「人間ごときに何が出来るというのかっ!」
フェイロンの炎龍の腕が引き裂こうと襲い掛かる。
冷静に息を吸い込んだジークが、大きく振りかぶったその隙を見逃すはずがない。
「だから……何言ってるかわかんないんだって!」
禍々しささえ感じさせる影の腕は、ジークの命令に従いフェイロンへ渾身の一撃を叩き込む。
その数、数十はあるだろうか。まさに数の暴力。
「なっ……!」
フェイロンは肺の奥まで息を吸い込むとすぐに炎を吐き、影の腕を燃やし尽くす。
だが、ジークの意識が攻撃を命令する方が早く、腕を振る動作だけでヌルリと這い出る無数の影は次々と襲いかかる。
そのひとつがフェイロンの衣服を掠り食いちぎり弾けて消滅する。
ジークは、この得体の知らない力さえあれば自分を縛るものは何もない気がしていた。
土壇場で自分に魔法が使えたとは信じられないが、とにかく今はこの可能性に乗るしかない。
「何だろう、こんなの……どんどん力が湧いてくるんだぞ!」
思うままに動き、触れるだけで存在を喰らう影だ。
ジークは体の底から湧き上がる高揚感に思わず笑みをこぼした。
まるで、この体が自分のものじゃないみたいだ。
最高に気分がいい。以前、フィアと共にフラクタを倒した時のように体が軽い。
今なら何でもできそうな気がして体中の血が熱く滾る。
何があっても負けられない、負けられないのだ。
炎龍の火炎の息が身を焦がす。だが火傷ひとつ負わない。
リズの癒しの魔力とは違う、体の周りに透明な壁があり炎を通さないのだ。
もちろん、ジークに自覚はない。
ただ、黒煙を腕で払い捨て、距離を詰めていく姿は人間とは思えなかった。
「何さ、あれは……」
ハツは、不気味な影を操るジークを見ていられず視線を落とした。
影が実体を喰らうなど常識ではありえないし、あの至近距離で攻撃を受けないのもありえない。
それに、普通の人間が、あんなに炎に巻かれても怯むことなく向かって行けるはずがないのだ。
「あんなイカれた顔……見た事ねぇさ」
ジークは特に何が得意だという事もなく、アホなくらいお人好しの平凡な奴で、そこがアイツの良いところだったのだ。
それなのに、あんなものを扱い、躊躇いなくヒトを襲うなんていう事が信じられなかった。
ジークがジークでなくなっていくような気がしていた。
ハツが視線を移せば、圧倒され言葉を失っている双子と目が合った。
「あれは……」
言葉を詰まらせながら、ケイナが小さく呟いた。
「これは……ッ! 何を……!」
冷徹を貫いていた炎龍の顔に焦りが浮かぶ。
フェイロンは、影に触れた箇所が消滅するという事をすぐに理解し、近付くものを焼き尽くしていく。
だが、闇の中から這い出てくる影の腕は無限に存在する。
それだけじゃない、影に紛れ死角から滑り込むようにジークも突っ込んできていた。
「……!」
気配に気付いたフェイロンが気付いた時にはもう、ジークは懐へと入り込んでいた。
――視線がぶつかり、影が燃える。
ジークはフェイロンの眼を真っ直ぐ見据え、大きく息を吸って高く跳ぶ。
「これで、決まりだ!」
叫び、一心不乱に振り下ろしたジークの右拳が炎龍の頬を打った。
空気が弾けたと同時に、おびただしい数の影が足場に叩きつけられ飛び散って消えていく。
ジークは力の限り拳を振り抜き、着地と同時に肺にため込んでいた空気を思い切り吐き出す。
「一発入れたぞ! 俺の勝ちだ!」
きっぱりとそう言い切ったジークは、得意げにフェイロンの鼻先へ右手の人差し指を突きつける。
「……」
苦痛に顔をゆがめるフェイロンは、微動だにせずジークを見下ろしている。
当たり前のことだが、ただの人間であるジークの腕力ではフェイロンを倒すことは出来ない。
ダメージとしてはゼロだが確かに一発入れたのだ。
「貴様……」
ギロリと殺気に満ちたオッドアイがジークを見下ろす。
「フェイロン兄様! お願いです、負けを認めてください……」
息を荒げたケイナがフェイロンへ駆け寄る。
「ケイナ……貴様、人間ごときに手を貸すなど王族でありながら……!」
フェイロンは妹であるケイナの胸倉を掴み声を荒げる。
だが、その声を遮ったケイナは強く左右に首を振り、兄の腕を掴んで唇を噛んだ。
「わかっています! 私は姫としても戦士としての資格もありません! でも、それでも……私はシャオ兄様に会いたいのです!」
「ケイナ……」
フェイロンの目の奥の険しさが和らぎ、そっと彼女の柔らかな髪を撫でると、人間であるジークに目を移した。
「……」
ジークも黙って視線を返す。
この時が、亜人の王であるフェイロンが人間のジークと向き合った瞬間だった。
会議場がしんと静まり返り、やがてぽつぽつと話し声が聞こえ始めた。
様子を窺っているだけだった亜人達は、王が人間に負けたと騒ぎ出したのだ。
フェイロンは亜人の王だ、それが遥かに脆弱な新種に負けたのだ。
次第に騒ぐ声は大きくなり、興奮した雄叫びが混じる。
誰かが報復を叫び、賛同した彼らの中の一部が動き出そうとした。狙いは当然ここにいる新種――人間だ。
「おやめなさい! 落ち着いて……!」
すぐにケイナが騒ぎを収めようと語り掛けるが、暴徒となりかけている同胞には届かない。
「まぁ、そうだろうよ……」
レイズはじりじりと迫る亜人達を見て不敵に笑う。
――その時だ。
「下がれ」
人間達へ飛び掛かろうとした亜人達の前を、フェイロン王の異形の腕が遮った。
重く低い一言だ。上下関係がはっきり決まっている亜人社会では王族の命令は絶対だ。
たった一言と鋭い眼光を前に怯えて引き下がっていく亜人達。
同胞を下がらせたフェイロンは、もう一度ジークを見下ろすと問いただす。
「何故、頬を打った。貴様の力があれば下等種と侮った俺の首など刎ねられただろう」
「……?」
相変わらず亜人の言葉がわからないジークは、怪訝な顔をしつつも、すぐにヘラリと笑って見せた。
「いやだから、俺はお願いに来たんだって!」
曇りのない笑顔を向けられたフェイロンは意外だと目を見開く。
ジークとしては単に用件を言っていただけなのだが、奇跡的に会話として成立してしまっていた。
「ジーク様……!」
これには、ケイナも思わず笑みをこぼす。
彼女がジークへ何か言葉を掛けようと口を開いた時、とてつもないドヤ顔をしているジークの背後に、恐ろしい形相の人影が迫っている事に気付いた。
「ジーク……」
「おめぇよぉ……」
「ん? やぁ、みんな!」
仲間達の声に気付いたジークはニッコリ笑顔を浮かべ、喜びのハグしようと腕を広げた。
「俺、勝ったよ!」
そう言って振り返った瞬間。
「この、バカ野郎ーッ!」
有無を言わせぬ勢いで、ズパーン! とレイズの必殺ビンタを喰らってしまう。
「オヴぉ!」
それどころか怯んだ所にハツの蹴りが加わり、リズの無言パンチが炸裂する。
まさかの突然の袋叩きにあってしまった。
「あだだだだ! ちょっと、やめ、何なんだぞ!」
抵抗する間もなく、次々と鉄拳が振り下ろされてくる様はものすごくシュール。フルボッコである。
どさくさに紛れて亜人が数人混じっている気がするが、まぁ気のせいにしておこう。
「キーッ! なによ、あんな暴力に喜んじゃって、なによ、何よォ!」
「ジーク、おかしくなった!」
「正気に戻れさ!」
何を勘違いしているのか、必死な三人は一斉に殴る蹴るでジークを止めようとしていた。
一部、レイズが謎のオネエ様口調で罵っているのはつっこまないでおこう。
効果音を付けるのならそう、『ボコボコ・ボコスカ』が似合っている。
「ちょっと待ってくれよ! 俺はずっと正気だぞ!」
ジークは頭を庇いながら必死に言い返す。
「嘘おっしゃい! アンタ、この目を誤魔化そうたってそうはいかないわ△〇!」
「違う、リズは信じ〇△×!」
「明らかに目がイッちまってたさ!」
一言返せば三倍になって返って来てしまう。何なら、それぞれ被せてきて後半は謎の言語だ。
このままじゃ埒が明かないと思ったジークは「それよりも!」と、話の主導権を奪い取った。
「俺、何かわかんないけど魔法が使えるようになったみたいなんだぞ!」
ボコボコ・ボコスカから何とか逃げ出したジークは、仲間達に見えるように自分の影に触れた。
あの魔法? を見せればもうお荷物なんかじゃないし、喜んでくれるはずだ。
そう思い、目を閉じる。
イメージは的確に、影が命を持つように。呼吸を深く……!
全身全霊で意識を集中させ気合いと共に両手に力を込めた。
「見てくれよ、ハァァァアッ!」
…………。
しーん。
だが、とくに何も起こらなかった。
「ハァァァア!」
しーん。
………………。
だが、本当に……ほんっとーに、とくに何も起こらなかった。
「ハァッ、ハアァッ! ソイヤッソイヤッ!」
ヤケクソで謎に正拳突きを繰り出すジークだが、とことん何も起こらなかった。
ただの前髪ショッカク虫の男が、決死の濃ゆい顔で気合いの野太い声を出していただけである……。
「……」
数秒の沈黙の後、真顔で仲間達を見つめるジークの横っ面に、レイズの蹴りがめり込んだ。
「ヴォェッ!」
「何も起こらねぇじゃねぇか、バカ!」
「ジーク、おかしくなったの?」
無表情のリズが倒れているジークを指でつつく。
「だいたい、あんなに急に傷が治ったりわけわかんねぇキモい影が扱えたり、常識がぶっ飛んでんだよ!」
きつい物言いでゲシゲシと蹴り続けながらも、レイズの声は強気な彼に似合わずちょっとだけ震えていた。
「でもジーク、無事でよかった」
暴走している兄を押しやったリズは安心して深く息を吐いた。
「そうさ、人が変わっちまったかと思ったさ」
二人だけじゃない、ハツだってジークが変わってしまったのかと心配していたのだ。
それが身に染みてわかり、ジークは何だか仲間の温かさが胸に染みた。
「……うん」
ジークは、普段から素直じゃない仲間達の思いに照れくさくなりながらも笑い返したのだった。
すっかりいつものAHOU隊に戻った所で、ハツは亜人の王と姫の前に立つと話を進める。
「……そんじゃ、こっちの勝ちって事でいいさな?」
「ええ、かまいません」
ケイナが答える。彼女は兄の腕を掴んで優しく寄り添っていた。
少しの沈黙の後、フェイロンは流暢なホワイトランド公用語で語り掛けてきた。
「……理解に苦しむ。なぜ、人間のお前達が命を懸けてまで邪龍を救おうとするのだ」
「……!」
ジークは、彼があえて人間の言葉で語り掛けてくれた事に気付き、急いで片膝を落とし足元の岩に両手をついて頭を下げた。
人間の言葉しか話せないジークだが、フェイロンが自分達に歩み寄ったのと同じように、彼に対して礼儀を尽くす為に姿勢を正したのだ。
「ずっと言っているように、友人……仲間だからです」
顔を上げたジークは、真っ直ぐ澄んだ瞳で即答した。
フェイロンは人間を嫌う亜人の王だ。人間と仲良くしたいシャオロンを狙う同族殺しでもある。
けれど、ジークは彼を憎みきれなかった。
彼が本気で自分達を排除しようとするならば、ここにいる亜人達を使ってでも殺しにかかるだろう。
それが出来るはずなのに、彼は正面から人間の挑戦を受け、あろうことか報復を止めた。
ジークが言葉遣いと態度を変えたのは誇り高い王であるフェイロンを前にしたからでもあるが、もうひとつ思う所があるからだ。
「仲間か……」
フェイロンは何か含みのある笑みを深めた。
「いいだろう、来るがいい」
そう言うと、彼は人間に背を向け静かにその場を後にする。
「フェイロン……さん、ありがとう!」
ジークの表情が一気に明るくなり、後ろにいる三人と顔を見合わせた。
王であるフェイロンに従い、亜人達も会議場を去っていく。
「もう一度、同じ道を辿ろうとするか……」
何も知らない人間達を残し、亜人の王は静かに笑みを浮かべた。
ひとつは、ただ一人の亜人の為に危険を恐れずここまでやって来た無謀さに呆れて。
もうひとつは、惨劇の歴史を知らないがゆえに浅はかで無知な生贄に憐れみを抱いて。
「ふっ、あれを仲間と呼ぶか……」
低く言い落としたフェイロンの左右で色の違う瞳が怪しく細められた。
――――
その後、龍神族の住む岩の要塞へとやって来たジーク達は、ケイナに案内された部屋で休息をとっていた。
本当はすぐにでもフェイロンと話がしたかったのだが、何やら準備が必要なのだとかだ。
質素なこの部屋は一般兵士の為のものなのだろう。
壁に松明が立てかけられ、ベッドや机などが置かれているが無駄な装飾がない。
だが、不思議と落ち着く。
「たはー……やっと終わったんだぞ!」
木で組まれた簡素なベッドに飛び込み、大の字に寝転んだジークは心の底から安堵の息を吐き出した。
「がんばった、ほんっっとうに頑張った……!」
天井を見ていれば、レオンドール城を逃げ出した夜から今日までの事が次々に思い浮かぶ。
「何度死ぬかと思った事か……! 懐かしい、ベレット村が懐かしいよ……」
しみじみ呟いて目を閉じれば、青々とした草原で『魂のふんどしの舞』を踊る村長が出てきてしまい、しんみりした気持ちは一瞬で吹き飛んでしまった。
「……」
ジークは現実に意識を戻そうと真顔でカサカサ手足を動かした。
もし、シャオロンがここに居たら死んだ魚の目をして「気持ち悪ッ」と言われていただろう。
草を編んで作られたシーツはワイルドな臭いがするが、ツルツルとした肌触りが最高だ。
「でも」とあの子が言う。
「これでシャオロンを助けられる。リズはとてもいいと思う」
リズが隣のベッドに腰かけ緩く頷いた。
「しかし、ジークのあの力……何だったんさ」
床に座り、持っている薬草を数えるハツが訝しげにジークを睨む。
「魔法にしても魔力を感じなかった。それにあれっきりって事は、腹をぶっ刺されたのは見間違いだったって事か?」
今にも寝てしまいそうなこもった声を出すのは、奥のベッドでうつ伏せになっているレイズだ。
「いや、本気で痛かったから死にかけたのは違わないぞ」
あくび交じりにジークは答える。
頭は早く戻りたくて緊張しているのに、体は疲労で怠い。
もう一度、特大のあくびが出そうになった所で部屋のドアがノックされた。
「……みなさま、ご気分はいかがでしょうか?」
控えめに部屋を開けたのはケイナだ。彼女の後ろには同じ年頃の少女達が控えている。
「ケイナさん、大丈夫だぞ! 訓練のおかげで勝てたし、まだまだ動けるよ!」
ジークは起き上がると得意の笑顔を返した。
ケイナは落ち着いたハスキーボイスで「ええ、お見事でした」と微笑み返し、部屋の中へ足を踏み入れる。
「今はもう、影を操る事は出来ませんか?」
「うん、もうあの力はなくなっちゃったみたいだぞ」
気遣う彼女にジークは頷く。
「あれは何だったんだろうな」
「魔法でもねぇんならお手上げさな」
同じく起き上がったレイズと薬草を数える手を止めたハツ。
彼らに視線を移したケイナは、ふるりと首を振り形のいい唇を開いた。
「決闘の途中、ジーク様が扱った影の腕はイリアス神の化身だと思われます」
「ほえっ?」
ジークは驚いて変な声が出てしまった。
「イリアス神っていえば、あの戦いで亜人側についていたっていう……」
レイズが聖書の内容を思い出しながら唸る。女神の書によれば、イリアス神は女神エリュシオンに敵対する男神だ。
性格は狂暴で、あらゆるものを奪い尽くす悪神とも書かれていた……のだが、今ここでそんな事を言えるわけもない。
「はい、我らの中では『正しき心を持つ者にこそ、神のご加護がある』のです。なので、あのように説明がつかないものはイリアス神の化身が救いに来てくださったものとしています」
そう言ったケイナは、誇らしげにうっとりとしている。
人間が女神エリュシオンを信仰しているのと同じように、亜人もイリアス神の奇跡を信じているのだ。
「フェイロン兄様も、それがわかっているからこそ退いたのでしょう!」
「そうなのかい……?」
「亜人の世界は、人間のモンとは比べ物にならんくらい不思議なんだな」
半信半疑のジークは他の三人に反応を振るが、レイズも信じ切れていないようだった。
人間にとっては魔力は身近なものであり、何もない所から火が起こせたり、街灯に明かりを灯し機械の動力でもある。
つまり、女神エリュシオンから与えられた魔法によって奇跡を起こす人間にとって、目に見えない神の加護なんていう説明がつかないものはいまいちピンとこないのだ。
顔が引きつっている兄を横目に、リズは女神の話がしたい気持ちを我慢してソワソワしていた。
ハツは最初から信じていないのか、これ以上話に加わる気がないようだ。
ジークは、ケイナがあまりにも嬉しそうに語るのでそれ以上は考えない事にした。
「じゃ、じゃあ……そういう事にしようかな……」
あの臨死体験は何だったんだろうか……。
そんな思いが一瞬だけよぎるが、ジークはバカ真面目で正直で、さらには細かい事を気にしない主義なのだ。
ジークはあの力を『亜人の世界でいきなり使えるようになった何かよくわかんないやつ』として、あっさりと納得してしまうのだった。
これぞ、ジーク・リトルヴィレッジである。
そうして、いよいよフェイロン王が待つ要塞の地下へと降りていく。
