高い岩がそびえたつここは、この領域に生きる全ての亜人の主である嵐龍王ロディオールの一族が住まう巨大な要塞である。
一枚岩を掘って作り込まれた内部には戦時の主戦力となるロディオールの民、龍神族が暮らしていた。
古の亜人戦争で人間に破れ、かつて数十万人はいた龍神族だが、長命で繁殖力の低さもあって今はもうこの要塞に住む数百人だけとなってしまっている。
一部の王族を除き、平民とされる龍神族は兵士となりここで暮らし楽園の治安を守っている。
この地方で採れる頑丈なロアル鉱石を使い煌びやかさよりも実用性を求めた造りの要塞の最上階は、王族であるロディオールが住まう、限られた存在だけが側にいる閉鎖的な種族だ。
昼間でも明かりの灯らない薄暗い奥、天井に白い龍の彫刻があしらわれた謁見の間がある。
部屋の端に数人の龍人兵が松明を持って立ち、真っ暗な岩肌を淡く照らしている。
ゆらゆらと揺れる炎を睨み付けていたジークは、ようやく自由になった手を軽く振って血の巡りを戻し、目の前の男を見上げた。
「……」
大きな玉座に肘をついてこちらを見下ろしている若い男は、短く切った黒髪に額当てを装着し、銀色に鈍く反射する装飾と機能性を重視したシンプルな戦闘服を着ている。
人間を前に興味深く細められた黄金眼は片方だけが赤く、鋭い目の奥に底知れない怒りが宿る。
整った顔つきも相まって威厳に満ち溢れていた。
レオンドール王なんて比べ物にならない。神経から焼き尽くされてしまいそうな程に力強い眼力は何者をも跪かせ、その存在は圧倒的な支配力を示す。
一目でわかった。この男こそが今の嵐龍王ロディオールなのだと。
横一列に並んだジーク達の前に出たケイナ姫は、敬礼をすると口を開いた。
「フェイロン王、先にお伝えした人間をお連れ致しました」
彼女の無機質な亜人語に続き、ジークはフェイロン王を真正面から見て話をしようとした。
だが、圧倒的な威圧感で思うように言葉が出てこない。
ジークが躊躇っているとフェイロン王が一言放った。
「殺せ。人間を生かしておく理由などない」
当然だ、それ以外にない。と続ける兄王にケイナは焦りを含んでもなお冷静に食い下がる。
「お待ちください、この者はシャオロン様が生きて人間に囚われていると言っているのです……!」
そう言うと部下に持たせていたシャオロンの首の氷像を持ち出した。
「もし、あの方が本当に亜人戦争で亡くなったのならば、この氷像の顔はもう私達しか知らないはず……! なのに、この人間達は再現したのです!」
ケイナは少し溶けた氷像を抱きしめると、もう一度訴えかける。
「だから、話を……」
「ケイナ、人間を信じるな。奴らは平気で嘘を言うと知っているだろう?」
彼女の言葉を遮ったフェイロン王は、氷像を一瞥するともう一度重ねて言う。
「シャオロンは死んだ。我の目の前で……」
「いいえ、いいえ……!」
それでもシャオロンが生きていると信じたいケイナは、わずかな可能性に縋る思いで首を振る。言葉に悲痛な感情が乗り、言葉がわからないジーク達にも彼女がどれだけシャオロンを心配しているのだとわかってしまう。
「ですが、もし本当なら……!」
「何度も言っただろう。我の目の前で雷槍に貫かれ無惨にも谷底へ落ちていったのだ」
「……ッ」
「諦めろ。王族としての誇りと責任を持て」
顔面蒼白になって唇を噛む妹のケイナを見下ろした兄フェイロン王は、悲しみに沈んだ表情で諭し「残念だ」と首を振った。
目の前で交わされる理解できない言葉の応酬に、ジークはもう黙っていられなかった。
身を乗り出しケイナの横に並び、フェイロン王へ直接言葉を投げていく。
「ちょっと何言ってるかわからないんだぞ! あとシャオロンは生きてる! 今、レオンドールに捕まっていて本当に時間がないんだ! 助ける為に協力をお願いしに来たんだよ!」
自分を見上げるジークに視線を向けたフェイロン王は、低音の亜人の言葉で一言だけ返す。
「……?」
「『人間は信用しない』とさよ……」
ハツが翻訳してくれたのはいいが、わざわざ亜人語で返された事に苛立ちが募る。
フェイロン王は確実に聞き取り、人間の言葉を理解している。
それなのに相手にわかる言葉で返さないのは、決して歩み寄らず人間を許しはしないという無言の意志表示。
黙り込んでいたケイナは、両手の拳をギュッと握ると震える唇を解いた。
「私はずっと、シャオロン様が亡くなったと聞かされてきました。けれど、この人間が暗殺の依頼を受けたと……」
「ほう? それはどこからの情報だ?」
「彼ら、東のルークの者です」
顔を上げ、兄を見つめるケイナは亜人語を使わず、ジーク達にもわかるホワイトランド公用語で毅然として答える。対してフェイロンは徹底して亜人語を使う。
「……」
フェイロンの鋭いオッドアイが向けられ息を呑んだレイズだが、怯まず真っ直ぐ睨み返す。
脳内で逆らってはいけない相手だと警笛が鳴る。
『勝てない戦いは最初からしない』は、レイズの意識に深く刻まれた教えでもあり今も捨てていない。
それでも退かない。負け犬にはなりたくない、漢だからだ。
「東のルーク……あぁ、灼熱の」
フェイロンは、レイズとリズを小馬鹿にしたように見ると軽く息を吐く。
「そうか、脆弱な人間故に期待はしていなかったが、やはり返り討ちにあったか……」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間、ケイナの顔色が変わった。抱いていた氷像を捨て、背負っていた槍に手を掛け激しく咆える。
「フェイロン兄様! 何を言うのですか……シャオ兄様はあなたを守って亡くなったのだと! 私を騙していたというのですか⁉」
刃を向けたケイナは王であるフェイロンを問い詰める。
「教えてください、私に何を隠しているのですか!」
「ケ、ケイナさん……!」
ジークは巻き添えを食わないように咄嗟に下がり彼女の名を呼んだ。
だが、フェイロンの瞳を見たケイナは突然胸をおさえて苦しみ始めた。息が荒く、喉の奥から空気の抜ける音がする。
持っていた槍を落とし、激しく咳き込んで倒れた彼女は、近くに落ちていた氷像を強く抱きしめると苦しみながら意識を失ってしまった。すぐに兵士が駆け寄り、彼女の体を支えて出て行った。
「ケイナさんは妹じゃないのかい……? どうしてそんな酷い事を……!」
ジークは怒鳴りたい衝動を耐えて言う。
「仲間意識ほど厄介なものはない」
フェイロンは変わらず亜人の言葉を使っていたかと思うと、ルークの二人を見て言葉を続ける。
「さて、あの邪龍を仕留め損ねたという事は人間も堕ちたものだな?」
ホワイトランド公用語でわかるよう、もっとも嫌な詰め方をしていく。
「違う! 戦わなかったのは友達だから……リズが、自分で決めた!」
言い返そうとするリズの口を塞いだレイズは、フェイロンを睨み付けたまま、緊張と恐怖で汗だくになりながら相応の態度で言い返す。
「……我らがお受けするにはあまりにも事が大きい。依頼は正式に当主の方からお断りさせていただいたはずです」とだけ答えた。
長い時を生きているフェイロンは、レオンドールや他の大貴族よりも怖い。
少しでも答えを間違えて詰まったりしたらすぐさま殺されてしまうだろう。
ハツもそれがわかっているのか、何も言わず何かを考えている。
だが、ジークは黙らない。
「お願いだ! シャオロンを助けたいんだ……力を貸して欲しいんだぞ!」
「断る。人間の言う事など聞くわけがなかろう」
話を聞いてくれと言うジーク。フェイロンは取り合わず同じ答えを突きつける。
「死刑だ。外の世界で奴が殺されようと我らには関係がない」
そう言うと、フェイロンは玉座から立ち上がり人間達へ背を向ける。
「待って……!」
なおも話を続けようとするジークは、ハッと目を疑った。
一瞬だけ肩越しに振り返ったフェイロンの姿が、大きな赤黒い鱗を持つ恐ろしい龍と重なって見えたからだ。
フェイロンが歩くたび足元に炎が立ち上り黒い跡を残して消えていく。
「せいぜい、肉食の亜人が住むエリアで苦しみながら死ぬがいい」
炎龍である彼がそう言うと、潜んでいた龍神兵達が一斉に四人を取り囲む。
「捕まってたまるか!」
「……!」
抵抗しようとしたジークと無言で氷の剣を抜いたリズ。
だが、動き出す前にレイズが二人の頭を掴んで抑えつけた。
ビタン、と床に叩きつけられる。
「何するんだい⁉ やられちゃうんだぞ!」
床に頭をこすりつけられたジークは、自身の頭を掴むレイズを睨みもがく。
リズは目を丸くしてされるがままだ。舌打ちをしたレイズが言う。
「この場で殺さねぇって事は、まだ可能性はなくなっちゃいねぇ。いいから頭下げとけ……!」
「ハッ……た、たしかに!」
そう言われて我に返ったジークは、大人しく床に頭をこすりつけて黙る。
「ぐむむ……」
「黙ってろ、アイツはクソ強い炎龍だ。いくらお前でも心臓を焼かれたら再生出来ねぇだろ」
リズもまだ何か言いたそうだったが、悔しそうにしているジークを見て、納得しないながらも同じく黙る事にした。
そんな四人を見ていたフェイロンは、今まで何のリアクションも起こしていないハツに視線を寄越した。
「アインローズ、お前は人間に加担した罪により死刑となるか亜人の為に生涯を捧げるのか選ばせてやろう。持っている情報を全て吐くのならば罪人として生かしてもいい」
「……ほん?」
ハツは軽く首を傾げるとニヤリと笑う。これは取引だ。自分が助かる為に、亜人のスパイになれと言っているようなものだろう。
「ハツ……!」
手錠をかけられているジークは不安げにハツを見た。ハツはもう二度と自分ひとりで戦わないと言ってくれた。だから、仲間として信じたい。
自分に集中する仲間の視線を一身に受けたハツは、いつもの仏頂面を崩して大げさな胡散臭い笑みを浮かべた。
「まじかさ? 吐くはく、そりゃオエェーッと吐かせてもらうさな! 長いモンには巻かれとけってな!」
突然ケラケラと笑って嘔吐する仕草をし、あっさりと裏切ってしまった。
「ハツ!」
「あの野郎、てめぇコラ!」
ジークの戸惑う声とレイズの怒声が重なり、フェイロンは鼻で笑うと謁見の間を後にする。
龍神兵に連れられたハツはその後に続こうとし、思い出したように振り返った。
「まぁそれでも最後のオワカレさせてくれんさか? おお、哀れな人間よ! ……なんつって」
そう言って芝居がかった調子でジークの肩を抱くと軽い調子で「ま、悪いさな!」と笑う。
「な……」
「ほんじゃ、次はレイズ坊ちゃん!」
言葉に詰まるジークを横目に、次はレイズに何か言うと彼は赤眼をきつく細めて言葉を飲み込む。
最後に鎖で両手足をぐるぐる巻きにされているリズの前で、キザなウインクでわざとらしく恭しい礼をした。
「ほんじゃ、あとは頼んださ! マスター?」
そう言って本当に悪びれもせず。さっぱりと手を振って行ってしまった。
「…………」
こうまで手のひら返しが早いと反応できないジークは、置いて行かれたような寂しい気持ちで項垂れてしまった。
「ハツ、あんなに嬉しそうに裏切ってったんだぞ……」
ぼそぼそと嘆きながら鎖を引かれ、ルークの双子と共に連れて来られたのは城の裏手にある草原だった。
見渡す限り緑の大地の入口には頑丈な素材で出来た格子が立てられており、中に居る何かを逃がさないようにと厳重に閉じられている。
龍神兵は格子の鍵を開け、三人を放り込むとまたしっかりと施錠して立ち去って行った。
「ひとまずは切り抜けたな……いや、変わらねぇか」
誰もいなくなったのを確認したレイズは、足に巻かれていた鎖を岩に叩きつけて外そうとするが取れるはずもない。
首から下がぐるぐる巻きにされたリズがコロコロと転がって来た。
意識を集中させ水の刃を召喚し、スパスパと鎖を切断していく。
元から魔法の詠唱をしないリズにとって、こんなものあまり意味はないのだ。
ただ、暴れると仲間が危ないので静かにしていただけというもの。
そのままジークやレイズの鎖も切ってあげた。
しかし、魔法使いがいるにも関わらず、ただの鎖で縛っているだけなのは不自然だ。
こんなもの、いとも簡単に切れてしまうのに。
以前の魔法はもっと単純で武器としては弱かったのだろうか。
レイズは心の中でそう零したが、途中で思考を切り上げた。
なんにせよ、彼らに大昔の亜人戦争以来、人間の魔法に対する知識があまりないのは幸いだった。
「ハツ、何でまた……酷いぞ」
そして、自由になったにもかかわらずジークはどんよりとしている。
「ヴォルフ、来い!」
レイズは、自身の足元に魔力を通わせ守護獣を呼び出す。
間もなく赤い炎の円が浮かび、中からふわふわの守護獣が元気よく飛び出して来た。
つぶらな瞳の燃える毛皮を持つ子狼は、「あおーん!」と可愛く遠吠えをするとレイズの肩に飛び乗る。
この子のお気に入りの場所なのだ。
「おい、いつまでグズグズしてんだよ!」
呆れて舌打ちをするレイズは落ち込んでいるジークを蹴り飛ばした。
「何するんだい! 君は乱暴すぎやしないかい?」
地面に顔から転んだジークは、ジメジメ・ジトジト恨めし気に睨む。
レイズは胸の前で腕を組み、盛大な溜息をついた。
「……お前、マジであのクソ猿が裏切ったって思ってんのかよ? ちょっとは学べや!」
「……へ? 違うのかい?」
途端に目が点になるジーク。ちなみにリズは見た事のない蝶を見つけて眺めている。
うんざりした顔で頭を抱えたレイズは「当たり前だろ」と言う。
「あのタイミングで都合よくアイツだけ助かるわけねぇだろ。どのみち用が済めば殺されるに決まってんだから、わかっていて別で動くとよ」
そう言ったレイズは肩に乗っている守護獣を撫でる。
後で合流するよう、別れ際にハツがレイズにだけ伝えたのだ。
「そうならそうと言って欲しいんだぞ……」
「お前がバカだから言わなかったんだろ」
ジークの恨み言をレイズが叩き落としていく。
自分では気づいていないが、ジークは考えている事が顔に出てしまうのだ。
安心と同時に胸の中にモヤモヤした感じが残るが、ハツの事だからきっとうまくやるだろう。
ならば、こちらでやる事はひとつだ。
両足で大地を踏みしめ、自由になった両手を伸ばしたジークは空を見上げ深く息を吸い込んだ。
「よし、じゃあまずはここを抜け出して、もう一度フェイロン王と話をするんだぞ!」
「単純で羨ましいぜ……」
「ン!」
腹の底から声を張り上げればレイズは顔を引きつらせ、リズはこくんと大きく頷いた。
ここから逆転劇が始まる――!
次から次に問題が起きても、ただでは転ばないのがAHOU隊なのだ。
