第77話『龍の神域②』

 彼女を見た瞬間、亜人なのだとわかった。
 年齢はジークと同じくらいだろうか、華奢な体躯に不釣り合いな金属製の鎧を身に着けており、右手にはジークのマフラーを裂いた槍が握られている。

「あ、えっと……!?」

 ジークは目を見開く。声の雰囲気からして相手が女性だとは思っていたが、まるで物語の本に描かれているような女の子だとは思わなかったのだ。

 少女の前髪を持ち上げている額当てには、何かの紋章が描かれている。
 人間のようで違う、長く先が丸い耳。神秘的な雰囲気を持ちながらも森の大地のように動じず。
 
 いくつもの戦場を潜り抜けて来た槍と鎧には傷が残り、人間を前にしても怯えず正面から迎え撃つのは、気高く強靭な精神を持つ戦士。
 誰に言われなくてもわかる。彼女がこの一団の指揮官だ。

「亜人相手なら事情を説明すれば何とかなると思ったさが……よりにもよって相手が悪い。俺様がオメェらに無理やり従わされていると言ってるさな」

 思わず見とれていたジークの横で、ハツが悔し気に眉をひそめる。
 自ら亜人と人間のハーフであり敵意がないのだと説明したが、どうやら信じてもらえなかったようだ。

「アインローズ……」
 
 憎い人間の側に居続けるハツへ哀れみの目を向ける少女は、整った眉をきつく寄せて声を張り上げた。

「ノォール!」
 
 号令に従い、背後に控えていた亜人達は一斉に臨戦態勢をとる。
 鎧が金属音を鳴らせ、特殊な銀で作られた槍の先は人間へ向けたまま。
 がっしりとした筋肉を持ちながらも、表情一つ変えず指揮官に従う姿は歴戦の兵士のようにも見えるが、鋭い黄金眼を持つ若い青年達だった。
 
「は……相手が悪いって、まさか⁉」

 亜人達の正体に気付いたレイズは、動揺を抑えようと眼鏡の端を触る。ハツは険しい表情のまま無言で頷いた。
 とにかく、ジークは彼女の誤解を解こうとゆっくりと説明する。

「あっと、その……違うんです。俺達は人間ですが危害を加えようだなんて思ってなくて」
 
「黙れ! 人間は嘘つきだ。一体、どれだけ弱き者から搾取すれば気が済む!」

 聞く耳を持たずに叩き落とされてしまう。それでも諦めたりはしない。

「いや、支配も何も……あの子やハツは奴隷じゃなくて」

「さらに卑劣な! 他の同胞に飽き足らず、アインローズまでも人間と交配させ支配下に置くか!」

「えぇえ……なんでそういう話になってるんだい?」

 少し話せば、一方的な言葉が怒涛の勢いで返って来る。ジークは顔をくしゃりと崩して頭を抱える。
 どう話したら伝わるというのか……。

 事を静かに見ていたリズは、レイズの服の裾を引いて素朴な質問をする。
 
「レイ、コウハイってなに?」
 
 リズとしては純粋に気になって聞いているのだが、何と言うかタイミングが最悪だった。

「リズ、頼むから今は静かにしてくれ……」
 
 レイズは苦笑いまじりにリズへ返すと、こっそりジークに耳打ちした。

「なぁ、もう白ヘビの知り合いだって伝えちまった方が早いぜ」
「シャオロンのかい? 確かに、王様の事を知らないわけないもんな。その方がきっと早いんだぞ」
「うむ……そう思うさ」
「ねぇ、コウハイって美味しい?」
「リズ、あとで教えてやるから黙ってくれ。くちチャックな」
「よし、じゃあ俺に任せてくれよ! それならうまくやれるんだぞ!」

 目の前で顔を突き合わせ、堂々とコソコソ作戦会議をする姿はシュールだが、何とか話をまとめたAHOU隊は横に並び、おもむろにジークは決意を固めて前に出た。

「すぅ……」

 一度深呼吸をし、 こちらを睨み付けている少女と亜人の一団に向けて渾身の一言を放った。

「バチクソ、ポンポンペイン!」

 …………。
 静かな森の中に、ジークの叫びがこだまする。

「……?」

 耳が痛くなりそうな静寂の中、少女は怪訝な顔をしている。

「……」
「バカ! 違うだろ!」

 ハツはこの期に及んで仲間だと思われないように目を逸らし、レイズは苦し気に右手で目を覆った。
 だが、これは亜人の知り合いがいるというアピールを兼ねた挨拶だ。

 二言ともシャオロンから教わった亜人の言葉であり、本当にジークが伝えたいのはそこじゃない。
 コイツ正気か? 信じられない、と険しい顔をしている亜人達へ続ける。

「緊急事態なんだ……君たちの王様の命がかかってるんだよ!」
 
 両手を握り込み、自分達を敵視している亜人達へ嘘偽りなく伝えようと精一杯の気持ちを込めて言う。
 
「君達にとっての王様で俺達の友人……いや、仲間のシャオロンはいつもニコニコしていて、幽霊が苦手で何か時々腹黒いけど……でも人間だからって俺達に偏見を持っていなかった」

「シャオロン・リーデルハオラロディオール。この名に間違いはないだろう?」

 レイズが相手の反応を注意深く見ながら言葉を繋ぐ。

真名まな……その名を、どこで……?」

 少女は驚いて目を見開き、微かに眦を下げた。
 ようやく話を聞いてくれる様子にジークは話を続けていく。

「この森の外、人間の世界でだよ。シャオロンは今、レオンドール王に捕まってる。もうすぐ処刑されてしまうから、助けるために亜人の力を借りに来たんだぞ!」

「捕まるなんて、なぜ……」
「亜人を救おうとしたんだよ。ミラナ領の亜人区画で同胞を解放しようとして罠にはめられたんだ!」

 ジークはハツの事を伏せて話したが、レオンドール王に囚われているのは本当の事だ。
 言い終わると同時に、目の前の亜人達の表情に驚きと怒りが混じった。

「でたらめを言うな!」
 
 少女の瞳が宝石のように水の膜を張り、彼女は痛みをこらえるように涙を振り払い言う。
 
「……あの方は、以前の亜人戦争でお前達人間に殺された! これ以上、下らぬ命惜しさに我らの王を愚弄するな!」
「いや、生きてるよ! 全然、笑顔で毒吐いてくるよ!」

 即答したジークは大げさに両手を振って話を続ける。つい勢いで余分な事も言ってしまったが構わない。

「シャオロンとは、エリュシオン傭兵団の試験を受けた所で知り合ったんだ! 誰かに会う為なんだって言ってた。だから……」

「うるさい、黙れっ!」

 言いかけた所で槍の刃が頬を掠めた。だが、ジークは避けなかった。話を聞いて欲しかったからだ。

「信じてくれよ! シャオロンを助けたいんだ……!」

 持っていたナイフの刃を槍の柄にあて押しやれば、亜人の少女はギリギリと歯を食いしばり、大きく揺れた感情のままに言い返す。

「人間は信じない、人間の分際であの方の名を口にするな!!

 そう叫ぶと同時に繰り出された刺突を受け流そうとするが、反応がついて行けず肩に痛みが走る。

「ぐっ……!」

「ジーク! どうしてこーもわからんさか!」

 刺された肩を庇って後ずさるジークの前にハツが立つ。完全にこちらの話を聞くつもりがないのだろう。

「アインローズ、下がれ! 人間は害だ。殺さなくてはならない」

 ジークの腕から槍を引き抜き、冷酷に言い放つ少女は混血児であっても同胞を傷つけられない。
 いや、立場上それが出来ないのだ。
 ハツは、それがわかっていて人間である仲間の盾となっていた。

「シャオロンが、我が王が生きているのは本当さ。それで、人間に捕まってるのもマジさ……!」

 そこまで言って一瞬だけ躊躇ったハツは、覚悟を決めて同胞である亜人を見つめて言った。

「ル・ディア、ジャウェラノ。我ら亜人を守護するイリアス神に誓って嘘は言わない!」
 
 女神エリュシオンでなく、亜人戦争で共に戦ったイリアス神の名を呼ぶ。
 ハツの信仰は女神エリュシオンではなく、輪廻の神イリアスだ。

「アインローズ……」

 もう一度、亜人の少女がハツを見る。今度は哀れみの目ではなく驚いたように。
 
 亜人の世界では信仰する神の名において誓う事は、自分の命を懸ける事と同じ。
 ジークの話は聞く耳も持たなかった亜人達が一斉にハツを見る。

 これは人間でもあり、亜人でもある彼にしか出来ない事だった。

「嵐龍王ロディオールは生きている。ここにいる人間達は、共に世界を変えるという希望と願いを持った存在だ。他とは違う!」
 
 ハツは、同胞である彼らにあえて人間の言葉で言う。
 アインローズの混血児は、種族の狭間を生きる自分を恥だと思っていないからだ。

「今、外の世界では大規模な亜人狩りがあっている。俺様らはそれを止めたい。その為には龍神族の力が必要さ。もちろん、嵐龍王の救出も。だから、どうにか力を貸してもらえないさ」

 決して目を逸らさず、形式ばったものではなく自分の言葉で伝えた。
 すると、少女はハツと後ろにいる人間達へ鋭い目つきを向けた。

「何故だ? 亜人のお前が何故そのような事を……なぜそうまでして人間に従う!」

「俺様が、罠にはめてぶち込んだからさ! アイツの口から亜人を捨てた理由を聞いて、この手で決着ケリを付けるまで人間なんぞにやらせはしねぇ!」

 ハツは腹の底から声を張り上げる。自分でもおかしな事を言っているのはわかる。
 矛盾していても、シャオロンの口から亜人を見捨てた本当の理由を聞き、レオンドールをこの手で討つまで復讐心が消える事はない。
 例え、その答えが望んだものじゃなかったとしても執念を貫く。これがハツの本心だ。
 
「なっ……! 貴様、何を言っている⁉」
 
 驚愕した彼女は憎しみと戸惑いの眼でハツを睨み付けた。
 レイズは、傍らのリズと目を合わせると何も言わずジークに並び、亜人の少女の前に片膝をついた。

 レイズは頭を下げたまま両手を開くと、武器を持っていないという意志を示しリズもならう。
 これが、人間の世界での王族に対する礼儀なのだ。

「……私の名は、レイズウェル・ルーク。ここに居るリズウェルと同じくホワイトランドの東を統治する大貴族、ルークの者です。無知ゆえに亜人の礼儀作法と言葉がわからない為、人間の作法で申し訳ありません」

「ルーク……? 貴様らは魔法使いか!」

「はい、我らは人間世界の裏側を生きる者であり、嵐龍王についてのお話をさせていただきたく……」

 慎重に言葉を選んでいるレイズを見下ろす亜人の少女の顔が怒りに染まっていく。
 無理もない。亜人にとって人間、それも魔法を扱う貴族は侵略者の筆頭であり同胞の仇なのだ。
 下手をすれば殺されてしまう所を、レイズもまたわかっていて名乗ったのだ。

「数か月前、我らルークにとある方から嵐龍王の暗殺依頼がありました」

「……!」

 それを聞いた瞬間、彼女は目の前が赤く染まり殺意の衝動のまま、この魔法使いへ槍を突き立てた。
 だが、悲鳴や呻き声は出なかった。リズがレイズをかばい、代わりに槍を受けたのだ。
 
「ですが、こちらの事情で依頼を放棄しました……」

 レイズは顔色一つ変えずにそう言うと口を閉じた。
 
 風で木々の葉がざわめき、次に聞こえたのは形が整った言葉じゃなく濁りない澄んだ声だった。

「――リズは、依頼を受けてロディオールを狙った。最初に会った時には首の骨を折られて逃げられた。死ぬかと思った」

 何の感情も浮かんでいないリズの瞳は凪いだ海のように青く深い。
 身を引いて腹に突き刺さった槍を抜けば鮮血が流れ癒しの炎が舞う。

「リズ……!」
 
 ジークは心配して駆け寄ろうとしたが、ハツが腕を出して止める。今は黙っていろという。
 
 リズはどんなに深い傷を負っても痛みを感じない。

「それでも命令は絶対だから、傭兵団の試験まで追いかけて殺す機会を探した」
 
 淡々と話す顔に影が落ち、昔の話をする度に無慈悲な暗殺者としての面影が見えていく。
 
 あの頃のリズは抜けて行く記憶と、ガラス玉のように空っぽの心を埋めたくて、でも一人ではどうしようもない夜の暗闇を彷徨っていた。
 
「でも、だめだった。勝てないってわかっていたから、あの時は勝てない相手とは戦わないように命令されていたからと思っていたけど、今ならわかる……きっとリズは死にたくなかった」

 そう言い切ったリズは、両手を合わせるとゆっくりと離していく。

「でも、シャオロンはリズの正体を知ってて殺さずに助けようとしてくれた。だから、今度はリズがシャオロンを助けたい!」

 手のひらで作り出された青い魔力が冷気をまとって形を成していく――。
 亜人達がざわめき、少女に何かを言っている。
 部下の声を聞いてもなお、彼女は動かない。いや、動けなかった。

 目の前で作り出されている氷像が、会いたくても会えなかった大切な人の姿になっていたから。

「シャオロンの作る、よくわからない黒い根っこを煮た料理……リズは好きだ」
 
 最後の仕上げにリズが顔のパーツを作り、もうすぐ完成だという所で、横で見ていたレイズは突然氷像を奪い取り右手に呼び出した炎で仕上げをした。

「亜人の民族料理だって言ってたな。悪くはなかったわ」
 
 言いながら細かいところを炎で溶かして造形していく。
 そう、リズは美術センスが致命的なのだ。絵を描かせればある意味、芸術が出来上がる。

「ギョリギョリなんちゃら、っていう不思議な料理だろ? 俺は好きだぞ!」

 ジークも屈託なく笑う。初めて見た時はあまりの見た目に全員デスゲーム参加者のような顔で食べたものだ。今はそれが懐かしい。

 レイズは、片割れの代わりに仕上げを済ませると亜人の少女に向き直り、シャオロンの首から上の氷像を落とさないよう両手で差し出す。

「嵐龍王は生きています。でなければ私達が顔を知るはずがありませんから。この氷像が証拠です」

「このお顔は……何故、お前達があの方の得意な料理を知っている?」

 目の前に差し出された首だけの氷像を見つめていた少女は、動揺をぐっとこらえて唇を噛む。
 きつく目を細め、敵意を消すまいとしているが声に先ほどまでの威圧感がない。

「数カ月間、一緒に暮らしてきた大切な友人で仲間だからだよ」
 
 ジークは肩の傷をそのままに、彼女の眼を見つめて穏やかな声色で言った。

「信じて欲しい。シャオロンを助ける為に協力してくれないかい?」

 亜人の少女は固く結んでいた唇を開き、握りしめていた槍を手放す。

 ガラン、と槍が地面に落ちる音を気にする事もなく、おそるおそる氷像を手に取れば手のひらに痛みにも似た冷たさが広がる。

 けれど、憎いはずのこの魔法は何故だか暖かく感じた。
 人間達が作り出した氷像のこの顔は、紛れもなくシャオロンのものだったからだ。

「兄さま……シャオ兄様にいさま……!」

 氷像を抱きしめ、頬に一筋の涙が流れ落ちた。
 ずっと気を張り詰めていたのだろう……少女の唇が愛おし気にその名を呼ぶと、風が優しく木々を揺らしていた。