第52話『現実』

「あの女、脱走するなんて……! 殺しちまったじゃねぇか!」

 通路の奥から現れたのは、大柄なガードの男だった。
 すると、ジークたちを通路に入れた男が施錠をすませ、ジェファ族の少女の元へ行く。

「何やってるんだ! 商品価値が下がるだろ!」

 そう言い合いをし始めたガードの男達は、こと切れた少女の前に立ち尽くしているジークとシャオロンに気付き、舌打ちをして近付いてきた。
 奴らは顔を伏せているシャオロンを見下ろして嘲笑う。

「なんだ? 新人、死んだ亜人を見るのは初めてか? たかがこんなモンで怯えてちゃ、ここの仕事はやっていけねぇぜ?」

 一人の男はそう言って少女の翼を掴むと乱暴に引きずった。
 冷たい床に彼女の命の跡が残されていく。

「なんて事を……」

 ジークは男達を睨みつけたが、目の前で死を見てしまったショックは拭えない。
 モノのように扱われていくジェファ族の少女の翼が、白から黒へと変色し始めていた。

「ジェファ族は死ぬと羽の色がどす黒くなっちまうから、生きたまま羽を切れって言われてるのによぉ……」

「まさか奴隷市から逃げ出すとは思わねぇだろ……そういや、この間の……」

 それに気付いた男達は鬱陶しそうに少女を引きずり、とりとめのない世間話をしながら通路の奥へと連れて行く。

「……ッ!」

 ジークは男達を止めようと口を開いたが、頭の中で言葉がまとまらず、何も言えずに口を閉ざしてしまった。それでも気が治まらない。

 後ろから男を殴ろうかとしていた所で、シャオロンがジークの腕を掴んだ。
 彼は俯いたまま首を横に振る。やめてくれ、ということなのだろう。

「シャオロン……」

 ジークはシャオロンのそんな弱々しい姿に胸が痛くなり、同時に少女を物のように扱う男に怒りが湧いた。けれど、へたに動いてシャオロンが亜人だとばれてしまえば、それこそ終わりだ。

 命が消えた現場に取り残されたAHOU隊は、黙って見ているしか出来なかった。

「……これが現実さ」

 ハツは仲間に背を向け、静かにそう言うと、床に引きずられた亜人の血の跡を見下ろした。
 亜人の世界では、人間は命を脅かす恐怖でしかない。

 きっと、ここで上手く逃げられたとしても彼女は自由を手に入れる事は出来なかっただろう。
 ジークは何も出来なかった自分に苛立ち、奥歯を噛みしめた。

「ジークは、何で亜人をかばうさ」

 獣毛のような金髪のハツは、ジークの顔を見ずに問いかける。

「なんでって……」

 ジークは言葉に詰まってしまう。

「確かにそこは気になるな。亜人がらみの大きな事件に巻き込まれたわけでもなさそうだしな。そんなにこだわる動機は何だ?」

 胸の前で腕を組んだレイズが問い詰める。
 自分の思いを吐き出すように、ジークは少しずつ答えていく。

「俺は、昔の記憶がない。だから、この世界の常識も女神の事もよく覚えていない……」

 思い出せる限りの記憶を手繰り寄せ、ジークは言う。
 あの日、ポピィラビの女の子に出会った時の事が頭に浮かんだ。

 記憶がないので理由は覚えていないが、亜人を見ると懐かしい感覚で胸がいっぱいになるのだ。

 まるで、遠い昔に亜人の友人がいたような、切なくも優しい気持ちになる。
 だから、亜人を従わせたり酷い目にあわせる気はないし、そんなところを見たくもない。

「でも、人間だとか亜人だとかで差別したくない。だって、同じホワイトランドの住人だろ……?」

 そう答えると、レイズは舌打ちをし、さらに詰めてきた。

「何故そう思うんだ? そう思うに至る理由があるんじゃねぇのか」

 尋問のようになっていく中、ジークは他の理由を思い出そうとした。
 けれど、いくら考えても理由は一つしかなかった。

「……俺は、数か月前の記憶がない。言った所でわからないかもしれないけど、亜人を見るとすごく懐かしい気持ちになるんだ。だから、今の状況が心から間違っていると言えるよ。命に優劣はないんだ」

 正直に話すジークに、レイズはますます顔を険しくする。

「なんだそりゃ。そんな理想ばかりの理由でいちいち反発されたら迷惑だ」

 そう言い捨てたレイズは、「いい加減にしろ」とこぼしながら歩き出した。
 チラリと様子を伺いながら、リズも片割れについていく。

「そんな理由とはなんだ! 君はそうやって……!」

 あまりの言い草にカッとなり、引き留めようとしたジークの前をハツの腕が塞ぐ。

「落ち着け。あれが正常な人間の反応さ」
「ハツ……けど……」

 深呼吸をし、落ち着きを取り戻したジークに、ハツは真剣な表情のまま言う。

「それより、この先にあるのはガリアンルースの裏側。世界の真実さ」
「どういうことだい……?」
「行こう」

 言葉の意味がわからず、困惑しているジークの横をシャオロンが通り過ぎていく。
 足取りは重く、ふらついているが先へ進もうとしていた。
 ジークはシャオロンを心配し、声をかける。

「シャオロン、大丈夫かい? 宿に戻って休んでも……」
「いいヨ」

 自分にかけられた言葉を遮ったシャオロンは、手の甲で両目を拭うと顔を上げた。

「これは、僕の罪だ。目を逸らす事は出来ない」

 大きな目を腫らし、振り向かずに進むシャオロン。小さな彼の背中に、何か見えない重圧がかかっているように感じた。

 通路を出た先では、乾いた砂塵さじんが舞い上がり、独特の獣臭がする場には重苦しい空気が漂っていた。

 鋼鉄の牢が付けられた土で出来た家屋の中には、鎖につながれた男女が無言で立たされていた。
 皮膚の色や年齢、体格もさまざまであり、獣のような耳を持つ者までいる。

 皆、目に光はなく、静かに自分の運命を受け入れているようだ。
 彼らの目の前には人間が並び、命に値段をつけているところだった。

「この若い男は、フェヌ族で肉体労働に向いています。歳は三十ですが、長命種で知能も高い! ぜひお買い求めください!」

 売り手がそう言えば、牢屋の前に集まっていた買い手から声が上がる。
 買い手は、頭部に角が生えたフェヌ族の男を品定めするように体を撫で、目や口の中を覗き込む。

 ここは、亜人の命が売り物とされる奴隷市場だ。
 機工都市ガリアンルースの理想の裏側で、ひっそりと開かれている。
 売り物である亜人は家畜であり、その場にはすすり泣く声と悲鳴、貨幣の重なる音が鳴り響いていた。

 売られていく亜人の中には、親と引き離された幼い子供もおり、買われていく親を見送る瞳は涙で濡れていた。

 一方で、弱って働けない者は全て一か所に集められ、劣悪で汚染された小屋からやせ細った亜人達がこちらを見ている。

 この街にいる亜人は徹底して、この壁の内側に隔離され自由を奪われ生涯を終える。

「……これが……ガリアンルースの裏側……?」

 壁の向こうとは何もかもが違う世界に、ジークは茫然と立っていた。
 機工都市ガリアンルースは、亜人奴隷のいない街なのだと思っていた。
 悲しいことなど何もない、何もかも理想の街だと、本気で信じていた。

「ガリアンルースの壁に囲まれたこの区画は、奴隷市場だ。奥には強制労働所もある」

 気付けば、レイズが隣に立っていた。
 彼は眼鏡の端を指で持ち上げ、ジークに厳しい視線を向ける。

「亜人奴隷はこの世界では常識だ。個人がそれをひっくり返すなんて出来やしねぇんだよ」
「……レイズ……」

 いつだってレイズは正論を言う現実主義者だ。
 ルーク家の方針としては中立であり、彼自身もシャオロンに偏見はない。
 それでも、世界中で広がっている亜人奴隷の解放なんて出来るわけがないと思っている。

「こんなの……酷すぎる……」

 ジークは初めて見る亜人奴隷の現実に言葉が出なかった。
 わかっていた事だが、これほどまでに悲惨だとは思わなかったのだ。
 怒りや悲しみよりも先に無力感がこみあげてくる。

「……」

 囚われた亜人達から目を逸らさず、じっと見つめるシャオロンは何かを考えている。

「おい、そこの新入り!」

 ただ、何も出来ずにいる五人の前に、捕らえた亜人を連れたガードの男がやってきた。
 男は数十人の亜人が閉じ込められた牢屋を指さす。

「あの病気や怪我で動けなくなった亜人は明日処分する。それを見張っていろ」

 男はそう言って、亜人を商人の元へ連れて行く。
 じっと俯いていた彼らは、シャオロンの姿を見ると驚いたように目を見開くも、声を上げることなく通り過ぎて行った。

「……バウシーズ族、僕が亜人だっテわからなかっタ……?」

 亜人は互いを判別できるはずだ。シャオロンは信じられないと小さく呟く。
 彼らの後ろ姿を見つめたハツは、緑眼をきつく細めた。

「ここの亜人奴隷は、弱り切って互いの種族を判別する事も出来ねぇのかもしれねぇさな。オメェのことも、モノ好きが人間の服を着せた奴隷だと思ったんさろうよ」

 ハツは、いつもの調子でそう言うと、怪我をした亜人が入れられている牢屋の前に立った。
 ジークも並ぶと、彼らと目を合わせる。
 怪我人といっても、この中には老人が多く、一目で売り物にならない亜人を片付ける為なのだとわかる。

 建物の奥では、より動物に近い亜人が重い荷物を運んでいた。
 他の街で見た亜人奴隷とは違う、惨い現実がここにはあった。

「酷い……」

 同胞である亜人が次々と選別され、売られていく様子を見ていたシャオロンは感情のない声で呟いた。
 ジークは、これ以上そんな彼を見ていられず、瞼を下ろした。

 目を閉じても現実は変わらない。わかっている。
 想像を超える現実を前にしてもジークの心は折れなかった。

「で、どうする? やるんさ?」
「……ああ、やるよ」

 ハツはジークを試すようにそう言い、目を開けたジークは不敵に笑って頷いた。
 できる出来ないじゃない、やるかやらないかだ。

「ジーク……」
「シャオロン、心配しなくてもいいんだぞ!」

 悲し気なシャオロンに振り返ったジークは、彼を安心させるようにニッコリと笑う。
 この惨状を見ても、ジークの思いは変わらない。

 やるか、やらないかならば当然、やる!

 前に出会ったポピィラビの女の子や、街で見かけた不幸な亜人、亡くなったゲルダおばあちゃんのような悲しい人を増やしたくない。

 最初は仕事があれば何でもいいと思っていた。けれど今は違う。
 ゲルダおばあちゃんの優しい手のぬくもりを忘れない為にも、ここで諦めるわけにはいかない。

 ジークは、本気で亜人奴隷のいない世界にしたいと思っていた。

「レイズ、さっきの答えだけどさ……」

 そうして、次にレイズの方を向くと、現実主義者の彼に今の自分の気持ちを伝える。

「確かに俺は、理想ばかりで何もできないかもしれない。でも、自分がおかしいと思ったことを飲み込んで、なかったことにするなんて出来ない! これが、俺の正義だよ」

 はっきりと意志を示せば、レイズはジークを睨み、言葉を返す。

「……それが甘いって言ってんだ。巻き込まれるのがわかって俺が賛成するとでも思ってんのか?」

 ピリッとした空気が漂い、ジークは瞬きをひとつして口を開いた。

「思うぞ! 亜人の仲間シャオロンがこんなに傷ついているんだ。仲間の為に戦うのなら、理由は十分じゃないかい?」

 ほぼ即答したジークは大きく手を広げ、力強くシャオロンの肩を抱くと、レイズにとびきり弾ける笑顔を向けた。

「俺は、彼らを解放する!」

「もう、無茶苦茶さな!」

 ハツは、ブハッと吹き出して笑う。

「な……っ、ふざけんじゃねぇ! 世の中そう単純なことじゃねぇんだよ!」

 俺は反対だ! と声を荒げるレイズ。
 そこへ、牢屋の鍵穴を調べていたリズが寄ってきた。

「よいしょ、この鍵、魔法がかかってる。リズの氷じゃ無理だった。炎の魔力で触れたら開く?」

 相変わらずマイペースなリズは、片割れの腕を掴むと鋼鉄の錠を握らせた。

 ――ガチャン。
 すると、牢屋の鍵は魔力に反応して開いてしまった。

 …………。

「…………は?」

 レイズは自分の手が牢屋の鍵を開けてしまった事に驚き、マヌケな声を出してしまった。

「開いた! レイはすごい! さすがリズの片割れだ!」

 リズは、自分の予想通りに牢屋が開いた感動で目を輝かせている。
 空気が読めないのは変わらずだった。

「うわーっ!!

 自分のしでかしたことにショックを受け悲鳴を上げたレイズは、慌てて牢屋を閉めようとする。
 そこへジークが足を滑り込ませた。

「ははっ! レイズ、口では何とか言っても、君もなかなかやるじゃないか!」

 牢屋の扉が開いたと同時に、ジークは躊躇いなく亜人の手をとった。
 まるでダンスに誘うように、ゆっくりと優しく外に出してあげる。

「今の俺にはすぐに自由にしてあげる事は出来ない。でも、絶対に見捨てたりはしないぞ!」

 亜人の子を安心させるようにジークが微笑めば、言葉はわからずとも伝わっていた。

「ぶはははっ! とんだ馬鹿野郎さ! いいぜ、気に入った! 俺様はおめぇをかつぐ!」

 ハツは声を上げて笑うと、アデハナで作った火薬玉に火をつけ、勢いよく空に投げた。
 まるで何かの合図のように軽い爆発音が響き、異変に気付いた兵士がこちらに何かを言って来ている。

「何事だ! 見ろ、亜人が逃げ出しているぞ!」
「捕まえろ! 開けたのはアイツか!」

 次々に向かってくる兵士を前に、レイズは魔銃でジークをぶん殴った。

「だーっ! エリオ兄さんに何て言えばいいんだよ! この〇〇〇自主規制野郎! 責任取って何とかしろッ!」

 不可抗力? とはいえ、牢屋を開けたのは紛れもなくレイズだ。

「これで君も共犯だぞ!」

 腫れた頬で笑うジークは、自分よりも遥かにベテランの兵士に向かって行く。

「お、お前……何する気だよ!」

 もはや半狂乱になっているレイズは、ヤケクソになりながらそう叫ぶ。
 ジークはギラギラと目を輝かせ、先輩であるベテラン兵士に対し、右手を差し出し声を張り上げた。

「亜人奴隷を、解放してください! 彼らはなんのつ……ベフォッ!」
「騒ぎを起こしたのはお前かーッ!」

 だが、全部言い終わる前に問答無用でぶん殴られていた。
 交渉決裂。なんというタイミングだろうか……。