機工都市ガリアンルース。
ここは、領主セリオン・ミラナが治める産業と機工学が進み、女神の御力が強くある祝福の都。
ホワイトランドで機工学が学べるのはここだけであり、女神の御力で生活を豊かにする研究がおこなわれている。
街の外れには大きな壁があり、向こう側には女神の御力を扱う工場があるのだという。
女神の力で潤っている街は、いつも来てもパレードが開かれており、真っ赤なつけ鼻のピエロが食べ物や飲み物を配り歩いている。
広く大きな家々の赤や黄色の明るい色の屋根は太陽によく映え、賑わう市場には露店商が溢れる。人々は笑顔でゴミを放っていき、その後ろで自走する鋼鉄の機械がゴミを吸い取っていった。
街の象徴である大きな建物は、エリュシオン機工学校なのだという。
いたる所には女神の御力を動力をしたランタンが飾られ、この街は夜も眠らない。
まさに、ホワイトランドの楽園。
「――というわけなのです。わかりますか? 傭兵さん?」
「……お、おお……」
この一連の説明を、ガリアンルースに入ってすぐ出会った中年男性に聞かされたジークは、真顔で返事をした。
強硬手段の川下りでその日に機工都市ガリアンルースへ辿り着いたものの、全身ずぶ濡れのままではミラナ支部には行けないので、どこかで着替えを借りられるところがないか聞いただけだった。
「――では次に、女神の御力についての説明を……」
中年男性は、げっそりしているジークとハツ、シャオロンを気付いておらず、自慢のあごひげを撫でながら続けようとする。
「あ、いや、ありがとうございましたー!」
「シター! サヨナラー!」
これには慌てて断るジークとシャオロン。
またあの長い話をされたら、今度こそ気力はすっからかんだ。
まるで街の案内が使命だと言わんばかりの勢いの男性から逃げるように立ち去っていった。
歩きながら本を読む学生や、奇抜な衣装で楽しませてくれる大道芸人などとすれ違う。
ようやくエリュシオン傭兵団のミラナ支部に辿りついた時には、日が沈みかけていた。
色鮮やかな街並みの中に、古く伝統的な木造づくりのミラナ支部――。
生乾きの服の臭いを気にしながら廊下を進み、案内された先にはある男が待っていた。
書類が積まれた机につき、優し気に微笑む初老の男はミラナ領に散らばる傭兵たちを束ねる主、セリオン・ミラナだ。
前の入団式の時にも会っていたが、あの時よりも雰囲気が柔らかいように思える。
「おい」と呼ばれて視線を移せば、先に辿り着いていたレイズとリズがこちらを見ていた。
セリオンは生乾きのジークたちに嫌な顔せず、労いの言葉と新しい制服、それに温かいお茶まで出してくれた。
ジークは遠慮なくいただきながら、これからの説明を受ける。
明日からの任務は、元からいるガリアンルース所属の部隊が大規模な任務に出かける為、その間に残った団員と街の治安を守るというものだ。
至ってシンプルな任務の内容に、内心ほっとしたジークだった。
話が済むと宿に案内され、荷物を置いて夜の街に出かけた。
夜だというのにガリアンルースの空は明るく、女神の御力を動力とした街灯が五人を照らす。
ジークは飲食店が並ぶ通りを歩きながら、人々がテラス席で料理を食べ歩いているのを横目に、両手を上げて大きく伸びをする。
「んー! 明日からの任務に備えて、おいしい夕飯を食べて休もう! 食べ歩きなんてのもいいな!」
「任務って……ただの留守番じゃねぇか!」
意気揚々と夜の街へ繰り出したジークにレイズが不満げな溜息をつく。
彼はミラナと同じく四大貴族だが、誰かの命令に従うことが気に入らないわけじゃない。
かなりの無理をしてここまでやって来たのに、任務といえば本隊の補佐。やっている事はベレット村とあまり変わらないのが不満なのだ。
「マァ、お給料が少しでも上がルならいいんジャないノ? 僕、ガリアンルースは初めてだから楽しいヨ!」
「シャオロン!」
ジークが振り返ると、シャオロンはいつの間に買っていたのか紙に包まれたイモを持っていた。
「これ、おいしーヨ。半分あげル」
そう言ったシャオロンは、ホカホカにふかしたイモを半分に割ってくれた。
「あつ……うんま! なんだい、このイモ甘いんだぞ!」
もらったイモを、はふはふと食べるジーク。
黄色い中身がおいしい。甘みが強いアンノウンイモだ。
「ネ! ……デモ、ここには亜人がいないから、僕は同胞の悲しいトコロを見なくて嬉しいナ」
シャオロンは小さな声でそう言って笑っていた。
「はっ、一般民はのん気なもんだな」
レイズはそう言って眼鏡の端を指で持ち上げ呆れているが、お前の片割れはフルーツ山盛りパンケーキを食べていた。
「そういえば……亜人、いない」
もそもそとパンケーキを食べていたリズは、思い出したように辺りを見渡した。
そうだ、さっきからゴミを片付ける機械は見かけても、亜人奴隷の姿がないのだ。
レオンドールでは、亜人奴隷は生活の一部のように主人に付き従っていた。
だがここガリアンルースでは、辺りを見渡しても人間しかいないように見える。
ジークはイモを飲み込むと唸った。
「……確かに、もしかしてここには亜人奴隷はいないとか?」
自分でそう言って、少しだけ心が明るくなった。
「……そうかもな」
レイズはそっけなく答えると、パレードが煩いのか耳を塞いでいた。
「そっか、ならよかったよ」
安心したジークは、そう言って微笑む。
ジークは亜人を奴隷として扱うのが嫌いだ。
シャオロンが亜人だという事もあるが、相手が誰であれ命は平等だと思っているからだ。
ここが亜人奴隷を扱わない人間ばかりなのだとしたら、どんなに嬉しいだろう。
「亜人がいないとジークはうれしい?」
そんな思いを知ってか知らずか、リズは空色の瞳を見開き訊ねた。
ジークは、言葉の意味をそのまま受け取っているリズに答える。
「違うよ。ここにいないという事は、不幸な亜人がいないからさ」
「……ジークは亜人が好き?」
リズはゆっくりと瞬きをし、言葉の意味を解くように首を傾げた。
「好きだよ。彼らのことはあまり知らないけど、仲良くしたいしもっと知りたい! 君はどうだい?」
ジークがそう言うと、リズはいつもの無表情で考える。
「……リズはわからない。でも、亜人のシャオロンは好きだ。村に置いてきたコル族も好きだ」
精神面が幼いリズは、自分なりに納得がいく答えを出していた。
コル族というのは、AHOU隊の宿舎でウシと一緒に暮らしている亜人のことだ。
草を食べる姿がなかなか可愛いので、リズはよく彼らと遊んでいる。
もう食べるつもりはなく、純粋に可愛がっていた。
「アァ! なんていい子ナノ! 世界中の人間がみんなリズだったらいいノニ!」
それを聞いたシャオロンは、大げさな身振りで感動を表し、その両手を取って力加減も忘れてリズを振り回した。
「残念だ。リズは分裂できない」
上下に振り回されて地面に叩きつけられているリズだが、痛覚がないので平気なのだろう。
されるがままになっている。
「そうだ、分裂したら大変なことになるんだぞ!」
ジークは止めるどころか大きく頷いている。
これでも無表情のリズだが、ビタンバタンッと高速で地面に叩きつけられているのはシュールな光景である。
「んなとこで悪目立ちすんじゃねぇ!」
「リズには痛みがない。だから平気、なんだか脳が揺れて楽しかった気がする」
「違う! そうじゃねぇ、止めろ!」
ここでようやくツッコミを入れたレイズだが、リズはマイペースに服の汚れを払っている。
気付けば、街ゆく人々の視線が集まっていた。
エリュシオン傭兵団の団員がこんな街中でバカ騒ぎしていれば、こうなるのは当然だ。
「いや、もう相変わらずバカばっかりかよぉ……」
レイズは頭を抱えてしまった。仲間内で常識人の彼には少々スパイスが強かったようだ。
「あ、あは、あはは……そう、彼らは力強いガードと打たれ強いスペルなんです! 安心して下さい! 街は俺達が守ります!」
なんとか無理やり愛想笑いでやり過ごしたジーク。
何故かこの言い訳で納得したのか、街の人はまたそれぞれの仕事や遊びに戻って行った。
無理やりすぎる誤魔化しだった。
「セ、セーフ……」
ジークは冷や汗を拭うと、そこでハツに目を移す。
彼は深緑の双眼で街の奥にある大きな壁を見つめていた。
「ハツ? どうしたんだい?」
「あん? なんさ?」
ジークが声を掛ければ、ハツは感情の読めない顔で曖昧に肩をすくめた。
「ぼーっと壁の方を見ていたけど、大丈夫かい?」
「別に、何もないさ。何を食うか考えてたんさな!」
ジークが心配してそう訊ねると、ハツは顎を少しだけ上げて目線を逸らした。
ハツはあまり自分から話すことはないが、こういったやり取りの時はいつも呆れたように見ている。
なんとなく、いつもと様子が違う。
セリオン・ミラナの話を聞いている時でさえ、何かを考え込んでいるようだった。
前を歩いていた三人から距離を置き、ジークは真剣な表情で口を開く。
「……何かあるなら言ってくれよ。君にはあの時助けてもらった恩があるんだ」
あの時、とは初めて会った時のことだ。
記憶を失くして海に落ちたところを、ハツに助けてもらえなかったら今のジークはいない。
だからこそ、入団試験の時にハツから刃を向けられたとしても反撃はしなかった。
「ジーク……」
ハツはそれだけ返すと俯いてしまった。
街の喧騒が遠く聞こえる。
初めて会った時の彼は、ひねくれてはいても親切で気取らない少年だった。
ハツは仲間が増えたあたり……おそらくシャオロンと出会った辺りから口数が少なくなり、ネクラーノンとして仲間になったリズと、レイズが合流してからはもっと話さなくなっていた。
「俺は、君のことを仲間だと思ってる。言いたくないんなら言わなくてもいい」
でも、と続けるジークはハツを真っ直ぐ見て言う。
「もし、力になれることがあれば言ってくれよ。仲間じゃないか!」
「……!」
その言葉にハツは目を見開くが、すぐにいつもの冷静な顔になった。
ジークには彼が何を考えているのかわからない。けれど、力になりたいというのも本心だ。
「そうさな……ほんじゃまぁ!」
クッと喉の奥から笑ったハツは、初めて会った時と同じように顔をくしゃりと崩し、ジークの肩に腕を回した。
「ちょーど、お貴族ぼっちゃんに何か嫌がらせでも出来ねぇか考えてたさな!」
そうして声を上げて笑い、イタズラどころか極悪人のように口の端を吊り上げた。
「レイズにかい? あいつは賢いから仕返しが怖いぞ!」
どうなるかの想像をしてしまったジークは、半笑いのまま首を振る。
おそらく、ルークの一族で一番温厚なレイズだがそこはそれだ。
どんな方法で仕返しをされるか想像しただけでも怖い。
二人で顔を伏せ、ヒソヒソと会議を始める。
「アイツのお茶に砂糖をたくさん入れるのはどうだい?」
「悪くないさな」
なんだかんだ止めないジークである。
ここに悪だくみ同盟が結成された瞬間だった。
「やるなら軽いものにしとかないと……」
「ナハハ! お貴族様はプライドだけはご立派さからなー!」
「聞こえてんだよ、ボケ!」
笑いながらそう言ったジークとハツにレイズの怒声が降りかかる。
顔を上げれば、いつの間にかレイズが目の前に立っていた。
「お前ら、いい度胸してんじゃねぇか……」
レイズは見せつけるように両手指の関節を鳴らし、ジークは真顔でハツを指さした。
「君のお茶に砂糖を入れるって、ハツが言ってたんだぞ!」
なんという変わり身だ。ちなみに、シャオロンとリズは大道芸人から飴をもらっていて、こちらに気付いていない。
そして、ハツの方もわざとらしく眉を顰め辛そうな表情で訴える。
「俺様はやめろって言ったんさがな……」
こちらも負けてはいない。悪だくみ同盟はあっさりと解散するのだった……。
「うふ、うふふふふ……」
ジークは気持ちの悪い笑顔を浮かべ、カサカサと二人のところへ逃げ出した。
そしてシャオロンに「うわっ、ショッカク虫みたいで気持ちわるッ」と言われていた……。
その後も賑やかな街を歩き回り、屋台で買ったものを食べようと座ったベンチが暖かかったこと、ボタンを押せば飲み物が買える機械があることに驚く。
これも女神の御力を使っているのだという。
「女神の御力っていうのは、女神エリュシオンがここガリアンルースの地下に埋め込んだ資源のことらしい。それを汲み上げて利用している。この街の機械はみんなそうだ」
肉と野菜を挟んだサンドイッチを食べ終えたレイズはそう話してくれた。
ジークは、人々の間で忙しく動く機械に関心し、目で追った。
「俺、機械は初めて見たけど色々と便利なんだな……これも女神の御力で動いているんだろ?」
無機質な動き方をするそれらは、落ちているゴミだけを拾って進んでいく。
今、ジークの手にはボタンを押すだけで買えたオレンジジュースがある。紙のコップに入って出て来たもので、握り心地が少し不安だが充分だ。
ガリアンルースの街を堪能したジークは満足げに空を仰ぎ見た。
もう夜も遅いというのに、街の明かりで星が見えない。パレードは今も続いている。
「こんなに騒がしいと、みんないつ寝るんだい……」
「深夜、日付が変わる頃にはパタリと静かになるんだよ」
そう言うとレイズは「帰ろうぜ」と手を上げた。
「そうだな、明日からしっかり頑張ろう! 亜人奴隷を扱わないこの街なら、本格的に配属地になってもいい気がしてきたぞ!」
ジークはそう言うと背筋を伸ばして歩き始めた。
「あの壁ってなんだろうネー」
のんびりと歩くシャオロンとハツも続く。
立ち止まったリズは後ろを振り返り、浮かない顔をして歩いている片割れの顔を覗き込み、問いかけた。
「……レイ、ジークに本当のことを言わなかったの、どうして?」
「あのタイミングで言えるかよ」
レイズは、相変わらず心の中を覗いてくるような片割れに力なく笑いかけた。
「リズは、難しいことはよくわからない。でも、レイは優しいね」
いつものように抑揚のない話し方をしたリズは、レイズの頭をぽんぽんと撫でると、くるりと背を向けて歩き出した。
レイズはひとつ隠していた。いや、言えなかったのだ。
機工都市ガリアンルースは、ホワイトランドでもっとも亜人差別が酷い街であることを。
人と、亜人とを隔てる大きな壁がこの街には存在している。それは決して取り払われることのない人間側の悪意だ。
もし明日、この事実を知ってしまったジークはどう思うのだろうか。
そこまで考えたレイズは、こめかみを押さえて溜息をついた。
「あぁ、もう……なんでこの俺があのバカの心配をしてんだよ……」
レイズは苛立ちを噛み砕くように舌打ちをし、仲間に続いていった。
明日からここ、機工都市ガリアンルースでの任務が始まる。
