第9話『怨嗟の呼び声』

 レオンドールの王族を倒したジークは、歩きながらずっしりと重くなったコインの袋を取り出した。

「いっぱい増えたねェ」

 改めて成果を見たシャオロンがのんびりとした口調で言う。

 手には、あの三人からもらった……いや、奪い取った食料のリンゴが握られていた。

「おいひいですぞ! これもなかなか!」

 ずっと何も食べていなかった、お貴族のネクラーノンは特に喜んでいるが、やっている事は山賊である。

 布に包まれている焼き菓子を渡され、ジークも頬張る。

 絶妙な甘さと、スパイスの香りが鼻を抜け、疲れた体に沁みて美味い。

「そんなもん食って、毒でも入ってたらどうするんさ?」

 ハツは渡されたパンを疑っていたが、何もないとわかると一口、また二口と食べていく。

 結局は、空腹には耐えられないというものだ。

「あいつら、いや、あの方らはかなりの枚数を持っていたから、もしかして今の生き残りって俺達しかいないんじゃないのかい?」

 そろそろ袋に入りきらないくらいの枚数のコインが貯まり、これだけ集めれば探知されやすくなっているというものだ。

「それにしては、平和すぎるんだぞ」とジークは唸る。

「まぁ、実際ああやって何でも死刑って叫んどけば棄権するヤツも多かったんさ?」

「人というのは自分の命が一番大事ですし、そういうものですぞ」

 鼻で笑い飛ばしたハツにネクラーノンも頷く。

ジークは納得し、あることを思い出す。

「そういえば、俺達は一般民だから本当に死刑になっても自分だけの責任だけど、ネクラーノンは家の事とか大丈夫なのかい?」

 今さらだが、ネクラーノンは四大貴族と問題を起こすとまずいのでは……とジークは気になって聞いた。

「ぬ? 小生ですかな?」

 ネクラーノンは一瞬、意味が分からなかったのか首をかしげると、思い出したかのように青い顔になり、ヒュっと息を吸った。

「……小生は! なんという事を……ッ!」

 わなわなと震えて頭を抱えるネクラーノンは、自分よりもはるかに身分が上の王族に逆らったうえ、食料を強奪するという大罪のフルコンボを重ねていた。ようやく自分の置かれた状況に気付いたようだが、そこを忘れていたのはいっそ清々しい。

「ワー、貴族は大変だネェ」

「もう没落してるんさから、これ以上失うもんはないんじゃねぇさ?」

「ひどいですぞぉ!」

「冗談でもやめるんだぞ!」

 追い打ちをかけようとするシャオロンとハツをたしなめたジークは、仲間のまとまりのなさに頭が痛くなりそうだった。

 そんなことを話していると、前を歩いていたハツは何かに気付き、視線を寄越した。

 シャオロンも気配に気付いたのか、軽口を閉じる。

 何か地鳴りのようなものが、だんだんと近づいてくる気がする。

「なんだい?」

 ジークも立ち止まり、後ろを振り返るが、木々が生い茂るだけで何もいない。ただ、動物の気配もなく不気味なほどに静まり返っている。

 森が沈黙しているのだと、気付いた。

「何かいるヨ」

 気を付けてネ、とシャオロンは呼びかける。ジークはナイフを抜こうと鞄に手を入れた。

 辺りに立ち込める腐敗臭が鼻をつき、ジークは口と鼻を左手で覆い、目をきつく細めた。

 陽の光が差し込む森の中は、臭いとも相まって陰鬱な空気を漂わせる。

 深緑色のフードを目深にかぶったハツは、ジークやシャオロンの後ろに下がり、ネクラーノンも本を開いていつでも戦う準備をしていた。

 サクリ、と枯れ木の原を踏み進む音がし、ジークはナイフを強く握る。

「誰だ!」

 仲間達の中で自分だけが力不足なのはわかっていた。だからこそ、誰よりも勇敢に戦わなければいけないと自分自身に言い聞かせ、音のした方へ刃を向けた。

 だが、暗がりから影のように姿を現したのは、中年の男一人だけだった。

 男は警戒して攻撃を仕掛けようとするジーク達に気が付くと、顎に蓄えた髭を擦りながら苦笑いを浮かべた。

「おいおい、俺はエリュシオン傭兵団、レオンドール所属のトリートだ。つっても、この状況じゃ試験官だっても信じられんわな」

 落ち着いたベテランの雰囲気をまとうトリートの男は、ジーク達を安心させるように身分証を差し出してきた。

 ジークはそこに書かれた文字を目で追うと、仲間達に武器を下ろすように伝える。

「すみません、何か変な気配がしていたので……」

 ジークは緊張の糸が切れる感覚に脱力し、力なく愛想笑いを浮かべた。

「気にすんな! 若い新兵はそれくらい血の気が多くあっていい!」

 年長者の余裕なのか、豪快に笑う男は、そう言ってジーク達が来た方へ歩みを進める。ちょうどいい、とジークは思い出した。

 あの人がトリートなら、きっと洞窟の前で寝転がっている王族達を保護してくれるだろう。

「あ、あの……!」

「なんだ?」

 ジークがその事を伝えようと振り返り、男も肩越しに顔を向けた。

 その一瞬のうち。

「なにかよう、カ……!」

 ――男の首が、巨大な何かによって、ちぎり取られたのが見えた。

 まるで木になった果物をもぎり取るように、もしくは不要なものを取るときのようなごく自然な動作だった。

 頭部を失った体は赤い液体を噴き出しながら、支えを失くした人形のように倒れてしまう。

「……!」

 あまりの衝撃で声が出なかった。ただ、ジークは男の首の行方を目で追って、後悔する。

 ぽたり、と雫が垂れ、目を上げると額を枝で貫かれたトリートの男の顔が目の前にあった。黒く色を失った両の水晶は虚空を見つめる。

 しゅるりと枝がしなり、ソレは投げ捨てられてしまった。

 一瞬の出来事に反応が出来なかった。

「な……っ」

 平静を保とうと脳をフル回転させればさせるほど、目の前の異様な光景を心が拒否する。

 近くの木が鈍い音を立て、伸びてきた別の木にもたれ空が枝葉で覆われていく。森の木々は枝を、根を絡ませて力を結束させ、ひとつの生き物のように動き出していた。森が悲鳴を上げるように地鳴りがした。

数多の人間の血を吸い、大地に眠るいくつもの怨嗟の魂が呼び声を上げる。

 地の底から這い寄る恐ろしい声は、憎しみや恨みの言の葉を投げかけているかのようだった。

 森全体が飲み込もうと襲い掛かってきているだなんて、誰が予想できるだろうか。

「どーりで気配しかわからんかったさ、囲まれるさぞ!」

 ハツは、足元に迫る根を蹴ると振り返らずに走り出した。ネクラーノン、シャオロンに続いてジークも走る。

 背中越しに聞こえる木々の軋みや唸り声を無視して、ひたすらにまっすぐ走る。

 目の端に嬉々として跳ねる魔物が見え、遠くで誰かの悲鳴が聞こえた。

「痛いですぞぉ!」

 不意にネクラーノンの足に鋭く尖った細枝が突き刺さる。

うつ伏せに転んでしまい、暗い森の奥へと引きずられていく。

「立ち止まれば終わるさ!」

 先頭を走っていたハツがナイフを投げ、シャオロンが力づくで細枝を切る。

「大丈夫? 立てル?」

「かたじけない、助かりましたぞ……」

 何とか助かったネクラーノンだが、足からは血が出ており、立つことさえもままならない。

「何これ、どうして森が襲ってくるノ?」

 シャオロンは、ネクラーノンに肩を貸しながら立たせようとする。

「おそらくは、試験による流血や亡骸などから溢れた魂の無念が、この地に眠っていた呪いを呼び覚ましたのですぞ……」

 痛みで足を引きずるネクラーノンはそう言うと、ずれてしまった眼鏡を指で押し上げ声を落とした。

「でも、この大きさの呪いを起こすには、相応の魔力が必要……」

「呪い……? これが……?」

 けれど、今のジークには現実ではないどこかの遠くのことのように聞こえていた。

 亡くなった人を見るのは今までだってあったし、平気だった。

 けれど、男の生首が脳裏に浮かぶ。滴る鮮血の吐き気がする臭いも、鼻の奥から消えてくれはしない。

 今までは、何があってもどこか他人事のように何とかなるとさえ思っていた。

 どんな事があっても理由なく人を傷つける事はしない。だから自分は助かると、心のどこかで思っていたのかもしれない。

 でも、目の前で人が死ぬところを見てしまった。はっきりと気付いてしまった。

 ジークは、自分が死ぬという現実が怖かった。

 恥も外聞もかなぐり捨てて、情けなく泣いて叫んで、ただ自分が助かりたいと感情が叫ぶ。

 だいたい、軽々しくエリュシオン傭兵団に入ろうと思ったことが間違いだったのだ。

 フィアに誘われて何も考えず、何もできないくせにここまで来たのが間違いだった。

 一度自覚してしまった恐怖は自分でも止める事が出来ず、ジークは後ろを見る事が出来なかった。

 

 その時、遠く後ろの方から、か細く助けを求める声がした。

「声がする!」

「ジーク!」

 反射的に立ち止まり、振り返ったジークにシャオロンは怪訝な表情で声をかける。

 ジークは『死ぬ』ことが怖い。

 それは、自分だけじゃなく、誰かが悲しむところを見たくないから。

 だから無意識に傷つくのを恐れて、身の丈に合わない行動にも出た。

 いつだって戦う理由は守る為だ。そこに嘘はない。

「待って、聞いてくれ……!」

 ジークは、肩で息をしながら見開いた目を固く閉じた。

 汗が目に入り、涙のように頬を伝う。

 死ぬのが怖い。喉も乾いたし、何か言おうとしても声は上ずって泣き言しか言えそうにもない。

 けれど、それでも自分の出来る事をやり通したいと強く願っていた。

 声と表情を強張らせ、決意を絞り出す。

「逃げない……俺、戦うよ」

 思いを言葉に出せば、自分の中でスッと納得できた。

 ジーク・リトルヴィレッジは、細かいことを気にしないんじゃない。

 誰よりも優しく、人を疑わず、自分自身でさえも信じられるまっすぐな心を持っていた。

 どんな時でも諦めない紫紺の双眸は、強い光を放っていた。