第81話『立場が違えば』

 肉食亜人達が住む草原を走り抜け、森の中に身をひそめたジーク達は背の低い木の枝で体を隠しながら辺りを見渡していた。
 空には相変わらず緑色の龍が旋回して見張っており、人間の臭いを嗅ぎつけた亜人達も集まってきている。

 自分達を探す亜人が草原を駆けていくのを見ていた紫紺の双眸は、彼らが通り過ぎて行ったのを見て安堵して深い息をついた。
 
「まずい事になったんだぞ……ここからどうやって外に出るっていうんだい?」

 ジークはげっそりと嘆く。このままこうして逃げ回っていても脱出できる気がしないのだ。

「ああ……」
 
 同じく草の間に隠れていたレイズが、眼鏡レンズの汚れを指で拭き取って唸る。

「さっきの戦いでの怪我、風に乗ったわずかな汗や血の臭いで人間がいる事は知られただろうな……この森に居る事が気付かれるのも時間の問題だぜ」

「そうだな、何とかしないと……」

 はっきりとした答えが出ない事と、常に命を狙われている危険にジークは酷いストレスを感じていた。
 魔物とは違い、言葉や文化もある別の種族から命を狙われるという事がこうまで苦しいものだとは思わなかったのだ。
 諦めるわけにはいかない。けれど、この状況で初めて知ることもあった。
 
「……きっと、人間の世界にいる亜人達は今の俺達と同じ気持ちなんだよな」

 狩る側であった人間と狩られる側だった亜人の立場が入れ替わっただけだ。

 ジークやレイズ、リズが亜人を奴隷として酷く扱っていたかなんて話は関係ない。
 今まで平和に生きて来た日々を奪われ、ある日いきなり家族や仲間と引き離され売られ、死ぬまで知らない土地で働く――。
 そこでささやかな愛情を育んでも、子供らに待っているのは地獄だ。

 今いる大切な人には二度と会えない。それを考えただけで気分は最低に沈む。
 いや、ここにいる肉食亜人達は食べる為……生きる為に殺すのだ。
 人間のように自分達の為に働かせ、意味のない死で尊厳を踏みにじるつもりがないだけ、まだ善良と言える。

 ふいに、ベレット村で出会ったゲルダおばあちゃんの顔が浮かび、ジークは目に浮かんだ涙を服の袖で拭った。おばあちゃんは、混血の亜人奴隷だった。それがどれだけ壮絶な人生だったのか想像する事さえも許されない気がする。

 最後は、村人に見守られながら星にかえったけれど、幸せだった時はわずかにでもあったのだろうか。

 こうして立場が変わって初めて亜人達の生きている弱く不安定な世界と、私利私欲の為に彼らの命を握る人間の傲慢さを思い知る。

 それと同時に、彼らの犠牲の上で繁栄している人間がどれだけ異常なのかも。

 顔に影を落とし、黙り込んだジークとレイズを見ていたリズは、いつもと変わらない表情と口調で淡々と言う。

「……ジークはどうして泣いているの? 傷が痛い? 追われるのが怖い?」

 まだ他人の感情をしっかりと理解できていないリズは、自分の悲しみや怒りは理解出来ていても、他人が人を想いやり悔やむ切ない感情を想像できていない。
 この子の目には、ジークやレイズが何故こんなに暗い顔をしているのか不思議なのだ。

「違うよ。人間はどうしてこんなに酷い事を平気でしているんだろうって、どうして俺はうまく立ち回って助けてあげられなかったんだろうって思って……」

 ジークは首を振る。リズは瞬きをひとつすると首を傾げた。

「……? じゃあ、ジークは亜人に悪い事をした人間と同種族だからって食べられてあげるの?」

 青空色のリズの眼は純粋そのものだ。
 帰って来た答えがあまりにもあの子らしくて、ジークは教えてあげようと顔を上げた。

「いや、そうじゃない! そうじゃないんだ。そうじゃない……ただ、悲しくて……」

 けれど、感情に飲まれかけているジークは、言いたい事が頭の中でうまく形にならず言い淀む。

「……」

 バシッ!
 
「いたっ!」
 
 レイズは何も言わずジークの背中を強く叩くと、仕方ないなと苦笑しリズによるリズ語の解説をしてあげる。
 
「つまりお前は、悲しむだけじゃ世界は変えられねぇって言いたいんだな?」
「ん!」

 リズは、パッとレイズの方を見て嬉しそうに頷くと息継ぎも忘れて興奮気味に話しを続けていく。
 
「リズは人殺しだ。亜人を手にかけた事もあるし人間はもっとたくさん殺した。リズはとても悪い人間だ。でも、リズは立ち止まって罪から逃げたりしない。だからリズはリズを取り戻して、今度こそ『人』を助ける人間になる」

「リズ……」

 この子の言う『人』は、亜人や人間も全てだ。
 小さな頃から、人間でも亜人でもないモノとして生きて来たこの子だからこその本気の決意なのだ。

「これがリズだ。これまでも、これからもリズはこう生きていく」

 そう言うと、リズは自分の頬をグイッと引き上げて不格好な笑顔を作った。
 決していい笑顔とは言えず、不気味といっても差し支えない。それでも、これが等身大のリズウェル・ルークだ。

 その堂々とした姿に、ジークとレイズは思わず半笑いになる。

「なんか、君がそこまで考えてるなんて意外すぎる……」
「俺も今初めて聞いたわ……」

 いつもあまり喋らず、何を考えているのかわからなかったリズが成長していた事に驚いていた。
 でも、そのおかげでジークの頭の中でぐるぐる巡っていた黒いモノは消えていた。

 後悔はいつでも出来る。大事なのは今だ。

「……そうだな。ここで俺が後悔したって過去の人間の行いが変わるわけでも、この状況が変わるわけでもない。なら、前を向かないとな!」

 何か、憑き物が落ちたように明るくニッカリと笑ったジークは、気合を入れる為に自分の頬を両手で叩き仕切り直しだと息を吐き出す。

「さぁ、二人とも! 出口をさがすんだぞ!」

 そうして気力も回復した所で、マフラーを巻きなおしルークの双子に向き直った。
 だが返事はない。
 張り切っているジークの話を聞いていない二人は、目の前で怪しいヒソヒソ話をしていた。
 
「つか、ジークがレオンドール王になればいいんじゃねぇのか? 下剋上ってやつだ」
 
「ゲコク・ジョー。とても強い名だ、英雄か」
「そうしたら、俺らルーク家も大貴族に戻してもらってだな」
 
「レイ、とてもいいことを言う。エリオ兄さんが喜ぶ。ジークを英雄ゲコク・ジョーにするといい」
 
「もう、とっくに反逆罪で指名手配だからな。どうせならぶちかましてスッキリすんのもアリだ」

 小さな声で話す二人の足元で、レイズの守護獣である子狼の燃える毛並みがユラユラと怪しく揺れていた。

 いや……東の大貴族ルーク家の悪巧みはスケールが違う。

「…………」

 なんという腹黒妄想だろうか……。ジークは真顔のまま唇をキュッと噛んだ。
 しかも、とんでもなく真剣な顔で話している二人だが物騒極まりない。
 リズの声が大きくて内容が聞こえてしまっている。ついでに絶妙にかみ合っていない。
 
 だいたい英雄ゲコク・ジョーとは一体誰だ。
 そして、勇気づけてくれたお前らの優しさはなんだったんだ。

「……じゃあ、しゅっぱーつ……」
 
 様々な感情が渦巻く心を無にし、ジークは真顔でそう言うと二人を置いて森の奥へ行こうとした。

 だが、この森の植物は人間の世界では見たこともないものばかりで、気味が悪くすぐに立ち止まる。

 赤や青のキツい色の花には目のようなものがうっすらとあり、花弁はウネウネと動いている。
 そしてよく見てみれば、獲物を迷わせる為に少しずつ木が移動しているのだ。

 しんと静けさが訪れ、ルークの二人も噛み合っていない悪だくみを終わらせてジークに並ぶ。
 
 その瞬間、森の静寂を引き裂く悲鳴が上がった。

「!」
「……!」

 すぐに戦闘態勢を取ったジークは、ナイフを抜いて身を低くした。
 レイズも木の枝を握り、リズは魔氷の棍棒を呼び出す。
 気配を感じて素早く木の陰に身を隠し、辺りを見渡していると亜人同士で争う姿が見えた。

 片方の亜人は子連れで、もう片方が大声で威嚇しながら追い払おうと剣を振るう。

「何が起きてるんだい……」
 
 同族でも殺し合いがあるのか……ジークは飛び出したい衝動を抑え歯を食いしばった。
 家族連れの亜人は抵抗するも、切りつけられ倒れてしまう。だが、共食いをするつもりがないのか危害を加えた亜人達は立ち去って行った。

 黙って様子を見ていた三人は顔を見合わせると、その場を立ち去ろうとした。
 だが、親を切りつけられてしまった子供の泣き声が耳に残り、たまらず振り返ってしまう。
 肩から腰にかけて、バッサリと斬られてしまった傷口からは、とめどなく血が流れていた。
 親は縋りついて泣いている我が子を抱きしめようと何度も手を伸ばすが、力が入らないのか腕が地面に落ちていく。

「……ごめん、もう無理だ!」

 もう見て見ぬふりが出来ないジークは、隠れていた木の陰から出ていく。
 リズも付いていき、その背中にレイズは冷静な声をかける。
 
「傷を癒すといっても、体に魔力を通わせるから副作用がないともいえねぇ。亜人の体が耐えられるかだ」

「でも、放っておいても死ぬ」

 振り返らずにそう答えたリズは、先に亜人家族の側にいるジークと並んだ。
 亜人の子供たちは、初めて見る人間達に驚きつつも倒れた父親を守ろうと両手を広げて立ちはだかった。

 ジークは痛々しい傷口を見てきつく眉を寄せる。致命傷だ。このまま放っておけば死んでしまうだろう。
 それでも何とかしてあげたいと考えていると、横からリズが左腕を突き出し深く裂けた傷に指を這わせた。
 
 その途端、癒しの炎が燃え上がり止血を優先させる為に傷口を焼き、損傷した血管を再生させていく。
 
 魔力を持たない亜人の体は、今までに感じた事のないエネルギーを注ぎ込まれ急速に細胞が活性化していた。
 
 反動で心臓の動きは早まり呼吸が荒くなる。本来ならば受け入れられない人間の魔力に残り少ない体力が削られ、急激に体の熱が奪われていく。

 子供達の悲鳴と泣き声が上がる中、ジークは痙攣している亜人の手を両手で握っている事しか出来なかった。
 
 その時、燃える毛並みの子狼が「わん!」と鳴き、倒れている亜人の周りに炎の塊が浮いていた。
 外側から体を温めようと手伝ってくれたのはレイズだ。
 
 やがて傷が塞がり亜人の体を包んでいた癒しの炎がボンッと弾け、リズは治療が終わったのだと頷いた。
 
「……ぐ、具合はどうだい?」

 ジークが恐る恐る亜人の傷と息を確かめようとすると、唐突に彼の額から一本の角が突き出て来た。

「うわぁ! 何か生えて来たんだぞ!」

 驚いたジークが尻餅をつくと、今まで仰向けに倒れていた亜人の角の先から、ニョキリとつぶらな瞳が現れた。
 レイズは思わず顔をひきつらせ『怖っ……』と思ったが、空気を読んで何も言わなかった。偉い。

「……」
 
 角の先に生えた目玉は辺りを見渡した。

「は、はは……」
 
 そして、引きつった笑顔で何と声を掛けたらいいかわからないジークへ向けて、何度か瞬きをしたあと満面の笑みを浮かべたのだった。

 ――――というのが、数時間前のことである。

 亜人の家族を助けたジークとレイズ、リズの三人は彼らに連れられて住処まで来てしまっていた。
 言葉はわからないが、助けてくれたお礼をしたいのだろう肩を組んで歌ったりと、とてつもなく友好的なのだ。
 
 大喜びしてねぐらから食料を運び火を焚いて家族全員で料理を作り、三人を歓迎する宴を開いてくれていた。
 目の前に並べられているのは、大きな葉っぱの上に盛り付けられた果物と、原材料がわからない真っ黒い料理。ついでにこれは酸っぱい匂いがする。

 もてなしのゴチソウのラインナップは見たこともないものばかりだった。

 唯一食べられそうなものは果物だが、その果物すら見たことがない形をしており人間が食べられるのか怪しい。

「……」

 ジークは肩に腕を回して唄っている亜人の父親をチラリと見た。
 よく知る亜人は、人間に対して友好的じゃないし、ましてやこうして肩を組み、友人のように振る舞う事があるなんて聞いた事もない。

 料理は恐怖そのものだが、彼らの笑顔はまさしく本物だ。

 夢にまで見た亜人との交流だ。

「大丈夫、なにも疑う事はないんだぞ!」
 
 まるで本当の友人になれたようで嬉しくて、ジークは一緒に大声で歌った。

「なんか、こんな事してる場合じゃねぇんだがな……」

 レイズが持っていた石のコップに赤い液体が注がれていく。状況が状況なので心から喜べないのだ。
 リズはといえば、亜人の子供達に遊びを教えてもらっていた。
 長い葉っぱの先を耳に突っ込んでよくわからない踊りを教わっている。

 あまりにもジークとレイズが料理に手をつけないので、亜人は何か話しかけて来た。

「せぬふぉりでぃあ、わっぱっぱー」

 話した後に大口を開けて笑い、角の先にある目玉が細められる。
 きっと、もっと食べろと言っているのだろう……この毒々しい料理を。

「は、はは……わっぱっぱー」
 
 ジークは、いかにも「ブラザー!」と陽気に肩を組む亜人の誘いを断るのが申し訳なくて食べられる物を目で探す。

 だが、何度探しても果物一択だった。
 レイズも渡された飲み物の臭いを嗅ぐと、えずいてしまいそうになるのを堪え口を付けたフリだけしている。

「せぬふぉりでぃあ、わっぱっぱー」と、亜人がもう一度繰り返した時。
 あることに気付いたレイズは、手を止め気付かれないよう微かに眉を寄せた。

「ははっ! なんて言ってるかわかんないんだぞ~!」
「おい、バカ。聞け」

 楽し気に踊りながら白い果物を食べようとしたジークを名前を隠して呼び止め、ずり落ちて来た眼鏡のつるを持ち上げて続ける。

「何て言ってるかわかるかもしれん……」
「本当かい? 君はすごいな!」

 ジークは目を輝かせて果物を食べる手を止めた。
 
「首から上には自信があるんでね」

 レイズは出来るだけ、亜人に不審がられないよう他愛のない掛け合いとして話していく。
 本題はここからだ。
 
 この亜人が話していた言葉は、レイズが西の森で解放組織の時に聞いたものと同じ単語だ。
 あの時、肉食の亜人に腕を掴まれた所、シャオロンが意味を教えてくれた簡単な亜人語だ。

 それを記憶の中から引っ張り出して繋げていく。

「えーっと、確かセヌはあなた、わっぱーぱーは火と食べるこれ、だから……直訳するとあなた 火を通してたべる これ」

「うん、そうだな。これとか火が通ってるんだぞ。なんだ、やっぱり食べ物をすすめてくれているのかい?」

 ジークはニコニコと笑いながら頷く。

『いや、待て。フォリディアがワタシ、だったはず』レイズは自分の頭の中で単語を繋げながら出来上がった文章を口に出して言った。

「ワタシ、アナタ、火を通してたべる」

 …………。

 一瞬にしてジークの顔から笑みが消え、ホリが深い濃い顔になり言葉を失う。とてつもなくシュールである。

「………………」
「……これ、お湯だね?」

 ジークは目の前でぐつぐつと煮えたぎる鍋を指さして尋ね、死んだ魚のような目で無言になってしまったレイズは固く頷く。
 
「ああ、湯だな……」

 二人は真顔のまま顔を見合わせるとすぐさま立ち上がり逃げようとしたが、ジークは亜人父の腕を払おうとしてバランスを崩し草むらに頭から突っ込み、運動神経が鈍いレイズもまた足を捻ってうっかり転んでしまった。
 
 だが、凄まじい速さで起き上がると勢いを殺さないまま、ジークと共にクラウチングスタートで走り出した。

 レイズは、病弱設定を薙ぎ倒す勢いで駆け抜け、子供に混じって遊んでいたリズの所に爆裂ダッシュで向かう。

「あー……ん!」
「食うなバカ! ジーク、とにかく逃げるぞ!」

 そして振る舞われたギトギトの汁が垂れる果物を食べようとするリズの襟首を掴み、わき目もふらず逃げる。
 
「モチのろんろんすぎるんだぞ!」

 まさかの展開に頭が追い付いていないジークは、よくわからないテンションで完璧なフォームのままシャカシャカと走っていくのだった。

 鍋がぐつぐつ。ワタシ、アナタ、火を通してたべる。
 これをわかりやすく言うとこうだ。

 
 オデ、オマエラ クウ グツグツ ニテ クウ。
 実に発狂ものである。
 
 ボケ×ボケ×ツッコミトリオは修羅場の草原を駆け抜けていくのだった。
 
 ――その頃、ハツは人間に協力した罪人として要塞の地下牢に閉じ込められていた。
 岩をくり抜いた地下牢の中はジメジメしており、ひんやりと寒い。

 だが、彼には秘策があった。

「……さて、俺様もそろそろ動くさな」

 岩肌を眺めていたハツは余裕ありげに目を細め、どこからか一本の細い金属の針を取り出した。