第86話『友の名の下に』

 完全に日が暮れた森に、ケイナの凛とした声が響いた。
 
「そろそろ参りましょう」
「いよいよ……だな」

 あれから彼女の訓練を受けたジークは神妙な面持ちで頷く。
 付け焼き刃といえど龍神族の剣術を学び、少しだけだが攻め方もわかってきた。
 シャオロンを助ける為にも負けられない。
 
 ケイナを先頭にした五人は、一本の松明だけを頼りに岩場を進み、今夜フェイロン王が取り仕切る種族会議へと乗り込む。

 人間とは違い、自然と共に生きる亜人達の住処は眠りにつき始めていた。
 岩場を器用に渡る夜行性の亜人は、ケイナに連れられた人間を珍しそうに眺めては逃げる事もせずに眺めている。
 
(やっぱ、予想が当たりそうだな……)
 眼下に広がる暗い森を見下ろしながら、レイズは心の中でそう呟いた。

 険しい岩場を歩き辿り着いたのは、平らに削られた一枚岩だった。
 いたる所に松明を掲げる影があり、その明かりに照らされた中央には各種族の長と思われる様々な姿の亜人達が円になって座っていた。

 その中にはフェイロン王もいる。

「居ました、フェイロン兄様です。まずわたくしが決闘の申し込みをいたします。その後はジーク様、ご準備はよろしくて?」
 
 ケイナは、兄王の姿を見つけると揺るがぬ決意を込めてジークを見た。

「ああ、ご準備はよろしくてよ」

 ジークは緊張のあまり強張った表情で頷いた。言葉遣いがおかしいが、誰もつっこまなかった。
 そんなジークにケイナは頷き返すと岩場を出ていく。

「行ってこい」

 レイズは少しの不安を隠し、いつものように不愛想な口調でそう言った。
 リズは何も言わず見送り、ジークはケイナに続いて仲間達の前を進む。
 ハツの前を通った時、『しっかりしろ!』と背中を叩いてくれた。

 バン! と体中に衝撃が走り、思わず振り返ったジークは仲間達の表情に気付いて緊張が解けていくのを感じていた。
 皆、言葉は少なくても願う事はひとつなのだ。

 黒剣を手に握るケイナは、冷たい風が吹き流れる会議場に足を踏み入れ、どよめく周囲を眼光で怯ませていく。
 
 今の彼女は龍神族の姫ではなく、兄王に刃向かう、ただの亜人だ。
 視線だけで人込みを退けたケイナは、会議の中へと割り込むと右手に握る剣を岩に突き立て、正面に居座るフェイロン王へと決闘の文言を叩きつける。

「我が名は大地龍、ケイナ・リーデルハオラロディオール! 我が兄、フェイロン・リーデルハオラロディオールへ決闘を申し込む! 我が方が勝利すれば願いを叶えよ!」

 そう声を張り上げ、真っ直ぐにフェイロンを睨む。彼女の後ろに控えていたジークは黒剣を強く握りしめると前に出た。

「フェイロン王、俺が勝ったらもう一度話を聞いて欲しい……!」

 ジークは覚悟を決めてここに立っているのだ。

「貴様は、あの時の……」

 ただの人間の堂々とした姿を見たフェイロンのオッドアイが見開かれる。
 始末していたと思っていた人間がこうして生きて、決闘を申し込んでいるのは予想外であった。

 ジークだけじゃない、他の二人と混血亜人までここに居る。
 ――という事は、ケイナの協力があったからだと彼は数秒で理解した。

「この臭い……何の臭いだ? 亜人じゃないのか……?」
「何だ? 臭いぞ……もう一人も亜人のようで違う……?」

 ざわざわと騒がしく、混乱と戸惑いや疑いが広がる会議場で、ケイナははっきりとした口調で続ける。
 
「この者たちは人間です! 私はこの人間とフェイロン王の決闘を見届ける。負ければ私の命も捨てる事はもとより承知……炎龍よ! いざ、返答は!?」

「……!」

 彼女の一言で会議場の雰囲気がビリッと張り詰め、人間である四人に視線が集まる。

 あまりの迫力にジークはゴクリと息を呑んだ。
 そうだ、命を懸けているのはジークだけじゃないのだ。
 負ければケイナだって処刑され、仲間達だって生きては帰れない。

 それに、シャオロンだって助ける事は出来ない。
 ならば「やる事は決まっている……」そう呟いたジークは震える足を叱咤し、ゆっくりとフェイロン王へ歩み寄る。

 恐ろしく鋭い黄金眼がジークを捉え、威圧感が持って来た勇気を焼き尽くしていく。
 怖くないとえば嘘だ。超ど級に怖いし、何でこんな事になっているのかと喚きたくなる。

「……フェイロン王、どうしたんだい?」

 でも逃げ出さない。ジークは決めたのだ。
 負ければ亜人の未来も人間の未来も終わる。それだけは嫌だ。
 
 だからこそ進むんだ。手や声が震えていようとも立ち止まらない。
 恐怖は笑い飛ばせ、戦うべき時に戦えない事が一番辛いのだ。
 
 死の恐怖には、渾身の不敵でブサイクな笑顔で応えてやれ。

「にっ人間に……負けるのが、こ……怖いのかい?」

 思わず、にちゃぁ……と笑ったジークの情けなくも決定的な挑発を聞いた瞬間、今まで物珍しさからくる浮ついた辺りの空気が冷たくなったのを感じた。
 
 ゾワリと爪先から頭の先まで鳥肌が立つ。
 ジークが恐る恐る顔を上げれば、フェイロンが恐ろしい表情でこちらを睨み据えていた。

 言葉はいらない。決闘は成立している。

「ジーク様、ご武運を……」
 
 ケイナは祈るようにジークを見つめて下がっていった。
 ゆらりと近付いて来たフェイロンは、空気を震わせるほどの怒りを纏わせている。

「人間、生きていたとはさすがの生命力だ。意地汚さは褒めてやろう」

 亜人の言葉を使うフェイロンは背負っていた黒剣を抜いた。流動する金属が持ち主である炎龍の右手に収まり、見上げるほど大きな刃がジークを映す。
 
「何言ってるかわかんないけど、ピンピンしてるんだぞ?」
 
 表情筋を引きつらせるジークも、黒剣を両手で握り意識を集中させる。
 
 ――落ち着け、狙い通り乗って来た。
 フェイロンの立場上、大勢の同胞が見ている中、見下している人間に決闘を申し込まれて無視する事はできない。それがわかっていて挑むと決めたのだ。

「この決闘、受けてやろう。この地に足を踏み入れた事を、死をもって償うがいい……!」

 重い低音を響かせ言い放ったフェイロンは一気に踏み込み、巨大な大剣がジークへ振り下ろされる。
 
 その行方を目で追うジークは受ける事をせず、後ろへ飛んで躱せば岩の欠片と粉塵が舞う。

 岩をも砕く怪力とそれに耐えられる武器は、まさしく龍神族の為にあると言ってもいいだろう。

 ケイナの剣術訓練では避ける事を中心に学んだ。
 なぜなら、龍神族と人間では筋力の差が大きすぎてまともに受け止めれば腕の骨が折れてしまうから。

 ジークは、すぐに体勢を整えると脇腹や手首を狙って剣を振るう。
 力の差があるのなら少しでも致命傷を与えられる場所を狙うのだ。
 
 だが、フェイロンの反応速度は遥かに速く、ジークが反撃する前に次の一撃が振って来る。
 まずい、全く追いつけない……。
 次第に追い込まれていくジークは、冷静さを失わないように自分に言い聞かせていく。
 
(まだだ、まだ……!)
 
 額を狙われた一撃を両手に握る刃で受け流すが、薄く切れた傷から血が溢れた。

「どうして話を聞いてくれないんだ!? シャオロンはあなたの仲間だろう!」
 
 言いながらすぐに服の袖で血を拭うと、ハツに教わったように身を翻してフェイントをかけ、リズに教わったように一撃に体重を乗せる。
 
 ――次に来るのは胴体への薙ぎ払い、ジークはケイナに教わった動き方を思い出して踏み込みすぎないように一定の距離を取る。
 
 予想通りに胴体へ大剣が迫り、マフラーの先が掠る。
 巻き込まれる前に身を引き、タイミングを見てカウンターを仕掛ける事に全神経を集中させていく。

「ジーク様……あぁ、イリアス神……どうかお願いします」

 ケイナは不安を押し殺し、神に祈りながら激しくぶつかり合う二人を見つめる。
 彼女にとってはジークは想い人の唯一の手がかりであり、フェイロンは実の兄なのだ。

 そして、ジークを見守る仲間達も落ち着いてなどいられない。
 
「やり合えてるなんて……アイツ、あんなに動けるのかよ」

 攻められずとも渡り合えているジークを前に、不安と焦る気持ちを隠さずレイズは両の拳を握りしめる。

「……いや、そう甘くはねぇさな」

 同じく見守るだけしか出来ないハツが苦い顔で唸る。

「どういう事だ……?」

 レイズが問いかけた瞬間――。
 キィン、と金属が岩に落ちる音がした。
 
「まだ……諦めたりしない!」
 
 剣を弾かれてしまったジークは、すぐに自分のナイフを抜いて身構えた。

「……そうか、お前の動き……ケイナか」

 まるで攻撃の筋を知っているような動きを前に、フェイロンは嘲笑を浮かべた。

「何言ってるのか、ぜんっぜんわからない……」

 意識を集中させ続けているジークは、荒い呼吸を繰り返しながらも次の一手を踏み込んだ。
 だが、目の前に何か赤黒い爪のようなものが飛び込んできた刹那――。

 ジークの意識は暗闇に飲み込まれてしまった。
 一瞬の事だった。

「――!」 
 
 生臭い鉄の臭いが辺りに漂う。歓声が上がり、血の臭いに酔った亜人達が雄たけびを上げる。
 理性などない、一瞬にしてそこは、捕食対象である獲物を求める獣の巣窟と変わり果てた。

「そ……そんな…………」

 ケイナのか細い息が妙に近くに聞こえ、彼らの前へ無惨にも宙吊りになった『人間』の姿が掲げられた。
 
 滴るのは赤い液体。生き物の命の残量を表す血液だ。
 それが何を示しているのか、頭で理解するよりも先に人間の三人は動いていた。

「ジーク!」
「なりふり構ってられねぇ! 女神の怒り……!」
「煙幕を使う、ジークを連れてすぐにここを離れるさ!」

 氷の双剣を抜いたリズは迷わず飛び出し、レイズもまた魔法を使おうと女神の一節をむ。
 いつも冷静でいられるハツも、煙幕を手にして動揺を抑えながら続く。

 そして亜人達を押しやり決闘場へと乱入した時、三人は信じたくない光景を目にする。

「……なんだ? こんなものか」

 炎龍であるフェイロンは、黒い煙を口の端から吐きながら薄く笑う。
 それは自らの種よりも弱く脆い存在を見下す絶対王者の冷徹な目だった。
 
 彼が頭上に掲げる『ソレ』は、最低最悪の結果。
 鋭く赤黒い鱗に覆われた炎龍の異形の右腕は、無惨にもジークの腹を貫いていた。

「やめろ!」

 レイズは人差し指と中指を揃えた即席の魔銃を構え、ジークを吊り上げる亜人の王へと突きつけた。

「そいつを放せ! 今すぐに!」

 冷静さをかなぐり捨てた彼の指先に魔力が灯り、熱風と共に炎の赤い魔法陣が展開される。
 同じく殺気を剥き出しにしたリズも襲い掛かる機会を狙う。

「神聖な決闘に水を差すか、人間はことごとく浅いな」

 仲間を助けようと飛び込んで来た人間達を嘲笑うフェイロン。
 
「悪いが、コイツは返してもらうさな」

 ハツは低く唸るように息を吐き、群れの敵を見据える狼のように目を細めた。

「……あれ?」
 
 ――――真っ暗な世界の中で、ジークはパッと目を開けた。

「あれ、俺……フェイロン王と決闘して剣がどっかに飛んでいって、うーん……暗い?」

 むくりと起き上がり、何があったのかあくび交じりに思い出していると血の巡りと共に記憶が鮮明になっていく。
 確か、ナイフを向けた所でフェイロンの右腕が赤黒い鱗に覆われた異形のものに変化して、それから……。

「……死んだ!」

 そうだった! と、何故か落ち着いているジークは満面の笑みを浮かべ、あっさり納得してしまった。
 が、すぐにそれどころじゃないと我に返る。

「いやいや、死んだ! じゃないんだぞ、死んでる場合でもないし早く何とかして戻らないと……!」

 自分で自分にツッコミを入れると立ち上がった、その足に何かが絡まっている事に気付く。
 ジークが視線を落とすと、右足には白い光の輪がかけられており、まるで鎖のようだ。

「なんだい、これ! 抜けないんだぞ!」

 鬱陶しい足枷を外そうとするが、触れようとすれば手をすり抜けてしまう。
 それでいて、白い光はジークの足を捕らえて放さない。

「こんなもの一体誰が……」
 
 苛立ちながら視線を上げると、いつの間にか目の前に一人の青年が立っていた。
 
 くすんだ銀髪を雑に切りそろえた青年は、何も言わずジークを見つめていた。
 彼の右目は白い包帯で幾重にも覆われており、衣服はどこかの戦に参加したのかと思うほど傷んでいた。

 生気のない左の瞳がジッとジークを見る。
 彼の手には白い光の輪から延びた鎖が繋がれていた。

「……とりあえず、外して欲しいんだぞ」

 ジークは自分の足に繋がれている白い輪と、彼の手に握られた鎖を交互に見てストレートに訴える。
 青年は表情を変えずに答える。

「外してどうする? まだ続ける?」

「どうするって、仲間の所に戻るんだよ! まだ負けてない、戦うさ!」

 質問の意味がわからないジークは言葉端に棘を含ませて言い返す。
 青年は、全く戦意喪失していないジークに歩み寄ると、確かめるようにもう一度問いかけた。

「もうすでにあの女の影響が出ている。それでも続けるというの?」
「しつこいんだぞ! 俺は絶対にあきらめたりしない! あとあの女って誰だい?」

 青年は伏し目がちに黙り込むと、今にも噛みついてきそうな勢いのジークの肩にそっと触れた。

 ぷつり、と何かが頭の中で繋がった気がした。
 疑うジークの頭の中に無意識に入り込んできたのは、見たこともない記憶の濁流だった。

 暗雲の嵐の船、空から落ちて来たのは風を操る大きな白い龍。
 そして高い壁に囲まれた街の中にある時計塔の校舎。
 陽気で何を考えているのかわからない、金の毛並みの孤独な狼。
 反吐が出る血の処刑場で殺し合う青と赤の双子の兄弟。

 脳が理解する前にノイズが走り、唐突に場面は切り替わる。

 荒廃した焼け野原に佇む青の少年は、ガラス玉のような瞳で濁った空を見ていた。
 自身の肉体が朽ち果てるまで倒れる事を許されない。片割れと共に『仕事』をこなす意志のない傀儡に。
 
 復讐を果たせなかった金の狼は、赤の一族によって滅ぼされてしまう。
 炎の中で叫ぶ彼が、強烈に生きた日々は帳消しになってしまった。
 
 そして、かつて世界を支配していた白い龍とその一族は、多くの同胞と人間の前で斬首され歴史に幕を閉じた。

「は……? あ、あ……ッ!」
 
 数秒の間に次々と変わる記憶の流れに押し潰されそうだ。とジークは吐き気を堪えて顔を背ける。
 どれもこれも、出てくる人物の顔はよく見えなかったけれど妙にリアルだった。
 
「どう? これでも戻るの?」

 青年が淡々と問いかける。心配するというよりも諦めろと諭すように。
 ジークは青白い顔で睨み付ける。
 
「何を見せて来たのかわからないけど、俺はこんな所にいるつもりもない!」

「そうする事を選ぶのかい? 後悔をしたとしても?」

「選ぶ! 俺がどうしたいかは俺が決めるんだ!」

 一切、譲らないジークは銀髪の青年に言葉をぶつけ続ける。

「……そう」
 
 青年が一言だけ返すと彼が触れた肩の辺りを中心に、周りの景色がゆっくりと、朝焼けに包まれていくように明るくなっていった。
 
 空がものすごい速さで夜から朝になり、絵を描いたように一面の白色に塗り替えられていく。

「えぇ……ここ、どういう所だったんだい?」

 ぽかんと口を開けているジークは、驚いたり怒ったりと感情が忙しい。
 そんなジークの肩を優しく叩いた青年は、少し間を空けて口を開く。

「忘れないで、君の名前は××××。どうか、幸福な結末を……」
 
 そう言った銀髪の青年は寂しげに微笑み、溶けるように光の中へ消えていった。
 ただ、彼が立っていた場所には一輪の白い花が残されていた。

「……どういう意味なんだ? 何かの幽霊かい? 夢のわりにはリアルすぎるんだぞ」

 白い世界に取り残されたジークは、深く気にする事無く光が広がる先へ向かう。
 一カ所だけ黒い穴が空いており、躊躇いなく中に入って走り抜ける。
 不思議と体の中に温かいモノが宿ったように力が湧いていた。

 
 ――そして次に目を覚ました時、ジークの耳に入って来たのは仲間達が自分を呼ぶ悲痛な声だった。
 
「……?」

 ゆるゆると瞼を上げると、目の前にはフェイロンがおり、奴の右腕が自分の腹を貫いてしまっていた。
 ぼんやりとしていた意識がしっかりと戻って来ると、すぐに全身の感覚が目を覚まして叫ぶ。

「いっっっってぇえーっ!!」

 ジークの人生史上、一番大きな叫び声だったかもしれない。
 とにかく、宙吊りを何とかしようと足をばたつかせていると、乱雑に投げ捨てられてしまった。

「ジーク!」

 地面へ転がったジークに仲間達が駆け寄る。

「この、バカ! いてぇじゃ済まねぇだろ!」
「傷、治す」
「逃げるのが先さ!」

「落ち着いてくれよ。まだ負けたわけじゃないんだぞ!」

 口々に声をかけ、肩を貸そうとする仲間の手を遮ったジークは、腹に空いた穴を手で押さえていたが、ぬるりとした血の感触以外、そこにあるはずのものが消えている事に気付く。

「ない……なくなってる……?」

 まさかと思い、何度も腹を触ってみるが、確かに貫通していた腹の傷穴が塞がっていたのだ。
 それどころか、破れてしまったはずの服も元通りになっている。
 
 この一瞬で治るどころか、最初からなかった事のように。

「どういう事だ……?」

 レイズは目を見開いたまま固まっている。

「何か、夢を見ていた間に治った? みたい?」
「そんなわけねぇだろ! 今のいまだぞ!」

「そうは言っても、俺にもわからないんだぞ! 何か銀髪の変な奴に会ってだな……」

 思い出せる限りの説明をしようとするジークだが、どうにも青年の顔が思い出せなかった。
 
 自分でも信じられないジークは、得体の知れない力が体の中から溢れそうな感覚に身震いした。

「あ、あれ……いっ!」

 ズキン、と頭痛がし頭の中で知らない声が囁いた。

『喰らいて壊し尽くせ』

 痛みを堪え、精神を研ぎ澄ませれば足元の影が命を持ったようにうねる。

『そう、輪廻の楔から解き放て』
「……? 頭が、痛い……」

 ジークが答えられずにいると、幻聴だと思っていた青年の声が耳の後ろから聞こえた。

「力が欲しい?」

 その瞬間、視界がぐらりと揺らぎ、ジークは何かが足を這い上がり体を支配する不快な感触を腕で振り払う。

「欲しいよ、欲しいさ……だってそうだろう?」
 
 体中が熱く、意識がぼやけていきそうになるのを舌を噛んで正気に戻す。
 後ろを振り返っても誰もいない。いつの間にか頭痛は治まっていた。
 
 ジークが辺りを見渡せば、人間である自分達を取り囲む亜人達は手を出そうとせず、静かにこちらの様子を窺っている。
 血の臭いに興奮しても襲い掛かって来る者などいなかったのだ。

「……そっか、そうなのかも」

 彼らの様子を見ていたジークの中で、ずっと抱いていた違和感が解けていく。
 
 そうなのであれば納得がいく。ふらりと仲間を見る。

「大丈夫だぞ、行ってくる」
 
 驚いている三人へ自信ありげに笑いかけたジークは、立ち上がりフェイロンへ向き直る。

 武器はない。でも、まだ何も終わっていないのだ。負けてもいないし、負けるつもりもない。
 ここに居る仲間の為に、シャオロンの為に。そして、彼を探すケイナの為に。
 
「何が起きている……貴様はこの手で殺したはず……」

 フェイロンは右腕を本来の姿に変化させ、あの人間を仕留めたはずだった。
 腹を貫いたのだ。あの出血も致死量だったはず。そうだというのに、あの男は生きている。

「フェイロン王」

 ジークは何も持たずに立ち向かう。

「俺は必ず貴方に勝って、仲間を助けたい。例えあなたにとっては敵なのだとしても……」

 体の奥底から湧き上がる力が、どうすればいいのか教えてくれている。

 影の中から無数の影が飛び出し、命令を待つ守護獣のように主を囲む。
 意志を持って蠢く腕の群れを背に、ジークは落ち着いた声で言い放った。

「シャオロン・リーデルハオラロディオールは、大切な友人なんだ。彼の名の下に、諦めたりはしない!」