「……ふぅ」
静かになった廊下で、ハツは深く息を吐き出しヒトガタに戻っていく。
骨が変形する痛みはあるが、慣れたせいか平気だった。
もともと自分以外の他人を信用しておらず、目を合わせて話すという事が嫌いだというのもあるが、彼女が弱っている所を捕まえて、交渉する為の人質にしようとしていたのだ。
助けを呼ぶためじゃなく、目的の為に相手を利用しようとしていた。
だが、ケイナの方から協力を求めてくるのならそうする必要もない。
ハツは、今も仇であるレオンドールを殺すという目的は変わらない。
もうひとつ。本当にシャオロンを助けていいのか自分でもわからない。
仲間だからと言うジークや他の奴らとは違い、ハツはシャオロンを憎んでいる。
シャオロンは亜人を見捨てた裏切り者だ。
ずっと人間の世界で傍観していた分、ここにいるロディオールの一族よりも罪は重い。
けれど、憎しみはあれど、亜人の現状に涙しゲルダ婆さんが亡くなった時には我が事のように落ち込んでいた姿まで嘘だったと思えない。
だからこそ、彼が何を考えていて何故亜人を助けなかったのかと……理由が聞きたいのだ。その理由によっては刃を向けるつもりもある。
勝てなくたっていい。きっと正面からやり合えば返り討ちにあってしまう事もわかっている。馬鹿だと笑う奴もいるだろう。
でも、ハツの腹の底でずっと煮えたぎっている恨みの沼は今も変わらずここにある。
以前のように、なりふり構わず命を投げ出すようなマネをしないだけだ。
それだけ多くの同胞の死と願いを背負って来たのだ。変わるわけがないし、変わってたまるか。
本当は人間だって嫌いだ。
それでも心の底から嫌いきれていない中途半端な自分も認めている。
父親やジーク、レイズやリズのように亜人を受け入れてくれる人間もいる事を知っているから。
相反する感情がぶつかり合うのは、いい思い出よりも悪い思い出の方が強烈に残ってしまっているからだ。
つらい、憎い、頭がどうにかなってしまいそうなくらいにレオンドールが憎い。
あの顔が目の前にあったならば、言葉に表せない残酷な事もするだろう。
同時に、あの子の『お前の両親は、最期までお前を抱きしめて離さなかった!』と叫ぶ声と、死ぬ間際の両親の穏やかな顔が浮かんでは激しく心を叩く。
あの優しかった両親が本当に復讐を求めているのかと揺らぎそうになった。
でもあの時、レオンドールのかけた制裁の呪術に苦しんでいる中で見た甘い幻覚が『復讐などやめろ』と訴える姿は、負けて死を受け入れ弱音を吐いた自分自身だ。
両親を殺したあの子を殺したかった。
けれどあの子も同じく、どうしようもなく大きな力で人生を潰されたのだと知ってしまった。
大切に思っていた片割れさえも見失い、意志のない機械のように命を狩り取る道具であった自分達は似ているのだと気付いてしまった。
ハツは、生きる為に人を騙して殺め続けた自分とあの子を重ねていた。
元を辿ればルークに仕事を依頼したのもレオンドールだ。そのせいで、リズ自身も精神が崩壊したのだ。
奴隷契約を書き換える時に見た、晴れ空のような鮮やかな青に触れ、弱い自分が映し出されてしまい目が逸らせなかった。
心が壊れたままの自分とは違って、とっくにあの子は立ち直り誰も恨まず罪を償って生きていくのだと決めていた。
純粋すぎる強さを知って、あの子への恨みは燃え尽きてしまった。
だが、自分はあの子とは違う。復讐こそが正義なのだから。
他の奴らが言う『正しく生きる』なんて事は出来ない。クソくらえだ。
平穏な日々を過ごす度に、あの愛情を引き裂いた屈辱の日々と、同胞の死に顔が浮かび、恨みは呪いとなり激しく燃え盛る。
だから、ハツは何度でも叫ぶだろう。
「復讐を忘れて生きるくらいならば死んだ方がマシだ」と。
自分の人生をかけて、生きた証を証明する為に。
あのレオンドール城の敗戦から決意していた事を貫き通す。
アインローズの混血児は、全てを奪った人間の王と、全てを捨てた亜人の王を許しはしない。
復讐者は幾度も慟哭の牙を剥く。
これが、ハツの答えだ。
「あいつは、必ずブッ殺す……!」
無意識に両手に力を込めて握っていたハツは、血が滴る拳で壁を殴りつけると憎悪で歪む視界を固く閉ざした。
「ハーヴェン様、お待たせいたしました」
着替えを終えたケイナは、付き人の少女達へ背を向けると部屋を出た。
白い花の髪飾りがウェーブがかった綺麗な黒髪に映える。ポニーテールは落ちてこないように結び目をきつく縛り、光沢のある黒鉱石の飾りで留められている。
「ほん? お姫サン、ずいぶん武装してるんさな!」
ハツは一旦感情を消すと、人の良いにこやかな笑みで応じる。
「えぇ、私も戦士ですから」
そう言って微笑んだケイナが纏う防具は戦場に出る為のものだ。
槍を背に担いだ彼女は一度頷き、ハツの前を歩き出した。
姫であるケイナが自ら案内するという事は、龍神族にとっての客人という意味になる。
すれ違う龍神族達は、ケイナがハツを連れている事に何か言いたげにしているが、姫である彼女に意見する事が出来ずに通すしかない。
しばらく進んだところで、不意にケイナは足を止め振り返った。
「ひとつ、お聞きしたい事があります」
「……」
ハツは何も言わずケイナに向き直る。何か思いつめたような彼女は、白い花の髪飾りにそっと触れると口を開く。
「私と初めてお会いした時に、シャオ兄様を『罠にはめてぶち込んだ』とおっしゃっておりましたね? フェイロン兄様とお話が終わった後に……どうか、そのお話もお聞かせください」
穏やかな口調のケイナだが、シャオロンの名を呼ぶ声は微かに震えていた。
当然だ、とハツは頷いた。
「そうさな。俺様は逃げも隠れもせんさよ」
あの件の真実を知った後、ケイナや亜人達から報いを受ける覚悟は出来ている。
「……ありがとうございます。参りましょう」
そう言った彼女は、少し悲し気に微笑むとまた歩き出した。
そうして要塞の中を進み、やがて光が差し込む出口に辿り着くと彼女は出口を守っている兵士に何かを伝えていた。
すぐに通れるようになり、重い岩の扉が開かれる。
光が降り注ぐ草原には高い柵が立てられており、見上げた空には龍が旋回していた。
ハツが柵の中に目を凝らすと、微かに血の臭いが漂っていた。
ただそれは亜人のモノなのか、人間のモノなのかはわからない。
「聞きなさい」
ケイナは、断崖絶壁の要塞の裏手にある肉食の亜人のいる草原へ足を踏み入れると、空を旋回している見張りに声をかけた。
「我の命において、ここに捕らえられている人間を解放せよ!」
「しかし、姫様……フェイロン王の命令でありいくら貴方様でも……」
上空から返って来た言葉は真っ当なものだ。ハツは黙って見ている。
「あなた、デリオン……デリオンでしたね。私を誰と心得ていますか?」
重ねて兵士の名前を呼んだケイナはそう言うと、おもむろに鉄靴で守られている右足を上げる。
「よいですか? 私の名は、ケイナ・アーデルハイト・リーデルハオラロディオール!」
すました顔で、すっと息を吸い込んだケイナが勢いよく足を振り下ろし、ダン! と大地を踏み鳴らせば低い地鳴りが響き渡った。柵がグラグラと揺れ、兵士の顔が引きつる。
大地の龍姫である彼女にとって、地面を揺らす事など簡単な事なのだ。
「次はこの柵を倒壊させましょうか。ねぇ、デリオン? 従いなさい?」
ケイナが絶対零度の笑みを浮かべてそう言えば、空を飛んでいた兵士は慌ててどこかへ飛び去り、しばらくすると固く鋭い足に掴まれたジーク達が連れて来られた。
脅しもとい、権力、いやうん脅しだ。ハツはそう思って真剣な表情のまま仲間を迎えた。
ジークは緑色の龍の爪に胴体を掴まれて必死にもがいている。
「だーっ! 俺達、何もしてないんだぞ、むしろ食べられそうになってたんだけど!」
「暴れんなっ! 落とされたら終わりだぜ!」
「…………」
動かない事が一番いいのだとレイズは言い、リズも無言で従っている。
「そうは言っても、脇腹に爪の先が当たって痛くて……って、ハツ! ハツ、ハツ! おーい!」
どうしても脇腹が痛いジークだったが、見下ろした柵の向こうにハツがいる事に気付いて手を振る。
ちなみに、興奮したジークがあまりに暴れるので、苛立った兵士に落とされてしまったのは言うまでもない。
運よく木に引っかかって助かったのだが、ジークは生きた心地がしなかったのであった……。
ともあれ、無事に再会できたAHOU隊の四人は顔を見合わせる。
「よぉ、遅かったな。クソ猿」
ケイナの姿に気付いたレイズは、察したのか胸の前で両腕を組んで薄く笑う。
「まぁ、ちょーっと色々やる事があったんさな!」
ハツは軽く首を傾げてはぐらかす。
ちなみにリズは地面に生えている珍しい草を凝視している。とてもマイペースだ。
「ハツ! 君が本当に裏切ったんじゃないかって心配したんだぞ……!」
そこへ悲壮感丸出しのジークが詰め寄り、両手を大きく上下に振って暑苦しく訴える。
「まぁ、敵を欺くには味方からってやつさな!」
ははは、と目を合わせずに乾いた笑いを返すハツだが、ジークの騙されやすさはフォローが出来ない。
「でも、君の事だからきっといい方法を思いついたんだろう? 任せてくれよ、俺も頑張ったんだぞ!」
そして謎の自信を持ってウインクをしてくるジークだが、お前はひたすら逃げていただけだ。
「皆さま、ご無事で何よりです」
四人を順に見ていたケイナは微笑み、ホワイトランド公用語で語り掛けた。
「エッ⁉」
ジークは驚いて咄嗟に彼女の顔を見ると顔を引きつらせハツを見た。
「何があったんだい? なんか、怖くないぞ……」
「……ノーコメントさ」
いつものように目を合わせないハツ。ケイナは疑いの目を向ける人間達に丁寧に礼をして言う。
「私は今一度、貴方達を信じてみようと思います。フェイロン兄様が何を隠しているのか、真実を知りたいのです」
そう言ったケイナは意志の強い眼差しを向けていた。
「ほ、本当かい……? ケイナ姫さまが手伝ってくれたら百人力なんだぞ!」
ジークはパッと顔を明るくすると順に仲間の肩を叩く。
雰囲気が明るくなる中、レイズは顎に緩く握った手をあてると唸る。
「けど、フェイロン王にもう一度話をするには、もう正面からは無理だろうな……」
「まず、お会いになりません」
「えぇ……会えないのかい⁉」
一気にテンションダウンするジーク。
はっきりと告げたケイナは「ただ……」と続けた。
「ただ、ひとつだけ方法があります」
「本当かい? またフェイロン王と話せるのかい?」
話を聞いた途端、また元気になるジーク。コロコロ表情が変わる忙しい奴である。
「ええ、ですが……」
遠慮がちにそう答えた彼女は、ジークやレイズ、リズとハツを見やると視線を落として小さく息を吐いた。
何か意味ありげな間が広がり、沈黙に耐えきれなくなったジークが挙手して尋ねた。
「何かあるのかい?」
「……亜人は、強い者に従うという絶対のルールがあります。そして、決闘を申し込まれた者は必ず受けなければなりません」
ケイナはジークを見るとこの先を言うべきか迷っていたが、意を決してある事を話す。
「つまり、あなた達の代表が一人、フェイロン兄様と決闘をするのです……!」
決闘、の一言を聞いた瞬間、一気に場が凍り付いた。
「……」
ん? あのフェイロンと、決闘……? え、誰が?
ジークは真顔で仲間達の顔を見ると、ハツは目を逸らしリズは不思議そうに目を丸くしていた。
目が合ったのでいい作戦はないか聞こうとすると……。
「リ……」
「リズは出来ない。フェイロンと戦えば即死してしまう」
まさかの即答拒否である。
「いや、どちらかと言えば俺の方がマッハで即死なんだぞ」
まさかの反応が返って来てしまった。
ジークは反射的に答えてしまったが、マッハで即死は自分で言って悲しい。
というか、謁見の時にジークと並んでフェイロン王に抵抗しようとしていたのはどこの誰だったか。
リズは何とも言えない無表情のまま淡々と続けてきた。
「家の信念の都合により出来ない事になっている」
絶妙に意味の分からない理由だ。次にレイズが割り込んできた。
「悪いが却下だ。俺達ルークは、勝てない戦いはしない主義でな。厳しい戒律があんだよ」
純粋に拒否するリズと食い気味に拒否するレイズ。
「破れば、ハリセンを飲まされるらしい」
「破れば、ハリセンボン飲まされるんだぜ」
どこまで本気のボケなのかわからない青赤双子の声が重なる。
「こんな時だけ、宗教上の理由みたいなこと言い出すのやめてくれないかい⁉」
「だいたい、代表って言ったらひとりしかいねぇだろ」
ジークは眉間に皺を寄せてツッコミを入れたが、レイズは相手にしてくれなかった。
「まぁまぁ、今さら話し合う必要もないさろ?」
わいわいと言い合いをしている外で、気だるげなハツが一点を指さした。
「リーダーはおめぇさな」
ぴしっと突き付けられた指が示すのはただ一人。
「え……俺? 俺かい……? ここに居る誰よりも超絶一般人の俺かい……?」
わざわざ言わずともジークだ。
ショックのあまり顔年齢が五十歳ほど老けてしまっているが、紛れもないアルティメット一般人のジークだ。
恐怖を越えて無謀な戦いをするというぶっ飛んだ方法……。それをこのジークがやれという。
逃げ場を探そうと、ジークは挙手して訴える。
「穏便に話し合いなんて」
「今、失敗して肉食の亜人に襲われたな」
そうだ! と、思いついた事を言えばレイズが冷静にツッコミを入れる。
「うまく誰かを人質にして……」
「ジーク、正気に戻る」
それならば! と、悪どい作戦を提案すれば倫理観のないリズにまで窘められてしまう。
ジークは何とかならないかと考えたが、『フェイロンと決闘』というスーパーパワーワードで一気に老け込み、気分はもうヨボヨボズタボロになっていた。
それこそ、マッハで即死の未来しか見えない。
脳内で色々な想像を吹っ飛ばして、もはや顔芸のオンパレードである。
だが、ジークも漢だ。避けられない戦いがある事もわかっている。
何より、シャオロンを助ける為なのだ。漢気を見せろ。
「こうなったらやるんだぞ! どのみちそれしか道がないのならやってやる……! フェイロン王に勝って、シャオロンを助ける為に手を貸してもらうんだぞ!」
今まで色んな奴らと戦って来たのだ。意気込みは満点だ。
キッと表情を引き締めたジークは、左右の拳を突き合わせ威勢よく咆える。
「俺に任せるんだぞ! 絶対に勝つ!!」
何か、得体の知れない自信と迫力を持ったジークを見たケイナは、唐突な緊張感にゴクリと息を呑んだ。
「何か秘策があるのですか? もしや、あの方は人間界でも有名な戦士という……?」
「いや、全然」
辛辣に即答するレイズ。押し付けておいて薄情である。
ケイナは信じられないものを見るような目でジークを見ていた。
気合いで死の決闘に挑もうとする姿は正気の沙汰じゃない。
いざという時のジークは仲間達の中で誰よりも勇敢で思い切りがいい。
「これが……人間……? なんて無謀な……けれど儚くも臆病ではないのですね」
そして、そんなジークを人間代表だと勝手に勘違いしているケイナは、悲劇のヒーローだと呟いたが誰もつっこまなかった。
それがジーク・リトルヴィレッジなのだと知っているから。
「よーし! やるぞ、やってやるんだぞ!」
気合満タンで殴りの練習をしているジークは、半ばヤケを起こして何もない所を撫でては「フィア、力を貸してくれ!」と叫んでいる。
「イマジナリー彼女に頼ってんじゃねぇ!」
「いたっ! フィアは本当にいるんだぞ!」
そして、当然のようにレイズに蹴られて言い争いをしているジークを横目に、ハツは胸の前で腕を組んで肩をすくめた。
「まぁ……俺様の毒に耐えたり、一人で大貴族をぶっ倒したりした分、ここに居る誰より適任だと思うさな……」
誰にも聞こえない声量でそう言うと、話を振られないよう鼻歌まじりに背を向けた。
――こうして世紀の無茶ぶりが決まり、ジークは炎龍王ロディオールへ決闘を挑むことになったのだ。
