誰の命令で殺した?」
「ルークは私情で仕事をしない。命令を待つ。ましてや、亜人に手を出したりはしない……」
どうにもならない事を前にハツは問い、視線を落としたリズは答えた。
ルーク家は世界の裏側を引き受ける中立の集団だ。必ず後ろに別の存在がいる。
「そうか、そう……」
頭の中で真実が繋がっていき、ハツは獣のような笑みを浮かべた。
四大貴族であるルーク家に命令が出来るのは他でもなく、あの男しかいないのだ。
絶対王者を名乗る不遜なる人間王――。
「レオンドール……!」
瀕死の淵に落ちてもなお、殺意は燃え盛る。
起き上がる力は残っていなくとも、気力だけで呪いを吐き捨てる。
「レオンドール、レオンドール……! あいつが、あいつが何もかもを……っ!」
ハツは狼のように低い唸り声を上げた。
本当なら今すぐにでも喉笛を噛みちぎってやりたい。
だが、蝕まれすぎたこの体では一番殺したいあのクソ野郎に復讐の刃は届かない。
悔しい、憎い、殺してしまいたい……目を閉じれば、幼いハツ自身が何か言いたげに睨み付けていた。
果たせなかった復讐も、その為に払った犠牲も、流した涙さえも意味を失くして消えていく。
両親との約束を律義に守ろうとするリズにも反吐が出る。
機会など待たずにレオンドールを殺せばよかった。
それも叶わない、己の人生は何もかも無駄で、所詮は何の価値もない命だった。
愛された記憶が今は胸を締め付けて痛んだ。
「全部、無駄だった……もう、どうだっていい……」
そう口に出した時、頭の中で呼びかける声が響いた。
『ハーヴェン』
聞き覚えのある暖かい声に懐かしさを覚えた時。
不意に、傷跡だらけの腕が首輪を掴む。
「ッ!」
強い力で体を起こされ、廃材に背中をぶつけてしまう。
リズはハツの首輪を乱暴に掴み、引き寄せて顔を上げさせた。
ハツが反射的に目を開け相手を睨みつけると、目の前には首輪に左手をかけ、負けないくらいに目を吊り上げたリズがいた。
確かな感情が宿る澄んだ青は力強く、叩きつけるように声を張り上げた。
「――逃げるな!」
怒りと悲しみが入り混じったそれは、大人しく他人に無関心で、決して声を荒げる事なかったリズが初めて見せる表情だった。
「な……にを…………」
そのリズに睨みつけられたハツは、驚いて目を逸らせなかった。
「お前がリズを人殺しだと呼ぶのならそれでいい、お前の両親を殺めた、間違っていない。許されないのは当然だ。罪は消えないし、なかった事にするつもりもない」
リズは涙の跡が残る引きつった表情で、ありのままの言葉を早口で並べる。
「でも、リズは自分の罪から逃げない……絶対に逃げない! 生きて、生きて……今までの分を人を助けて償うんだ。絶対、絶対に自分から逃げない!」
未来を見つめる青空色の澄んだ瞳は潤み、リズは首を振って涙を飛ばし、もう一度声を張り上げる。
「お前はそうやって何もかも一人で計画してやって、そのくせ失敗したら簡単に死のうとする! お前の両親は、最期までお前を抱きしめて離さなかった……お前に、生きて欲しかったからだ!」
自分でも無意識に感情が高ぶり、言葉に詰まりながらも涙声を震わせ強い意志を持って訴える。
お人形は、お人形だったあの子は必死に『人間』になろうとしていた。
「お前は望まれて産まれた。ちゃんと愛されたのに! 死んで逃げようとするなんて……まだ生きているのに、生きようとしないなんて卑怯だ!」
声を裏返して叫ぶと同時に、首輪を握っていた指が雷で焼き切れてしまうが、すぐに緑色の炎が現れ破損した指を再生し、再び首輪を掴みなおす。
再生したそばから神経がやられてしまい、生まれて初めて人間の王の力を受けるリズは、感じた事のない性質の魔力に全身の鳥肌が立つのを感じていた。
それでも、首輪を破ろうと掴み続ける。
――自分の為? そうだ。リズは自分にそう言い聞かせる。
罪を背負って生きていく自分を認めるために。
なにより、目の前のこいつと全力で殴り合うために。
大きく息を吸う。
肺の中いっぱいに空気を溜め込み息を止め、目の前のハツを再度睨みつけた。
一瞬の空白が長く感じた。正面からぶつかる事を選んだリズは、ありったけの感情を言葉に乗せ、思いの全てを叫んだ。
「ジークは、どうしようもないくらい行き当たりばったりだ! でも、お前を助けたいから弱いくせに戻って来たんだ! 裏切られてもジークやレイが、なぜお前を助けに来たのかわからないのか? もう一度、お前に会いたいからだろう! 本気でジークの手を払うつもりならなぜ逃がそうとした! 後ろめたかったから……生きて欲しかったからだろう! ジークも同じだ、なぜ同じ気持ちがわからない! レイも大貴族の立場を捨てた。でも、お前に嫌われているのがわかってここにいる! シャオロンは本当は本当に優しい、裏切る前にどうして話をしなかったんだ!? ボクだって、んん……ワタシだって……リズだって、人間も亜人も大好きだ! お前の作る薬はザラザラして口に残るから好きじゃない、お前の作るご飯は草ばっかりで臭くて好きじゃない! お前の頭はいつもトゲトゲウニみたいで見ていると暑苦しいから好きじゃない! お前の薬草庫から酷い臭いがするのも好きじゃない! こっそり拾って来た動物をウシ小屋で隠れて飼ってるのも嫌いだ、見たい! リズに薬を作ってくれるお前が嫌いだ! ジークやレイを、シャオロンを傷つけたお前はもっと嫌いだ! でも、今だってリズはお前を友達だと思っている!」
怒涛の勢いで全部言い切ったリズは、荒い息を吐き出し勢いよく顔を上げ、涙が浮かんだ眼をきつく細めて悲痛な声を絞り出した。
「呼べば……お前が呼べば、みんなは助けてくれた。ジークは絶対に絶対に、お前を裏切らない。レイだって絶対に色んな事を教えてくれる。シャオロンだって絶対、一緒に亜人を助けようとしてくれたはずだ……!」
感情に任せて言葉を重ね続けたリズは咳き込み、息を整えながら、最後に消え入るような悲しい声で言った。
「リズだって、お前が望めば絶対にアイツの首を落としてやった……!」
アイツとはレオンドール王の事だ。
仲間を裏切らず、支え合う。その為なら自分の信念も曲げてしまえるのだ。
それほどまでに、この子の中で仲間の存在が大きくなっていたのだろう。
これが、もう二度と人を手にかけないと決めていたリズの覚悟だった。
「……助ける? お前らが…………?」
ハツは、言われた事の意味が受け入れられずに目を見開いて固まっている。
あぁ……、あの子は真実を知っても壊れたりはしなかった。
それに引き換え現実に押し潰された自分は復讐者となり、返り討ちにあい諦めて死を求めた。
酷く惨めに思えていた。
同時に、人を裏切り続けた自分に、仲間がいるとは思ってもみなかったのだ。
一度、ココロを手に入れたリズの言葉は鋭く迷いがない。
「リズは人を殺めて不幸にした自分が大っ嫌いだ! どうしたら償えばいいのか苦しい! でも、死んで終わりにはしない。亜人と人間を繋ぐために生きて償う! それが一番辛くて一番難しい事だと思うから……」
リズは、鈍器で頭を殴られたように茫然としているハツと目線を合わせ、彼の顔の横に右腕を叩きつけ背後にある廃材を氷の魔力で凍らせた。
決して自分から目を逸らせないよう、ハツの瞳に映る己の姿を睨み、口癖になってしまった「絶対」と付けて宣言する。
「仲間は、支え合う為にいるから仲間なんだ!」
ハツは言葉が出なかった。背筋に氷の冷たさが広がり、かがんで上から覆いかぶさったあの子の感情が剥き出しの顔は、頑固な兄と同じ覚悟の火が灯っていた。
「リズは逃げない。生きて必ず、誰も泣かない世界を作る。バケモノか人間なら、リズは人間でいたい」
言葉は拙くても解放された感情を押し込めず放つ。これは、怒りじゃない。
「復讐を止めろなんていう幻想に惑わされるな! そんなものは甘い嘘だ……お前の生きる意味を放棄するな!」
あの子が背負う罪と覚悟の咆哮だ。
「ハーヴェン・ツヴァイ! 生きてお前の『正義』を果たせ!」
「……っ」
ハツは目を見開いたまま、リズの目の中に映る自分の顔を見つめていた。
何度も繰り返し「生きろと」訴えるリズは躊躇わない。
深淵の底を照らす高温の青い炎に触れれば、今まで閉じて見ないようにしていた記憶が溢れ出てきた。
ハツが初めて裏切りをしたのは、数年前のエリュシオン傭兵団の入団試験だ。
レオンドール王の暗殺を企てていた元貴族を、仲間になるふりをして始末した。
次に入団試験で出会った彼らは、奴隷であるはずの亜人を従者として連れ、分け隔てなく接していた。
人間達は彼を奴隷として見る事は出来ないと抵抗していた。
けれど、世界の圧力に負けて亜人を奴隷に落としてしまう。
今まで、友人だと思っていた人間に捨てられた亜人の、悔しさと絶望でぐしゃぐしゃになった泣き顔が忘れられない。
同時に、世界から弾かれてしまう恐怖が友情よりも上回ってしまったのを目の当たりにした。
ハツは彼を守れなかった事がずっと忘れられなかった。
それだけじゃない。いくつもの後悔を飲み込み、生きて来たのだ。
次は、次は? と生きているうちに心はあらゆるものを拒んでしまう。
人を死なせ、不幸に突き落とした。生きる為には本当になんだってした。
何度も裏切って絶望に落とした。だから、自分が死ぬ時はきっと誰かに殺される時なのだと……そう思っていた。
ハツは意識が遠くなっていく中、ベレット村で暮らしていた頃の仲間達との日々を思い出していた。
あの日のように野菜を背負って並んで畦道を歩き、村人の目を盗んでつまみ食いをしては文句を言いながらまた歩く。
あれは言葉にできないほど楽しかった。性格の違いはあれど、バカをやりながら暮らす日々は一番輝いていた。
今になって、復讐と過去をジークや解放組織の亜人達に話さなかった理由がわかった。
ハーヴェン・ツヴァイは、本当の意味で仲間を……いや、自分だけしか信じていなかった。
思い出の狭間で『ずっとこれからもお前はひとりだろう?』と幼い記憶が問いかける。
違う、と心の声が答える。そうだ、答えなんてとっくに決まっていたのだ。
