第7話『黄昏の落星⑦』※挿絵に流血表現あり

この日は、枯れた荒野が広がる東の土地にしては珍しく、朝から雨が降りしきっていた。
 今日に限ってレイズは体調を崩しており、リズと一緒に行けなかった。
 
 代わりにフラクタがリズの管理者として同行したのも気になっている。
 ベッドに入っていたレイズは、落ち着かず部屋の窓から庭園を眺めていた。
 今回の仕事は、持ち主から逃亡した亜人奴隷の追跡と捕獲で難しいものじゃない。

それなのに、レイズの胸騒ぎは治まらなかった。
 部屋のドアが三度、規則正しい感覚でノックされる。意識して息を整え、ベッドから降りる。
 
「……はい」

片割れのリズ以外にレイズの部屋に訪れるのはエリオしかいない。
 このタイミングでやってきたことに不安を覚えながら、レイズはドアを開けて兄を迎える。

部屋の前に立っていたエリオの顔にはいつもの優しい笑みはなく、額には汗が浮かんでいた。
 普段、どんな時も余裕を見せている兄の意外な様子に、嫌な予感が的中したのだと気付いたレイズは唇を固く引き結んだ。
 
「レイ、落ち着いて聞きなさい」
「……」
 
 ゆっくりと語られる低音、レイズは返事の代わりに頷く。
 エリオは発熱で赤くなった弟の顔を見ると、躊躇いがちに口を開いて話し始めた。
 
「……リズが、仕事を放棄し逃亡を図った。連れ戻そうとしたフラクタに抵抗し、今は地下で幽閉されている」

そう言って、忙しく辺りを見渡したエリオはレイズに手を出すように促し、ルーク家の紋章が施された銀色の鍵を握らせた。
 
「これ……」
「私に出来るのはここまでだ」

そう言ってエリオは、「すまない」と瞼を落とし背を向ける。

嫌な予感が現実になってしまったことに動揺したレイズは、すぐに毛布を片手に抱え、身なりを整えるのも忘れて部屋を飛び出していく。

高熱で頭が痛い、喉も痛い、体中がとにかく痛くてたまらない。
 それでも足を止めるわけにはいかない。

息を切らせ、レイズは地下の部屋へと向かう。
 途中、毛布が重くて足を止めそうになったが、今は早くリズの所に行ってあげたかった。

ずっと、心の底で恐れていたことが起きたのだと、直感でわかってしまった。

ルークの館の地下にあるのは、罪人を閉じ込めておくための牢屋であり、口に出すのも恐ろしい人体実験などを行う場所だ。
 正直、地下室の場所は知っていてもレイズは足を踏み入れたことがない。

中がどうなっているのかなんて想像が出来ても、実際に見るのとは別だ。
 恐怖をかなぐり捨て、冷たい鋼鉄製のドアに鍵を差し込み回す。
 リズを助けたい一心で、力任せに重たいドアを押し開いた。

吐きそうになる血の臭いと湿った嫌な風が充満した地下室には、おびただしい拷問の跡が残る。
 明かり代わりの炎を呼び出したレイズは、何の汚れなのかもわからないほど黒ずんだ床を蹴り、足を踏み入れた。

だが、ここにいるはずなのに人の気配がしない。毛布が汚れないように抱えなおし、辺りを見渡す。
 無造作に床に落ちている拷問器具を横目に、レイズはあることに気付く。

 斬刑をする為の台の下で、もぞりと何かが動いた。
 誰もいない地下室の斬刑台に縋るように、何かの影に怯えるリズは隠れていた。

黒を基調とした大きめの服は、返り血なのか本人のものなのかわからないほどの悪臭をまとい、深く被ったフードと、顔を隠す血だらけの白狼の仮面をつけたまま頭を抱える姿が痛々しい。

あまりにも凄惨な光景に、レイズは赤い双眸をきつく細めた。
 それでも、驚かさないようにゆっくりと近づき、震えている片割れに声をかける。
 
「リズ、帰ろう?」
「……!」

優しい片割れの声に反応したリズは、仮面を自身の顔に押し付けて首を振る。
 ルークの暗殺者が扱う白狼の仮面からは、淡い緑色の光が漏れていた。
 
 おそらく、連れ戻されてすぐに制裁で顔を酷く傷つけられてしまい、惨い姿を見せられないのだろう。

レイズはそれに気付くと体をかがめて斬刑台の下に潜り込み、怯えているリズの隣に座る。
 体の大きさは同じくらいだが、子供二人が入り込むには少々狭いし、こんなものの下に座るなんて以前のレイズだったら絶対に無理だ。
 
 それでも、今は自分のことよりもリズの傍にいてあげたかった。
 持ってきていた毛布をリズと自分の頭に被せ、二人して丸くなると、なんだかひとつの塊のようになってしまう。
 
「……」
 
 何も話さない。レイズは、ただ静かにリズが自分から動いてくれるのを待っている。
 怖い化け物から逃げて、かくれんぼをするように、二人で息をひそめていた。
 
 やがて、仮面の下から緑色の炎が消え、治療が終わったのだとわかった。
 数分ほど経った頃、リズはフードを下ろし、長い後ろ髪をかき分けて仮面の留め金を外した。
 ゆっくりと顔から白狼が離れ、リズの整った顔があらわになる。

沈んだ空色を横から見つめ、レイズは慎重に言葉を選んだ。
 
「なぁ、どうしたんだ? お前らしくないぞ」
「……うん」

リズは歯切れが悪くそう答えると、毛布の端で顔と髪についていた血を拭う。
 レイズに会う時は、清潔にしていないといけないというのを覚えていたから。
 
「今日、亜人の追跡と捕獲に行ったの。そうしたら、やり返されてね」
「そうだったのか。でも、いつもの事じゃないのか?」

俯いたリズにレイズは聞く。刑に対し追い詰められた標的から攻撃を受けるなんて珍しくもないし、いつものことだ。
 訝しげなレイズだが、次にリズの口から出て来た言葉に耳を疑う事となる。
 
「レイ、ココロってなに?」
「え?」

ぐっ、と白狼の仮面を握る手に力が込められる。リズは記憶を思い出しながら目を閉じて言う。
 
「追い詰めた亜人が言ったの。リズは化け物だって、ココロがないんだって」
「そんなの……」

でも! とリズは声を上げてレイズを遮る。

「でも、リズは何も言えなかった……! わからないの、わからないことばかりなの!」

引きつった声で、「わからない!」と繰り返すリズは、乱暴にフードを掴むと再び深く被った。
 レイズは驚いて言葉が出なかった。リズは純粋で素直で、善悪の区別がない。
 
 無意識に拳を固く握ったレイズは、それでいいと思っていた。
 自分が支えてあげれば、リズは何も知らない子供のままでもいいと思っていたから。
 
 言葉を詰まらせながら話すリズの声は、いつの間にか震えていた。
 
「それに、亜人が子供をかばったの。『自分たちは死んでも子供は助けて欲しい』って情けなく泣きながら言い出して、みっともないってフラクタは笑っていたんだよ」

リズは仮面を強く握りしめた。
 両親を目の前で斬り捨てられ、心を失いガラス玉のような眼をした亜人の子供が言い放った言葉。

それが頭から離れず、リズのこらえきれなかった透明な涙が、ぽたりとこぼれ落ちる。
 
「でも! でも! リズは笑えなかった……父さまと母さまに抱きしめられて守ってもらえるあの子になりたかった!」

片割れが胸にしまっていた思いを聞いたレイズは、自分のやってきたことが間違っているのだと気付いた。同時に、この時が来てしまったのだと唇を噛んだ。
 
「父さまに褒めてもらいたい、母さまに会いたい……リズには痛みがないはずなのに、ここが痛いの!」
 
 涙を流して胸の痛みを訴えるリズは、深呼吸をすると弱々しく「レイ……」と呼んだ。
 
「うん」

レイズは諦めたように拳を解いた。この先に何を聞かれるのか半分わかっていた。
 何も言わず、片割れの悲痛な思いを受け止め、そして隠し続けていた自分を呪う。
 
「リズはあの子から父さまと母さまを奪った。あの子だけじゃない。ずっと、ずっとあの子みたいに一人ぼっちにさせてきた……!」

自分を責めるようにそう叫んだリズは、初めて会った時のような深海色の瞳にレイズを映し、泣きながら問いかけ続けた。

あんなに輝いていた空色には影が落ちてしまい、決して戻ることがないとわかってしまった。
 全てをぶつけたリズは俯き、こらえきれずに嗚咽をもらす。
 
「……リズ、海って知ってるか?」
 
 何と答えようか考えていたレイズは、リズから目を離さずに右手の人差し指を立て、この子の好きな女神の物語を口にする。

レイズはリズの問いかけに全部は答えない。
 これ以上、リズが感情を知ってしまうことが怖かった。
 リズにとって一番持ってはいけなかった感情、それは『死への恐怖』。

一度でも死を恐れてしまえば、暗殺者としての致命的な傷となる。
 標的を手にかける事を躊躇い、仕事をこなせなくなればリズは処分となってしまう。
 それを避けたくて、レイズはリズから死を遠ざけていた。
 
「って言っても、俺も見たことがないんだけど。海はさ、どんなに辛いことも洗い流してくれる神聖でキレイなものなんだって書いてたんだ。魂がかえる場所ともいうんだ」
 
「女神さまのおはなし……?」
「ああ、お前の好きな女神エリュシオンのお話だよ!」

そう言って片割れに笑いかければ、リズは顔を上げて涙を拭き、曖昧に笑う。
 
「海……リズも見てみたい。女神さまも大好きだ!」
「だろ? だからもう泣くなよ。人を殺すのは悪いことじゃない。罪人の魂を女神にお返しする役目が俺たちの仕事なんだ」

レイズはそう言って苦笑し、頬にほんのり赤みがさしたリズの頭をワシャワシャと乱暴に撫でる。
 リズのこの感情は暗殺者としては欠陥だ。
 
 それでも生きていく為に、疑問を乗り越えなければいけない。
 きっとわかってくれる、とレイズは思っていた。
 
 見せたくないものすべてを隠すことで、自分がリズを守ってあげられるのだと、本気で信じていた――。

すっかり泣き止んだ片割れに手を貸したレイズは、拷問器具の中に鏡があることに気付く。
 鏡の中には、囚われた片割れを地下室から連れ出す自分がいて、それが何だか誇らしく見えた。
 
 持って来た毛布や服は信じられないくらい汚れてしまっているが、今だけは物語の主人公になれた気分だった。